国境の街アザール
国境の街アザール。
その名の通り、アザール伯爵家によって治められる伯爵領の街であり、現在は国境として検問のような役割も果たしている。
そのため、街の規模に比べて兵士の数が多く、賑わってはいるものの、どこか剣呑とした空気が漂っていて、街への出入りもウォルスに比べて厳しく見られており、門番の兵士の顔も厳めしかった。
「街へ来た目的は?」
「冒険者ギルドへの届け物。
こちらがその荷物。こちらが私の身分証」
「私の身分証はこちらです」
そのため、アザールの街へ入る前に、事前にダミーの荷物を用意していた。
ギルドカードを二人とも提示したのも大きかったのだろう。
簡単に荷物を検められると、兵士が入っていいと告げた。
荷物を受け取り、軽く頭を下げると中へと入っていく。
「……私もカード作ってて、正解でしたね」
「そうだね……ボブじいさんに感謝しないと」
十分離れたところで、そんな会話をしながら。
兵士と商人の荷車でごった返す大通りを、邪魔にならないよう端を歩く。
「なんだか、険しい顔の人や疲れた顔の人、多くないですか?」
「……言われてみれば……?
戦争が終わって2年経つから、少しは落ち着いたと聞いてたのだけど……」
その割には、行きかう人々の雰囲気はむしろ殺伐としたものがあり、二人は首を傾げる。
そうこうしながら、しばらく歩いて角を曲がり路地裏へ。
少し入ったところに、小さな酒場のような店へとたどり着く。
年季の入った扉をゆっくりと押して入ると、中には数人の冒険者がたむろしていた。
彼らからの無遠慮な視線を平然と無視してカウンターへと進み、受付に呼びかける。
「トーマスはいる?『手紙』を届けに来たのだけど」
「……! ……は、はい、います、少しお待ちください」
ばたばたと慌てて奥へと入っていく受付の娘。
何事か、と冒険者たちの視線が一層強くなるが、レティとエリーは平然としていた。
一分も経たないうちに、奥から娘が戻ってきた。
「ギルドマスターがお呼びです、奥の応接室へどうぞ」
「ありがとう」
さも当然と言わんばかりに奥へと案内されていく。
その様子に何事かを察したベテランらしい冒険者たちは視線をすぐに外し、あるいは若い冒険者へと見ないよう手ぶりで示す。
二人が奥へと案内された後、奇妙な静けさが室内に残っていた。
「ゴースト、久しぶりだな!」
「久しぶり、トーマス」
いかにも冒険者上がり、といった風情の、三十過ぎくらいの大男が二人を迎えた。
普段であれば豪快そのものな男なのだが、その表情には陰りがあり、目の力も弱く、どこか疲れた空気を纏っている。
それでもすぐに、レティの後ろに控えているエリーに気づき、視線をやりながら。
「お前が奥に連れてくるってことは、そのお嬢ちゃんも関係者か?」
「そう、だね……関係者と言えば関係者」
「なんだそりゃ。……ここのところギルドからの定期連絡がないが、それと関係しているのか?」
「ん……それを説明しに来た」
長い話になりそうだ、とトーマスは二人にソファを進め、その対面に座った。
そして、レティが語りだす話を聞くにつれて、眉間に皺が寄り、深まっていく。
ちなみに、エリーのことは協力してくれた魔術師と誤魔化した。
「つまり、ハンスの野郎がバカやったってことか……グレッグも甘いぜ……」
ソファの背もたれに体を預け、天井を見上げながらそうぼやくトーマス。
しばらく何か考え込むように目を閉じていると、ややあって、体を起こしてレティへと身を乗り出した。
「なあゴースト、ってことはお前今、依頼で動いてるわけじゃないんだよな?」
「え? それは、そうだけど……」
「なら頼む、俺からの依頼を受けてくれ!」
悲痛に叫ぶような声でそう言うと、トーマスは頭を下げてきた。
レティは思わずぱちくりと目を瞬かせた後にエリーと思わず顔を見合わせ、それからトーマスへと視線を戻す。
「いきなりどうしたの、トーマス」
「ああ、すまん、俺としたことが……だが、これはお前にしか頼めないことなんだ。
……街の様子を見て、どう思った?」
「……なんだか、ざわついているとは思ったけれど」
「まだ大通りはそれくらいで済んでるがな。
農村部やもっと下町にいけば酷いもんさ」
そうしてトーマスが語ったこの街の現状。
数か月前から、アザール伯爵による徴税が厳しくなりはじめた。
特に、麦や芋といった食料の徴収が厳しくなり、農村部の一部では次の冬には餓死者が出るとすら言われているという。
それだけならば、横暴な貴族の振舞いとしては時々あることではある。
「戦にでも備えて備蓄してるってんならまだ理解できる。
だがな、それだけ集めた食料が、どこにも見当たらない。
どこかに売ったのかと思えば、少なくとも北、東、南への流通量は変わっていない。
……そうなると、集めた食料は、どこに、誰に流された?」
「……まさか。西、に……?」
西のバランディア王国と接する国境の街で、西に食料を流しているとなれば、それの意味するところとは。
それに考えが至ると、レティは思わず眉を寄せた表情になってしまう。
「恐らく、そういうこったろう。
だが、そこから先の証拠が掴めねぇし、正直俺の仕事でもない、が……。
先月、王国から査察官が来たが、どうも大金掴まされて誤魔化されたみてぇだ。
となると、止めるべき人間が止めにくることは期待できねぇ」
そこで言葉を切ると、トーマスは自分の考えを探るように視線を天井へ床へ、とせわしなく動かす。
組んだ指を意味もなく、苛ただしげにせわしなく動かして、しばらく迷っていた後に、口を開いた。
「これで終わるなら、庶民が貴族様に搾取される、よくある光景さ。
……だが、俺はそれで終わるわけがないと思っている」
「……最悪、バランディアを招き入れようとしているかもね……。
食料や、場合によっては金銭を供出して……自分や街の身代金として」
「やつは、アザール伯爵はそんな奴じゃねぇよ。
奴は、自分だけが助かるようにそうしているに決まってる!
そうなったら、この街は……どんな目に遭わされるか……」
歴史を紐解けば時折見かける光景だ。
侵攻しようとしている側が、相手国へと調略を仕掛ける。
あるいは、劣勢の国の一部の貴族が、我が身可愛さに国を売る。
アザール伯爵がどちらかはわからないが、第三者からすれば結果は変わらない。
「逃げればいい、とも思うが……カミさんが、子供を産んだばかりでな……。
産後の体調も良くなくて、子連れでの逃避行なんて耐えられそうもない」
「……だから、今のうちに、と?」
「ああ、正確には……探って、証拠をつかんだ上で、黒ならば、だ」
その言い草に、少しグレッグの残り香を感じて、レティは少し目を細める。
とっくに彼は死んでいる、のに。その名残を感じるとは不思議なものだ。
とはいえ、だ。
「……トーマス。伯爵殺しならミスリル銀貨10枚以上が相場。
おまけにそんな調査まで入るとなると、20枚にはなる。……持ってるの?」
「ぐっ……それは、確かに、ない、が……いや、しかし、仲間だろう?!出せるだけは出す!」
落ち着いた冷たい声でそう尋ねると、トーマスは声に詰まる。
押し切ろうと声を荒げると、静かに首を振って返された。
「仲間だからこそ、だよ……。
私たちは、お金で請負い、仕事と割り切るから殺せる。
感情で殺すようになったら……歯止めが利かなくなる、から」
「それは……わかってる……わかってる、んだ……しかし……」
所詮は薄汚い血塗られた稼業ではあるが。
それだけに、自分で自分を止めるものを作っていなければ、どこまでも堕ちていく。
特に、レティのような存在は、だ。
そのことを、最近妙に意識するようになってきた。
レティの言葉にショックを受け、トーマスはしばらく考えていたが……やがて力なくうなだれる。
きっとこれが彼を悩ませていたのだろう、疲れが深くなったような気がした。
真綿で首を絞められるように、致命的な状況へと向かっていくのがわかっている。
それを止められるかも知れないと思えば縋りたくもなるだろう。
だが、彼とてわかってはいるのだ、ムシが良すぎると。
この状況、ろくにギルドのサポートはない。
そんな中で、伯爵相手に端金で死地に向かわせようというのだから。
「……すまん、わかっては、いたんだ……忘れてくれ……」
「……そう。
ところでね、トーマス。私の話はまだ終わってなかったのだけど……」
そう言いながら、レティはエリーに視線をやった。
その視線に一瞬考えると、すぐににっこり満面の笑顔になって、背負い袋を漁り出す。
「……話?これ以上まだ何かあるのか?」
「うん、とても大事な話」
そうレティが頷くのと合わせるように、どすん、と革袋が置かれた。
いきなりのことに、トーマスが驚いたように目を見張り言葉をなくす。
「……ギルド解散にともなう、分配金。これはグレッグからの指示。
ミスリル銀貨50枚あるはずだから確認して」
「……は?」
突然のことに、呆けたような間抜けな顔を晒してしまう。
震える手を伸ばし、袋の中身を確認すると、確かにミスリル銀貨が入っていた。
……少なくとも、20枚以上は確実に。
「それをどう使うかは、あなたの勝手。
……どうする?」
トーマスは茫然としたような顔で、ゆっくりとレティを見る。
その隣に座る、エリーのにこにことした笑顔を見て。
手元の袋の中身を見て。
……彼女の意図するところがやっと頭に入ってきて。
トーマスは、人目も憚らず大声で泣き叫んだ。
それは、魂の慟哭とも言えるほどに痛切なものだった。
人は自分が見聞きしたものを口にする。
大したことではない、と口が軽くなる。
その価値を、意味を、考えることもなく。
次回:人の口に戸は立てられぬ
砂も集めれば砂金が出る。




