そして高らかに鐘は鳴り響く
カツン、カツン、と硬質な音が響く。
「大丈夫か、イグレット。手順はちゃんと頭に入っておるか?」
「私は大丈夫なのだけれど……ボブじいさんこそ、大丈夫?」
教会の中、聖堂へと続く廊下を歩くレティとボブじいさん。
慣れないであろうヒールの高い靴を履きながら、レティの足取りは普段と変わらぬ几帳面なもの。
対して、そのレティをエスコートする役目、であるはずのボブじいさんの足取りは、どこか怪しい物があった。
「大丈夫じゃ、なぁに、酒は大して効いておらん。
おらんのじゃが……どうも視界が歪んでおってのぉ……流石のわしも、歳かのぉ」
「いや、単に涙のせいだと思うのだけど……」
グシグシと袖で目元を拭うボブじいさんを、レティは少し呆れたような顔で見上げる。
父親代わりにエスコート役をお願いした時、そしていざ待合からこちらへと向かう時に泣かれた時は、流石のレティにもこみ上げてくるものがあった。
ただ、それがここまで延々と、となると、若干冷静にもなってくる。
ここまで喜んでくれることを、もちろん嬉しく思ってもいるのだが。
「これはあれかの、歳を取ると涙もろくなる、という奴かのぉ」
「さあ、それはわからないけれど。多分、そうなんじゃないかな」
応じながら、ボブじいさんの顔を見る。
まだまだ肌つやも良く、とっくに60を越えていると聞くのに、まだまだたくましい。
そんな彼でも、やはり老いは来るものなのだろうか。
彼女が巻き込まれ、彼が首を突っ込んできた例の騒動の時は、決してそうは思わなかったが。
「……ねえ、ボブじいさん」
「ん? なんじゃ?」
唐突なレティの呼びかけに、ボブじいさんが怪訝な顔で見下ろしてくる。
以前は、時におどけたことを言いながらも、それでも裏の世界の住人らしい油断のなさがあった。
だが、今日こうして見る彼の顔が穏やかに見えるのはなぜだろう。
もしそれが、こうして平和になったから、なのだとしたら。
「長生き、してよね」
情報屋として足を洗うことはできないだろうし、これからも公爵の情報源として生きていくのだろう。
それでも、少しでも穏やかに長生きしてもらえたら。
そんな想いとともに告げられた言葉を聞いて、ボブじいさんの歩みが止まった。
「……ボブじいさん?」
どうしたのだろう、と見上げれば、全力で何かを堪えるように顔をくしゃくしゃにしているボブじいさん。
だがそれも、ほんの数秒のこと。
「うおおおぉぉぉぉ!!」
堪えきれなくなった感情と共に涙をぼろぼろと零し、虎の咆吼にも似た叫び声を上げながらボブじいさんは天井を見上げた。
その程度では堪えきれず、幾度も袖で目元を拭うも追いつかない。
対処に困ったレティがハンカチを差し出し、などするが、かえって声が大きくなる始末。
結局、ボブじいさんが泣き止むまでに随分と時間を使うことになってしまった。
「全く、じいさんのせいで随分皆を待たせてしまったじゃない」
「うう、それは面目ないのじゃが……半分はお前さんのせいじゃぞ」
どうにか落ち着いたボブじいさんは、大きな身体を縮こまらせながらも、言い返すべきは言い返す。
何しろ、収まりが付かなくなったのは、レティのあの一言のせいなのだから。
その一言でああなってしまった辺り、やはり涙腺が弱くなってしまったのもあるのかも知れない。
「じゃが、これはこれで良かったのかも知れん」
「え、これだけ遅刻しているのに?」
「いや、それは申し訳ないんじゃがな」
等と言い合いながら、二人は聖堂の入り口の前に立ち並んだ。
「……こんだけわしが恥を晒したんじゃ、この後お前さんが仮に何かやらかしても、誰も気にせんじゃろ」
「なる、ほど……? それはそう、なのかな……?」
若干納得していない顔で聖堂内へと踏み入れれば、ニヤニヤとしたドミニクの顔が目に入った。
その視線が真っ直ぐボブじいさんへと向かっているのを見れば、納得もする。
リタはもちろんトーマスの視線も向かっているのだから、大体の人には聞こえてしまったのだろう。
そんな会場の反応を見て、ほっと肩の力が抜けた気がした。
自分でも気付いていなかったが、やはり緊張はしていたのかも知れない。
「これなら、大丈夫そうじゃな」
「そう、かもね」
泣きはらした目をしているものの、隣で笑うボブじいさんは随分と落ち着いていた。
先程までのあれは、わざとだったのかそれとも。それを問いただすのも無粋だ、とレティは顔を聖堂内へと向けた。
ステンドグラスに飾られた聖堂は、そこから降り注ぐ春の日差しに柔らかく照らされている。
視線を横に動かせば、決して数は多くないけれど、大事な人達が揃って参列してくれているのが見えた。
レティに気付いたのか、一斉に視線が彼女へと向かう。
参列する皆が皆、一様に嬉しそうな微笑みを見せてくれているのが、胸の奥に響いた。
暖かい。照れくさい。嬉しい。
今まで知った感情が、いくつも胸の奥で、頭の中で巡る。
クラクラ、どこか夢見心地な茫洋の中、キラリ、輝く物が見えた。
弾かれるようにそちらを見れば、世界で一番大事な人がそこにいた。
聖堂を挟んで反対側にある入り口に、マチルダに手を引かれて現れたエリー。
黄金色の髪は春の日差しを受けていつもより優しく輝き、その身を真っ白なプリンセスラインの花嫁衣装に包まれた姿はいつにもまして愛らしい。そして、愛しい。
「……女神かな?」
「気持ちはわかるが、ちと落ち着かんかい」
思わず零れた言葉にボブじいさんが窘めるように言うが、その言葉はほとんど聞こえていない。
エリーもレティに気付いたのだろうか、視線がレティを捉え、驚いたように見開かれて。
そして、恋する乙女そのものの、いや、もっと濃厚で濃密な感情を込めた、蕩けるような笑顔を見せた。
直撃を受けたレティは、思わずボブじいさんにしがみつく。
「お、おい、イグレット、どうしたんじゃ?」
「な、なんでもない……ちょっと、緊張が足腰にきただけ……」
そう誤魔化しながら、何とか意識を保ってエリーの方へと向き直る。
これから、こんな表情を見せるエリーと一緒に暮らすのだ、これくらいで腰砕けになっている場合か、と自身を叱咤し、一歩前へと踏み出した。
二歩、三歩、足は確かに動く、と確認すれば、ボブじいさんから手を離した。
一瞬だけ寂しそうな顔になったボブじいさんは、すぐに笑顔になってそのまま数歩付き添い、途中で足を止めた。
そこから先は、レティ一人が歩いていく。
先に、『旦那様』側であるレティが聖堂の中央にしつらえた祭壇の前へと進み出た。
僅かに遅れて、エリーも同じく祭壇の前へ。間近の距離で見つめ合えば、またクラリと来てしまうが、なんとか耐える。
そしてレティが手を差し伸ばせばエリーがそっと握り返し、互いに小さくうなずき合うと、祭壇へと二人、向き直った。
二人の視線を受けて、祭壇に立っていた式を執り行う司祭……に扮した大司教が、小さく咳払いをした。
「それではこれより、イグレット、エリー両名の結婚の儀を執り行います。
両名とも、今一歩前へ」
開式を告げる司祭の声に、参列者が居住まいを正し、言われたとおりにレティとエリーは一歩前へ進み出る。
交互に二人の顔を、表情を微笑ましげに見やった大司教は、ゆっくりと口を開いた。
「創造神アマーティアは、万物を生み出したがゆえに、万物を愛してくださいます。
そしてその慈愛を受け、互いに互いを敬い、慈しみ、愛し合う行為を尊ばれ、我々の為すべきこととしてお喜びになられます」
訥々と、教典の一節をただ語りかけてくるだけ、なのだが、なぜかその言葉がやけに染みこんでくる。
今日が二人の特別な日だからか、それともこの大司教の為せる業なのか。
よくはわからないが、自分が胸の内に抱えていたエリーに対する気持ちに、今改めて形を与えられた気がした。
好き、はもちろんある。だが、それだけではない。もっと様々な、あふれ出てくるような感情。
今まで、色んなエリーを見てきた。色んな感情を抱いてきた。
その全てを受け入れられたようなこの感情は、きっと。
「あなた方の前には、慈愛の恵みがありましょう。時に試練の雨もありましょう。
ですが、共に手を携え歩むならば、あなた方の前に道は開けます」
当たり前だ。もう絶対に、この手を離さない。
そんな決意を込めてエリーの手を握れば、エリーもまた握り返してきた。
隣を見なくてもわかる。エリーも、笑っている。
レティ自身もまた、どうしようもないくらい笑顔になっているのが自覚されて、仕方が無い。
「ここに、一つの誓いを立てていただきましょう。
常にアマーティア様からの恵みを分かち合い、試練も共に耐え、互いに支え合いながら歩み続けることを誓いますか?」
問いかけに、自然と唇が動いた。
「「誓います」」
目配せでタイミングを合わせることすらなく、二人の言葉が同時に紡がれる。
そのことに気付いて目を合わせ、互いに微笑み合う。きっと、大丈夫だ。
そんな確信を、今更ながらに覚える。
「ここに二人の誓約がなされ、新たな家族が生まれました。
二人の新たなる旅立ちに際して、祝福の言葉をいただきたく思います。
それではゲオルグ・フォン・リューンベルド閣下、お願いいたします」
大司教の言葉を受けて、ゲオルグが苦笑しながら頭を掻き、隣に座るリオハルトへと小さくぼやいた。
「ったく、なんで俺なんですか……陛下がやればいいでしょうに」
「それはできないよ、何しろ今の私は、彼女らの友人である新米騎士、レオン・ヴァーチャーフィールドだからね」
最早この会場にいる人間で知らぬものはいないが、一応お忍びの身。
まして当のリオハルト自身がそのことを楽しんでいるのだから、これ以上ゲオルグがどうもこうも言えはしない。
大きくため息を吐きながら、祭壇の横へと歩み出る。
「あ~……ご紹介にあずかりました、ゲオルグ・フォン・リューンベルドです」
身分を明確にしている人間の中で、伯爵位を持つ彼がこの場で一番位が高いことにはなる。
だが、王族が列席していることがわかっている中で、いつもと同じ口調で話せるほど、ゲオルグも神経が太くない。
結果として無難すぎるところを狙ってみたのだが、それがかえっておかしかったのか、リオハルトが遠慮も容赦も無く吹き出した。
いや、レティやエリーも口元を押さえていたりするが。
そんな反応に一瞬ジト目になるも、何とか持ち直したゲオルグは言葉を続ける。
「え~、イグレットとエリーの二人とは、まあこないだの戦やらで色々あった戦友なんですがね。
戦友って言いながら、一方的に助けられてばっかな気もしますがねぇ」
がしがしとゲオルグが頭を掻けば、護衛の騎士達やリオハルト、バトバヤルが爆笑した。
逆にマチルダやテオなどは、目を丸くしているのだが。
「ねーちゃん達、そんな凄かったの……?」
「いや、噂は聞いてたけど……ほんとだったんだねぇ……」
母子がそんなことをささやき合っているのを横目に、ゲオルグの言葉は続く。
「特にイグレットの判断力ったらない。その上エリーはそれを的確に汲み取って動けるときた。
二人組って中じゃぁ、この二人以上ってなぁそうはいないでしょうよ」
その言葉に、ナディアとジェニー、ツェレンが力強く幾度も頷いていた。
ドミニクも笑みを浮かべながら否定はしていない。個人でと言われれば異議も出たかも知れないが。
「そんな二人が、前代未聞の家族になるってんだが、まあ前途は明るいでしょう。
そんでもまあ、なんか困ったことがあれば、遠慮無く頼ってくれよ。
借りてるもんが山ほどあるんだ、ちったぁ返済しておかねぇとな」
その言葉にレティとエリーは驚いたように目を丸くし、リオハルトやバトバヤル、ナディアは苦笑する。
この負債を返すことはできるのだろうか、そんな心配すらしているのだが、当の二人だけがその重さをわかっていない。
「色々あるだろうが、幸せになれよ。応援してるし、手助けもするからな」
そう言うと、ゲオルグが頭を下げれば、それを受けて拍手が起こる。
それぞれが思い思いに、祝福と、激励を込めて。
やがて聖堂に響き渡るほどの大きな拍手になって、しばらく。大司教が手を挙げて、拍手を止めた。
「参列いただいている皆様からも、この婚姻に対して十分なご支持をいただけたようです。
それでは最後に、契りの口づけを」
その言葉を受けて、レティとエリーはその場で互いに向き合った。
見つめ合えば、それだけで照れたように頬が赤くなってしまう。
「ね、エリー。幸せになれ、だって」
「もちろん、幸せになりますよ。私達二人で」
「そうだね、私達二人で」
例えば、出会えなかったとしたら。
いつまでも道具として使われていただろう未来。
永遠に施設の中で眠っていただろう未来。あるいは望まぬように使い潰された未来。
そんなものは、もう影も形も見えはしない。
輝くような未来が、エリーの瞳の中に見える。
「エリー」
「はい?」
「すごく綺麗。きっと、世界で一番綺麗だよ」
「……嬉しい。私、レティさんにそう言ってもらうために生まれてきたのかも知れません」
レティの言葉に、気付けば涙が浮かんできていた。
時にその存在意義を訝しんだこともある機能だが、今はそれがありがたい。
言葉の代わりに想いの籠もった涙を流しながら、エリーは微笑んだ。
「レティさんだって、すごく綺麗です。間違いなく、世界一綺麗です」
「……もう、エリーはいつもそうなんだから」
いつだって、彼女は真っ直ぐに気持ちを向けてきてくれた。
だから自分の何かが動き出した。そして、今の自分がいる。
「私が綺麗だとしたら、それはきっと、エリーのおかげだよ」
「だったら、私が綺麗なのも、レティさんのおかげです」
互いに互いを褒め合うのも、今日この日くらいは許されるだろう。
何しろ、世界で一番幸せでも許される日なのだから。
「じゃあ、エリー」
「はい、レティさん」
レティの言葉に、エリーが目を閉じた。
ああ、やっぱり綺麗だ。今更ながらに、そう思う。
その綺麗な彼女が自分のものになり、自分が彼女の物になる。
何とも甘美な幸せを感じながら、レティはそっとエリーと唇を重ねた。
途端、それに合わせて大きく鐘が鳴り響く。
幾度も幾度も、音高く、暖かく。
二人の行く先に幸多かれと、願い歌うように。
「さあ、ここに新たな契りが結ばれました。皆様、どうか祝福の拍手を。
創造神アマーティアのご加護の元、二人の行く先に幸いあらんことを」
大司教の言葉を受けて、レティとエリーは振り返り、手を改めて繋ぎなおした。
そして、一歩、また一歩祝福を受けながら外へと向かっていく。
扉の向こうに広がるのは、暖かな春の日差しに彩られた街並み。
まぶしいものを見るかのように、レティは手をかざしながらそれを見やった。
「じゃあ行こうか、エリー」
「ええ。どこまでだって一緒ですよ」
「うん。きっとエリーと一緒なら、どこまでだって行けるものね」
晴れやかな笑みを交わすと、二人は揃って一歩を踏み出した。
道具として育てられた少女と、道具として作られた少女は今、ただの人間として歩き出す。
きっと、夢のように幸せな日々へと。
※これにて結婚式編は終了となります。
今後はまた不定期に短編を上げていこうと思いますので、よろしくお願いいたします。




