大河は血に染まりて
ガギン!ゴギン!と響き渡る、金属と金属のぶつかる音。
怒号が、あるいは悲鳴が、あるいは雄叫びが。
意味を成すような、成さないような咆哮が支配する戦場。
戦闘開始からどれくらい時間が経ったか、経過する時間を物語る、物言わぬ骸が累々と。
むせ返るような血の匂いに、川面まで赤く染まっていそうな錯覚。
人の命がただ無為に浪費される地獄は、まだ続いていた。
数に任せて押し寄せる……いや、必死にイヤイヤと縋りつくような第一騎士団の圧力を受け止め薙ぎ払ってはいたものの。
時間が経てば経つほど損害は増え、数の論理が顔を覗かせる。
バリケードは半壊し、油断すればその隙間から侵入されて。
指揮を執るゲオルグ自身も既に数人敵を切り伏せている。……既にそれ程までに、前衛の厚みは失われていた。
「矢がもうねぇぞ、団長!!」
「ちっ、いよいよかよっ!
両翼、中央に合流!! 最前線を援護、入れ替わって後ろに下がらせろ!!」
そう簡単にできるわけもない、交戦中の入れ替わり。
しかし、それを無理矢理にでもなんとかやってのける、第三騎士団の練度の高さ。
前線を支え続けていた騎士達が、這う這うの体で後方へと下がってくる。
「すまねぇ、団長……」
「良くやってくれた、全員水飲んで、何か口に入れろ!
……こっちこそすまん、ろくに休みはやれん」
入れ替わった騎士達は、前線に張り付いてた騎士達よりはましな疲労度ではあったのだが。
それでも、重いクロスボウの弦を何度も引き、構え、放っていたのだ。
疲労の蓄積は当然ある。
形勢は、傾き始めていた。
「野郎ども!! 矢がなくなったからには、後はもう根性だ!!
根性でしのぎ切れ!!!」
そう檄を飛ばすと、自身も長槍を持って前線へと飛び込む。
団長の加入により、一時的に士気が上がる前線と、ゲオルグの猛烈な槍に晒され怯む第一騎士団。
……しかし、そう長くは保つまい、とはわかっている。
自身が怪我をするか、体力が切れるか、そこまでだ。
それでも、ここまで圧倒的な戦力差を凌いできた部下達の頑張りを無にするわけにはいかぬと、奮戦を見せる。
「……哀れなものだな、ゲオルグ!
団長ともあろうものが、血と泥に塗れて!!」
……いつの間にか、オスカーがほど遠くないところにまで来ていた。
決着が近いと見たか、最後の一押しに来たのだろう。
「うるせぇ、よっ!
お綺麗な顔の腹黒野郎に言われたかねぇやっ!!」
軽口で応戦する間に、二人、突き倒した。
こちらの被害は、50人、を超えただろうか。
開戦当初から半分近くになった前衛の壁を、両翼の部隊が合流して支え直して。
相手方へ与えた損害は既に300は軽く越えているのだが、まだ、終わりは見えない。
いよいよ、か?
そんな言葉がよぎる頭を振って、追い払う。
まだまだだ、と槍を構えなおしたその時だった。
「……あん? なんだ、砂ぼこり……だと?」
遠くに、砂塵を巻き上げながらこちらへと向かってくる一団が見える。
整然と並んだ馬首、揃いの武具、風に翻る旗は……。
「だ、第三騎士団だ!! 第三騎士団の増援が!!」
「何だと?! なぜだ、そんな報告は聞いてないぞ!!」
響いた声に、第一騎士団が動揺する。
その数、およそ700騎。残してきたはずの騎士達、ほぼ全員だった。
動揺で弱まった圧力を見逃すゲオルグ達ではなく、一気に押し返し、態勢を立て直そうとした、が。
「慌てるな!!あちらからならば、これが使える!!」
そう言ってオスカーが掲げた杖に、第一騎士団からは安堵の声が、そして第三騎士団からは。
「くそっ、やめろ!! やめやがれオスカー!!!
お前ら来るんじゃない!!! 止まれぇぇぇぇぇ!!!!」
戦場の喧騒に遮られ、届くはずもない叫びをあげるゲオルグ。
そんなゲオルグへと冷笑を向け、オスカーは後ろを振り返り。
「今度こそ力を見せてもらうぞ、『雷帝の杖』よ!!
我が求めに応じ、その力を振るいたまえ!!!」
既に二度振るわれた力が、三度、振るわれる。
………
…………
……………はずだった。
「なぜだ?!! さっきは使えたではないか、なぜ今!!」
杖の不発に、これ以上なく動揺するオスカー。
まさか。
思わず王城方面を振り返る。
「は、ははっ、ははははっ!!
やってくれたぜ、エリーちゃん!!
こいつは大した大手柄だ!!」
場違いな程に朗らかな笑い声が響いた。
もちろん、ゲオルグのそれである。
「何を、何を言っている、貴様! 何のことだ、誰だ、そいつは!!」
「そりゃぁ、誰ってなぁ……俺らの切り札、とびっきりのかわいこちゃんさ!!」
血に汚れ、泥に塗れた顔は、ギラついた瞳で笑みを見せた。
その迫力に思わず、じり、と後ずさりをしてしまう。
「かわいこちゃん、だと……ふざ、ふざけるな、そんなやつに、こんなことが!」
「ははっ、事実だ、認めろよ。
そうだよ、そんなことが、起こってるんだよ」
一度、言葉を切ると、視線を巡らせた。
……戦う手も、進む足も止めた第一騎士団の騎士達が茫然とした顔で戸惑っている姿が目に映る。
「つまりなぁ、お前のご自慢の『杖』は、もう役立たずってことさ!!
……おい、お前ら、よく聞けよ! そいつに、『杖』の力は、もう、ねぇ!!!!」
オスカーに、続いて、第一騎士団の騎士達に大声で呼びかける。
悔しさに顔を歪めるオスカーと。
何を? と怪訝そうな騎士達。
「わっかんねぇか?!
そいつはもう、お前らを、殺せねぇんだよ!!
お前らを、こっちに追いやれねぇんだ!!」
いまだ手負いの獣のような殺気を放つ第三騎士団の騎士達のほとんど最前列に。
ニヤリと意味深な笑みを見せるゲオルグが見えた。
第一騎士団の騎士達が、一人、また一人、剣を下ろす。
「貴様ら何をしている!!
戦え、戦わぬか!! ええい、この腰抜けどもが!!」
前に出てきているとは言え、まだまだ随分後方から、オスカーが怒鳴り散らし、剣に手をかけていた。
だが、それに向けられるのは冷たい視線ばかりで。
「……これで、殿下が王位をいただいたら、オスカーこそが反逆者だよなぁ。
その首の値段は、高いぜぇ?」
奇妙な沈黙が訪れた一瞬に、悪魔のささやきが静かに響く。
その一言に。ギラリ、と彼らの視線が変わった。
「なっ…貴様ら、何を…まさか…や、やめ、やめろ、上官殺しは縛り首だぞ!!」
「心配すんな、俺が殿下に掛け合ってやらぁ!!」
その声がきっかけとなって。
騎士達が、オスカーへと殺到していった。
その結末を、最早見ることもせずに。
「角笛!! 三度、二度、三度、一度!!
三回繰り返せ!!!」
その指示に従って、角笛が吹き鳴らされる。
角笛の音が聞こえたらしく、増援の騎士達が動きを止め、第一騎士団の背後を突きかけた位置を維持する。
意味するところは。
『敵と距離を置き待機、反撃以外を禁じる』
王国軍内で共通の意味を持つそれは、第一騎士団にも伝わり。
攻撃されないと見るや、次々と投降を始めた。
「……まさか、生き残っちまうたぁなぁ……」
がつん、と槍の石突を地面に打ち立て、それにもたれかかると大きな息を吐き出す。
やれやれ、と首を振ると、王城へをまた振り返った。
少しだけ、安堵の表情を見せて。
「……あん?」
何か嫌な気配に、顔を引き締めた。
そこに居たのは、かつて人だったもの。
いつから、人でなくなっていたのだろう、そんな感慨を抱いている暇もない。
避ける、かわす、転がる。無様に、みっともなく。
次回:人ではなくなった、ナニカ
その先に一筋の光明があるのなら。




