溺れるものが掴むものは
重い、あまりにも重い沈黙が部屋を支配していた。
現状で打てる手は、正直無いに等しい。
「……ディアンを暗殺する、という手もなくはない、けど……」
「いや、いくらお前でもそりゃ無理だろ……おまけに、あくまでもこれは推測だ。
本当にそうなった時には最後の手段として、だが……そうでなきゃ、むざむざお前を死なせるようなもんだ」
レティの能力を知らないトーマスにしてみれば、それは本当に最後の最後の手段だ。
また、仮に暗殺に成功したとして……それで第一騎士団が混乱すればともかく、副団長辺りが掌握してしまえば意味がない。むしろ、それを口実に攻め込んで来る、すらある。
となれば、大元……拡大派を止められる、あるいは牽制できるような何かがなければならない。
「……いっそ、第三騎士団に接触しますか?
そこから、リオハルト王子に渡りをつけてもらう、とか」
「そんなことができれば苦労しねぇよ……そんなツテはねぇぞ、流石に」
顎先に手を置いて考え続けていたエリーが、ふとそんな言葉を漏らすも、トーマスは力の抜けた声でそう応じる。
……が。その言葉に顔を上げたレティがエリーの顔を見て、また視線を落として……それから、トーマスへと目を向けた。
「……トーマス。もし仮に、渡りが付けられたとしたら?」
「そりゃぁ……リオハルト王子にも価値のある情報だわな。
正式な命令なしの独断専行で侵略を再開しようってんだ、掴んだら拡大派の行き過ぎと糾弾することもできる。
少なくとも、侵略に待ったをかける意図で第三騎士団をアウスブルグに駐留させてるんなら、その裏をかかれるのを避けられるだけでも小さくねぇだろう」
「ん……そう、だよね……」
ほぼ自分と同じトーマスの意見に、うん、と頷いた。
エリーに視線を向けると、困ったような表情になりながら……止めは、しなかった。
その表情を見ると、同じくちょっと困ったような顔にもなってしまうが。
それでも、トーマスへと向き直って。
「なら……第三騎士団に接触しよう。……賭けだけど、それしか手が見えない」
「いや、そうだが……どうやって、だよ」
「……そこは、私に任せて欲しい、かな……」
「お前を疑うわけじゃないが……おおい、エリーちゃん、こいつを止めてくれよ」
「すみません、トーマスさん。私はレティさんの言うことには逆らえません」
助けを求めてきたところで、にっこり、拒絶。
がくりと肩を落としたトーマスはしばらく何やらブツブツ呟いていたが……力なく、頷いた。
「仕方ねぇ……それしか、もう手がねぇ。
すまん、イグレット……頼めるか?」
「私が言いだしたことだもの……やってみる」
絞り出すような声の問いかけに、あっさりと頷いてみせる。
その反応に、がくりとさらに力が抜ける。
「おいおい、本当にわかってるのかよ……」
「これしか手がないんでしょう?
だったら、やってみるしかないじゃない」
「そう、だが……はぁ~……」
大きくため息を吐き、しばらく考えていたトーマスは、やがてゆっくりと頷いて見せた。
「わかった、だが、本当に無理はするんじゃないぞ?
無理だと思ったらすぐに逃げてこい」
「ん、わかった」
頷くと、音も無く立ち上がる。それに続くようにエリーも立ち上がった。
「……ごめん、エリーはしばらく待機ね」
「そうですね、私はさすがに足手まといでしょうから……」
笑顔を浮かべたまま。エリーは、見えないところでそれはもう口惜しそうに手を握りしめながら、表情には出さず頷いてみせる。
申し訳なさそうに小さく頷くと、扉へと向かって。
「じゃあ、トーマス。行ってくるね」
「ああ、本当に、本当に無理はするんじゃねぇぞ!」
こくり、と頷くと二人は扉の外へと出て行った。
後に残されたトーマスは、その後姿を見送ると、力なく手足をソファに投げ出した。
「あ~……くっそ……こんなことになるなんてよぉ……。
頼むぜ、本当に無事で帰ってきてくれよ……。」
そう、力なく祈るしかなかった。
かつてユーリス伯爵領に属していた、アウスブルグ。
アザールと同様に賑わう街も、深夜ともなれば寝静まる。
第三騎士団の駐留地であってもそれは同様だ。
かつての辺境伯軍の宿舎を接収して使っているそこは、巡回が交代で寝ずの番をしている以外は寝静まっている。
それは、騎士団長であるゲオルグ・フォン・リューンベルドの部屋も同様だった。
扉の前に歩哨が二人立っているものの、彼自身はぐっすりと寝入っていた。
……寝入っているように、見える。
短く刈り込んだ茶色の髪、同じく短く刈り込まれた髭をたくわえるその顔は、いくつか傷跡を残す精悍なもの。年のころは四十手前くらいだろうか。
歴戦の戦士であり、寝ている間であっても不穏な気配があれば、即座に反応し起き上がるだけの練度を持っていた。
持っている、はずなのだが。
……とんとん、と肩を叩かれた。
その刺激に、くわっと目を見開き即座に起き上がろうとする。
が、その口元を掌底で塞がれ、そのまま抑えこまれた。
自分がそこまで反応できなかったこと、抑え込まれてしまう程の技量。
それらに肝が冷える思いをしながら、視線はすぐに相手を捉えた。
自分を覗き込む、女。
月明かりに光る艶やかな黒髪、青白く輝く肌。
見つめてくる瞳はどこまでも静かで、底が知れない。
唇に人差し指をあてているのは、静かに、ということだろうか。
歩哨を呼ぶべきか、と考えて……止めた。
この女は、自分を殺そうと思えば殺せていた。
認めたくはないが、ここまで近づかれる、どころか肩を叩かれるまでされたのだから。
ふと、窓の様子が見えた。緩やかに、カーテンが夜風に揺れている。
いつのまに、窓の鍵を開けて入ってきたというのか……それにすら、気付かなかった。
どうやら彼が声を出さないと確信したのか、女が口を開く。
「……こんばんは。……良い情報があるのだけど、要らない?」
「……は?
……おいおい、最近の情報屋はこんな押し売りすんのかよ」
口を開いた女の言葉に、ニヤリ、と笑ってみせる。
もちろん、内心は冷や汗を流しながらだが、それでもこの女の正体と意図、情報の候補を考え始める。
「そう、だね……急ぎなもので。
……第一騎士団への物資の横流し、興味ない?」
「待て、第一騎士団から、じゃなくて騎士団への?
……どこからだ?」
「それは、お代を払ってもらわないと」
彼女の言葉に眉が跳ね、思わず食いつく。だが、体は、動かさない。
……不用意に動かせば、この女は何をするかわからない。
彼の本能は最大限の警戒を発していた。
だがそれでも、このネタは食いつかないのも惜しい。
そう判断したゲオルグは、頷いて見せる。
「ち、仕方ねぇ……いくらだ」
「お金ではなく……リオハルト王子への渡りをつけて欲しい」
「おい……お前、どこまで知っている?」
「……さあ、どこまで、かな……?」
王子の名を出した途端に、彼の顔色が変わった。
急に鋭くなった瞳に、しかし平然と受け流す。
何も情報を浮かばせないその表情をしばらく観察していたゲオルグは、ふぅ、とため息を付いた。
「わかった、駆け引きしてる場合じゃねぇみたいだしな。
王子への渡りを付けてやる……お前、運がいいぜ?」
諦めたように肩を竦め、レティへと笑ってみせる。
「何しろ、殿下は今、この宿舎にいらっしゃる」
それは、何とも悪戯で楽し気で……獰猛な、笑みだった。
縋る思いで掴んだそれは、藁かはたまた罠なのか。
それぞれの思惑が交錯し、妥協点は見いだされる。
次回:掴んだ手のその向こう
そうして、チップを賭ける場が出来上がる




