東大橋攻防戦
時刻は少し戻り、場所は東大橋。
ゲオルグ達が築いた簡易陣地の対岸に、ついに第一騎士団が押し寄せてきた。
その数、報告の通り1,000騎ほど。
よく手入れされた鎧の騎士が整然と馬首を並べて整列する様は、敵ながら壮観ですらあった。
その騎士団の中から一人、特に立派な鎧と馬の男が進み出てくる。
「ゲオルグ、同期のよしみだ、そこを退け!
退けば命だけは見逃してやろう!!」
100m程も離れているのに、朗々とした声が響く。
第一騎士団団長のオスカーである。
さすが、指揮慣れしているのか、その声は良く通る。
それに対して、バリケードの向こうから出ることなくゲオルグが叫び返した。
「はっ! お優しいこって!!
ありがたくって涙が出らぁ!」
「……貴様は相変わらず下品だな、ゲオルグ!」
揶揄うような返答に、若干呆れたような声が返ってくる。
同期である二人にはある意味慣れたやり取り。
……もっとも、オスカーの方は好意的な慣れ方はしていないようにも見えるが。
「しょうがねぇだろ、お上品な育ち方をしてねぇんだからよ!」
「……なるほど、そうやって雑談に持ち込んで時間を稼ぐつもりか」
「ちっ、こういうとこだけは聡いなこの野郎」
煽るような言い方に対して、気付いたようなオスカーの落ち着いた様子に、小さく舌打ちをする。
まともにぶつかる時間は少なければ少ない程いい。
敵は5倍の兵力なのだ、まともにぶち当たればそう長くは保たないはず。
だから、少しでも、と思ったのだが…そう上手くはいかないらしい。
だが、腹を括るにはまだ早い。
「なあオスカー、こっちも同期のよしみだ、一つ良いことを教えてやる。
殴り合いで決着を付けようぜ、そんな杖なんざ捨ててかかってこい!!」
相変わらずバリケードの向こうから、芝居がかった仕草でオスカーの持つ杖をびしっと指さす。
……多分、見えている、はずだ。
それに対して、あからさまにオスカーは馬鹿にした顔になった。
「見え透いたどころか、隠す気もないのはどうかと思うぞ?
そんなにこれが怖いか」
「怖いに決まってんだろうが、バッキャロウ!
うわ、こっち向けんな!」
馬鹿にした顔のまま杖を見せつけると、あからさまに慌てるゲオルグ。
無理もあるまい、この杖は……一たび力を振るえば、あんな粗末なバリケードごと、彼らを跡形もなく吹き飛ばせるのだから。
思わずひけらかして脅してしまったが、そんな時間も惜しい。
「もう一度だけ言う。そこを退け」
「うっせぇ、こうなりゃヤケだ、やれるもんならやってみやがれ!」
「……そうか、残念だ。
……『雷帝』よ、我が求めに応じ、その力を振るいたまえ!」
厳かに言いながら、その杖を天に向かってかざした。
……
………
…………
奇妙なまでの静かな時間がしばらく流れた。
……しかし、何も起こらない。
「な、何だ? 何が、どうした?」
思わず杖を見つめ、あちらこちらを確かめるように撫でまわし、ついでもう一度行使する言葉を唱え、天に掲げた。
……やはり何も起こらなかった。
「な、何が……」
「……だ~~~っひゃっひゃっひゃ!!
だから言ったじゃねぇか、杖なんて捨ててかかってこいってよぉ!!!」
神経に触るような下品な笑い声が聞こえてきた。
見ると、ゲオルグがばしんばしんと手をこれ見よがしに叩きながら嘲笑っている。
……実際のところは、この結果が出るまで背中にびっしょりと冷や汗をかいていたのだが。
これが、エリーの言う『雷帝の杖』の明確な弱点だった。
当然、それが本当かどうかは身をもって経験するしかなかったため、今この時まで確信を持てなかったのだが。
だが、それは真実であると証明されて。オスカーの間の抜けた顔を見れば、笑いたくもなろうというものだ。
「ゲオルグ、貴様何をした!!」
「何もしてねぇよ、できるわけねぇだろ。
なんだ、本当に何も教えていただいてないんですかね、オスカー様は!」
呆れたような顔から、ここぞとばかりに煽る煽る。
楽しそうに下品に笑いながら…視線は、第一騎士団の騎士達を観察していた。
……明らかに、予想外のことに戸惑い、動揺している。
「貴様…貴様っ!!
何を知っている、何をだ!!」
「あ~……本当に知らないのかよ。
んじゃ、教えてあげましょうかね」
知っている訳がない。これも、リオハルト王子ですら知らなかったのだから。
もしかすると、女王すら知らないかも知れない。
その情報を、得意げに語って聞かせた。
「その『杖』はなぁ、ご主人様に逆らえないように作ってあるんだよ!
なあ、俺らの後ろを見てみな、何がある?
そんでよ、その『杖』は、どこまで届く?」
「……は? 何、を……後ろ、には……まさ、か……?」
言われてみやれば、その先にあるのは王都の街並み、そのさらに向こう…王城がそびえたっているのが見えた。
そして、言われて考える。
この距離ならば、その気になれば、届いてしまうことに。
「わかったかい?
その杖はな、ご主人様のいる方向に向かっては使えないってわけさ。
ちょうどこっちの方向には、大事な大事な女王陛下がおられるよなぁ!!」
「き、貴様っ、その言い方は不敬だぞ!!」
「いや、今更……不敬にもほどがあることしてんだからよ、ほんとに今更だぜ、それ」
呆れたように返すゲオルグに対して、オスカーは顔を真っ赤にしながら、言い返すことができない。
そう、これが今回の作戦で少しでも早く先に王都に付きたかった理由だった。
それができた時とそうでない時で、まるで条件が違ってしまうのだから。
ちなみに、もちろん届くはずもない遠い距離であれば、王都方面に向かって構えても『雷帝』は発動していた。
そのため、王都近辺で振るうことのなかったオスカーは知らなかったのだ。
無論、『杖』を振るったことがない女王も、これは知らなかったはず。
知っていたのは、エリーただ一人だったのだから。
「さあ、どうするね、オスカー。
ちょいと周りを見て考えてみな?」
「は? 何を……っ?!」
言われて周囲を見回したオスカーは、驚愕した。
自分の周囲を固める騎士達が明らかに動揺して、戦意が格段に下がっていたからだ。
「そりゃまあ、そうだ。
お前ら今まで『杖』ありきで戦ってきたし、今日もそのつもりだったんだろ?
今日死ぬつもりで来た奴、どんだけいるよ!!」
そう、煽りの言葉が飛ぶと。
馬鹿にされた、と憤るものはほとんどいなかった。
大半が、目を反らし顔を伏せて……その様子に、さらにオスカーは愕然とする。
本来第一騎士団は先鋒を務める精鋭であり、その地位は近衛騎士団とも対等であった。
だが、『杖』を授かり向かう所敵なし、ほとんど損害を出すことなく勝利を収めるようになってから変わっていくことになる。
つまりは、侵攻の急先鋒でありながら間違いなく勝てる、戦功を挙げられる、と知れ渡り、上位貴族の次男三男が名誉のためにごり押しで入れられるようになったのだ。
高額の寄付金とともにごり押しされれば断ることもできず、それで大きな問題もなかった。
また、さすが上位貴族の子息、聞き分けと理解力と真面目さだけはあるものが多く、訓練は実によくできていた。
現在の第一騎士団は、豊富な資金による立派な装備と、よく訓練だけはされた騎士達の整然とした動きによって、極めて立派な見た目の騎士団となっている。
……だから、気付く者が少なかったのだ。
彼らには、経験と死の覚悟が足りないと。
そして、幾度も修羅場を潜り抜けてきたゲオルグは、そのことを敏感に嗅ぎつけていた。
エリーの情報に乗ったのも、ただの大博打ではない。
勝ち目を見出していたのだ。
「ひるむな! 我らの方が5倍も多いのだ、負けるわけがない!」
「そいつはその通りなんだがなぁ。
……だが、最初に突っ込んできた200人は確実に死ぬぜ、死んでも道連れにしてやるからよぉ。
さあ、……やるかい!?」
一瞬だけ持ち直しそうだったところに、水を差す。
途端に尻込みし、後ずさりを始める第一騎士団。
それを見て、愕然としていたオスカーは……急に何か閃いた顔つきになると、杖を握りなおした。
そして、『雷帝』の力を振るった。
……自らの後方に向かって。
耳をつんざく轟音と、目を焼かんばかりの閃光。
それが終わると、腰を抜かしかけた体勢ながら、騎士達は足を止めていた。
「……下がるな。次は当てる。
私の後ろに向かってならば、杖は使えるわけだ。
……ならば選べ、私に殺される汚名と、前へ進み勝利を掴む可能性を!!」
その言葉の意味するところに騎士達は青ざめ、互いに顔を見合わせる。
聞いていたゲオルグは、「そりゃぁ指揮官として最悪のやり方だ」とぼそりつぶやく。
それでも、騎士達は……確実な死よりは、とオスカーよりも前へと進み始める。
「よし、それでこそ栄誉ある第一騎士団!!
行くぞ、逆賊を討ち取れ!!」
そうして、進軍の合図として杖が前方へと向かって振るわれた。
悲しいくらいの必死な形相で、騎士達は突撃してくる。
ただ、残念なことに、それはどうにも薄っぺらい迫力しかなかった。
橋の三分の二以上を渡っただろうか、あと少しで接敵する、と彼らが思った時。
「「放て!!」」
との号令と。
ひゅぅん、という、複数の音が重なったような、奇妙な響き。
「あぎゃっ!」
「ぐがぁっ!」
「ふ、防げっ、防げっ!」
たちまち響き渡る悲鳴、慌てて盾を構えるよう指示する怒声。
両翼に構えていたクロスボウ部隊の、斜めに交差するように同時に放たれた斉射。
これが銃や火砲で行われれば、十字砲火と呼ばれたであろう射撃。
通常の斉射は部隊の前面に線のように当たるが、斜めから交差するように撃ち込まれるその矢は、最前衛に当たらなければ、その斜め後ろへと向かい、ほとんどの場合いずれは当たる。
結果、部隊に面のように広範囲での損害を生じさせる射撃となるのだ。
「クロスボウだ、すぐに次は撃てん、今だ!」
矢の被害が一旦は収まり、わずかな静けさを取り戻すと、そう指示を出す指揮官の声が聞こえた。
その通りだ、と慌てて彼らが前進しようとした次の瞬間。
「「放て!!」」
再びの号令。
再びの、風切り音。
再びの、悲鳴。
突撃しようとしたところに、再度十字砲火が叩き込まれる。
「な、何、が…?」
目を凝らせば、両翼のクロスボウ部隊の前に出ている人間が代わっていた。
左右両翼に分けていた部隊をさらに二部隊に分け、二度の連続斉射を可能にしていたのだ。
クロスボウは強力である反面、次弾装填に力と時間が必要になる。
それを、一度だけではあるが補うための策だった。
さすがにさらなる次の矢はすぐには撃てない、が。
「嫌だぁ!!死にたくない、死にたくない!!」
「押すな、押すなぁ!」
脅されて進軍してきた連中の出鼻を挫くには十分だった。
足が止まり、後ろからやってくる騎士達と押し合い圧し合いをしていると。
再び響く、雷の轟音。
びくぅ!と震えあがって。
もはや泣きそうな顔になりながら、必死に前進を再開し始めた。
「……ついに、いよいよだな……。
野郎ども!……今更確認するまでもねぇか」
左右で構える騎士達の面構えを見ると、そう安心したように笑う。
いよいよ、接敵する。
つまりは……いかに歴戦の騎士達であろうと、被害は出る。
それを無理やりにでも飲み込んで踏ん張っている、良い面構えばかりだった。
「来るぞ、前衛掛かれ!!
がっつり踏ん張りやがれ!!」
バリケードに取り付きかけた敵へと、長槍が振り下ろされる。
がぎん、ごぎん、と嫌な音が響き、鎧が転がる音がする。
それでも進もうとする相手へと、二列目が突きを入れた。
それを横から支援すべく、何とか弦を引き上げて再準備できたクロスボウ部隊が斉射を放つ。
響く金属音、むせ返るような鉄の匂い。
無慈悲なまでにあっさりと命が奪われていく、この世の、ありふれた地獄がそこに顕れた。
随分とここから離れていた。
流れる時間を感じる程には変わった、しかし懐かしくもある場所。
それを噛み締める時間など、ありはせず。
次回:『帰省』 あるいは似て非なるもの。
「ただいま」と言う暇すらなく。




