伸ばして、届かない、手
迸る鮮血を避けることなく、むしろそれを浴びるように近づき、首に左手をかけて、異形を床へと引きずり倒す。
押し割られたその傷口へと、小剣の切っ先をねじ込んで、喉笛も掻き切って。
ぱくぱくと開閉される口へと小剣を突きこみ、押し込んで……脳天まで貫いて。
びくん! びくん!! と痙攣すること数度。
そこまで、考える間でもなく体が勝手に動く。
やっと、異形が完全に停止したことを確認すると……一瞬だけ、息を吐いて。
すぐに、がばっと起き上がる。
「エリー!! エリー!!」
脳裏を占めるのは、自分をマスターと慕う少女。
その彼女が体を張ってくれなければ、倒れていたのは自分だったことは、身に染みていた。
すぐにでも、駆け出そうとするが……ぐらり、身体が揺らぐ。
人外の存在の、人外の動きに付き合って、限界以上を絞りだして。
とっくの昔に、限界は越えていたことを、今更ながら思い知らされる。
それでも踏みとどまり、膝を叩き、脚に動けと命じて、よろめきながら、駆け出す。
駆け出そうと、する。
力が、入らない。
「動け! 動け、この!!」
涙ぐみながら脚を何度も叩くも、言うことを聞いてくれない。
ついにふらふらと倒れこむところを、ぐい、と支えられた。
「イグレット、落ち着け!!
エリーは……エリー、は……」
レティを支えた王子は、なんとか慰めの言葉を探す。
だが、そんな都合のいい言葉など、見つかりはしない。
自分が感じていた不安が、現実のものであると理解して…絶望に、目を見開く。
いやだ、いやだ、いやだ
そんな言葉が脳裏を占め、何度も何度も、だだっこのように首を振る。
それしか、できないのか。
……いや、違う。まだ、できることはある。
「殿下、お願い。
ここで見たことは、絶対に内緒にして!」
「あ、ああ、君がそう言うなら、もちろんだ。
だが、何を……」
「ありがとう、ごめん、ちょっと黙って……」
普段のレティの面影などどこにもない支離滅裂な様子に、王子も動揺しながら。
レティが、ブツブツと呪文を詠唱するのを、眺めるしかなかった。
呪文を、唱え終わって。
浮かぶのは、絶望的な表情。
「嘘……なんで、なんで……魔力の、せい……?」
ずっと一緒にいた存在だ、探知できないわけがない。
そう思って探知魔術を使ったというのに、存在を確認することが、できない。
エリーがいるであろう辺りの、魔力炉の近辺は濃密すぎる魔力が充満していて……ノイズ以外拾うことができないほどに、魔力が乱れて飛んでいた。
場所さえわかれば、跳べるのに。
がっくりと膝をついて、天を仰ぐ。
もう、無理なのか。
いやだ。
いやだ。
いやだいやだいやだいやだいやだ!!!!!
「うあああああああ!! エリー!!!」
悲痛な叫びが、響き渡った。
---かつて、『雷帝の庭』であった場所
……どれくらい時間が経ったのだろう。
ずきずきと痛む頭、霞む目。
あちこち痛む体は、指一本動かすことができない。
魔力炉の暴走による爆発に巻き込まれたエリーは、奇跡的に、まだ、生きていた。
そう、まだ、だ。
幸か不幸か、直撃には耐えられた。
部屋の隅まで吹き飛ばされ、魔力炉から未だ漏れ出る魔力に晒される影響も、最小限で済んでいる。
あくまでも、この状況での、最小限だが。
「……これ、どっちがましなんでしょう、ね……。
自動修復機能……まだ、生きてる、けど……」
エリーの体の中には、ある程度のダメージならば自動的に修復する機能があり、それが今も動いてはいる。
だが、身体を蝕む魔力によるダメージは、じわじわ火傷のように体を蝕み、広がって。
修復する速度よりも、傷む速度の方が早い。
つまりは……じわじわと、真綿で首を絞められるように、追い詰められていっている。
外に出れば恐らく回復はできるが、動くことは、最早できない状態で。
当然、人間が助けにくれば魔力に焼かれて二次災害を引き起こす現状。
助けは期待できないし、期待、していない。
「ここまで、かぁ……。
まあ……最低限、では、ある、かなぁ……」
既に視力もほとんど失われているが。その目で、魔力炉のあった方角を見る。
……ぼんやりと、その残骸を見ることが、なんとか、できた。
「ごめんなさい、『ウィスケラフ』……でも……私たちは、この時代にはあってはいけないんですよ……」
ここまでの旅で、少しではあるが今の世界を垣間見ることができた。
昔とは違う形で、それでも、同じかそれ以上に、皆必死で生きていた。
その中で自分たちは……明らかに異質で、その力は強大過ぎる。
歴史の中に埋もれていくのも仕方ない、そう、思えた。
それ程に、彼らの営みは健気で、愛おしい。
その営みを理不尽に傷つける自分たちは、最早無用の長物なのだろう。
……そう、潔く思う自分と。
そう、なれない自分が、やっぱり居て。
「ごめんなさい、レティさん……。
……やっぱり、会いたい、よぉ……」
この時代に出会った、マスター。
自身が道具として使われていたからだろうか、道具である自分を気遣ってくれた、稀有な人。
多分、同類相哀れむだとか、そんな感情が最初だったのだろう。
それでも、二人で過ごした時間、二人でやり遂げたこと、二人でここまで来た、今。
短い時間だったけれど、それでも、積み上げた気持ちや絆は、絶対に紛い物などではない。
……確信できるからこそ。
それが失われることが、とても、惜しい。
願わくば、ずっと隣で。
そう、思っていた、けれど。
「でも、仕方ない、ですよね……。
レティさんを、守るには……これしか、なかったんだか、ら……」
いつの間にか、涙声になっていた。
なんで、兵器である自分にこんな機能がついているのかはわからないが。
それでも今は、そんな機能がありがたく、でも、余計だ。
ただの兵器であれば。こんな感情などなければ。
静かに逝くこともできたであろうに。
……いや、それはきっと。
この気持ちが、それだけ大事だからだ。
失うのが、惜しいと思えるほどに、大事だから。
「いやだよぉ……会いたい、よぉ……。
レティさん……レティさん……」
ぐずぐずと泣きながら、誰にともなく訴える。
だが、その声を聞く者は、どこにもいない。
ずぅん、と腹の底に響くような重い音。
魔力炉が、最後の暴走を始めたらしい。
それに合わせて、部屋の天井も崩落を始めた。
「……終わり、かぁ……。
いやだ……いやだよぉ……会いたい、会いたい、よぉ……」
うわごとのように繰り返しながら。
脳裏に浮かぶのは、大事な、大事な、人。
レティさん。
爆発的に広がる光に飲み込まれながら。
それが、エリーの脳裏に浮かんだ、最後の言葉だった。
……指先から、何かが零れ落ちて。
そして。
次回:掴んだのは、一握の砂
そして、それから。




