初夏の喧噪
その日、クォーツの街はざわついていた。
冬に起こったガシュナートから、そして南部連合からと立て続けに起こった侵攻を凌ぎきってから数ヶ月。
春も終わり、季節は初夏。適度に涼しく、肌寒くも無い季節。
クォーツの辺りは乾燥しやすい内陸部ではあるものの、湖のおかげで湿度が適度に保たれているため、特に過ごしやすい。
そのため、この季節に商売がてら、用事がてら旅行に来る者も少なくはない。
少なくはない、のだが。
「……なあ、さっきの方、リオハルト陛下じゃなかったか?」
「やっぱり、そう思うか? 隣にいらっしゃったのはリューンベルド閣下だよな、多分」
昼前の大通りを歩く二人連れの商人が、背後をちらちらと窺っている。
彼らが通り過ぎたばかりの場所に居たのは、騎士と思しき一団。
その中に一人、やけに人目を引く青年がいた。
初夏の日差しを受けて軽やかに輝く金の髪に涼しげな蒼い瞳、芸術家の手によって造形されたかのように整った顔立ち。
傍目には細く見えるが、軽装とはいえ騎士の着る金属製の鎧を苦も無く着こなし、落ち着いた佇まいを見せている。
その隣に居るのは、中年、と言っていい年かさの男性騎士。
短く刈り込まれた茶色の髪と、その顔を縁取る髭。
親しみのある表情を見せては居るが、その表情に刻まれているのは歴戦の重み。
重みのはずだが、今はそれが、若干剥がれていた。
「……陛下、今の商人達にも気付かれたようですが」
「う~ん、おかしいね。お忍びだからと、ちゃんと変装したつもりだったんだけど」
小声でご注進するゲオルグに、リオハルトは不思議そうに首を傾げ、自分の身体を見下ろした。
幾度か実戦でも身につけたその鎧は、確かに彼に馴染んでいる。
少なくとも、いかにも変装でござい、と浮いた様子はないはずだ。
そして、それについては、ゲオルグも首肯する。
「ええ、確かに変装というか、青年騎士として不自然ではないお姿だと思いますよ」
「そうかい? それなら良いんだけれど、しかし、だったらどうしてバレるんだろうね?」
と、また不思議そうに首を傾げれば、今度は周囲の女性達がざわついた。
理知的でキリッとした美青年が、不意に油断したような仕草を見せたのだ、反応してしまう者はいてもしかたあるまい。
そんなリオハルトと周囲をちらちらと眺めたゲオルグは、小さく息を吐き出す。
「……陛下のお顔が良すぎるからじゃないですかね」
「そんな事を言われても、生まれ持った顔はどうしようもないしねぇ」
などと言いながら、自身の顔を右手で撫でさする。
その仕草すら人目を引いてしまうのだから、ある意味罪深い。
「いっそ、仮面でも付けてきますか」
「それも面白そうだけど、今度は別の意味で目立つよね?」
言い返しながらも、リオハルトは満更でもない顔だ。
これは、いつかほんとにやるな。
ゲオルグは心の内側でそう思うも、流石に口には出さない。
「確かにそこまで目立てば、イグレット達が人知れず逃げ出しかねませんな」
「そうなったら、本末転倒もいいところじゃないか。やっぱり、これで行くしかないよね」
そう言って、爽やかな笑みを見せる。
もちろんゲオルグは、彼が爽やかな貴公子というだけではないことをよく知っている。
しかし、当然周囲で見ている女性達はそうではない。
「……まあ、そうするしかありませんがね」
その結果、どれだけ罪深い行状を重ねることになるのか。
それからも、ゲオルグは目をつぶることにした。
「ここまで来ると、随分肌寒く感じるものですね……」
「むしろ人間の生息環境としては適した気温。……姫様、寒い?」
隣を歩くナディアが僅かに身震いしたのを感じたのか、くい、と手を引きながらジェニーが声を掛ける。
その言葉にはっとしたナディアは、すぐに笑顔を向けた。
「大丈夫です、ジェニーが心配してくれたおかげで、暖かくなってきました」
「……私が声をかけただけで? 理解できない……けど、確かに少し体温が上がっている」
そう言いながら、繋いだ手の感触を確かめ、ナディアの顔色を確認する。
この分ならば、恐らく大丈夫そうではあるけれども。
「姫様はもう少し厚着した方がいいかも」
そう言いながら、もう一度手を握り直す。
元よりあまり体温の高くない彼女の手は、先程よりはましだが、それでもまだ冷たい。
少し心配になって、握る手に力が入ってしまう。
ナディアは、そんなジェニーの気遣いが嬉しいのか、嬉しそうに手を握り返した。
「ふふ、そうですね、そうかも知れません。
でしたらジェニー、あそこの服屋で上着を選んでもらえませんか?」
そう言いながら、ナディアは空いた手で一件の服屋を指さした。
王族であるナディアが入るなどとんでもない、一般向けの服屋。
しかし今はお忍び、庶民的な服装をしているから、誤魔化せるはずだ。
本人は、そう思っている。
残念ながら、リオハルト同様まるで隠せていないのだが。
そんなナディアのお願いに、しかしジェニーは首を傾げた。
「選んでと言われても、私は服の善し悪しなんてわからない」
兵器として作られ、人間らしい生活などまだ一年にも満たないジェニーからすれば、そのハードルは高い。
若干尻込みするようなその態度、表情に『それもまた可愛い』などと煩悩に塗れたことを思うのだが、ナディアはおくびにも出さない。
「大丈夫ですよ、善し悪しだとかではないのです。ジェニーが選んでくれた、そのことが大事なのです」
「……そういうもの?」
揺るぐこと無い自信と慈愛に満ちた表情で言われ、ジェニーは早速ぐらついた。
それもまた可愛い、などと思いつつナディアはこくりと頷く。
「ええ、もちろんです。ですから、大丈夫ですよ」
「わかった、それなら……」
ジェニーが頷けば、ナディアはそれはもう満足そうに微笑みながら、服屋へと向かう。
その背後に目立たないようにしながら付き従う護衛達は、また始まった、とため息を吐きながら後を追った。
「ふ~む、流石クォーツ、知られざる銘酒がそこかしこに、ですね」
商人のルドルフが、ブツブツと呟きながら酒屋で品定めをしていた。
クォーツの街はバランディア王都に近く、南に行けば国境都市のコルドバがあり、湖を利用しての水運で西や北にも通じているため、流通拠点の一つとして機能している。
そのため、例えば街の酒屋であっても、他国の珍しい酒が入っていることも少なくない。
当然それは、ルドルフのような目利きの商人には願ってもないものだった。
例えば今彼が手にした、北方で作られている蒸留酒。
酒精は強いが、味にクセが無く飲みやすいため、様々な地方で喜ばれる。
例えば、風吹き抜けるがゆえに肌寒くもある草原など。
「お、いい酒が置いてあるじゃねぇか」
どう売ろうか考えていたルドルフの背後から声が掛かる。
品定めに没頭するあまり邪魔になってしまったか、と少し身体をずらして後ろを振り返った。
「これはこれはお目が高い、このお酒は……はい?」
和やかな笑顔で商人トークを始めそうになったルドルフが、硬直する。
振り返って目にした顔は、彼も知っている人物のもの。
しかし、ここにいるわけがない人物のもの。
「バ、バトバッ、ムグッ!?」
その名前を思わず口にしそうになったところで、いかつい手で口を塞がれた。
にや~と、悪戯が成功した少年のような笑み……というにはもう少し意地の悪い笑みを見せると、ルドルフが少し落ち着いたとみたか、手を離す。
「よぉルドルフ、久しぶりじゃねぇか」
「お、お久しぶりです、ええと……その、はい」
その服装や様子から、どうやらお忍びに近い形で来ている、と推察して、名前を呼ぶことはしない。
未だ動揺はしているものの、何が起こっているのか、と頭の中を落ち着かせようとすれば、また声がかかった。
「すみませんルドルフ様、父がご迷惑をおかけして」
「ははっ、災難だったねぇ、ルドルフの旦那」
一つは、申し訳なさそうな若い女性の声。もう一つは、実に楽しそうな年配女性の声。
馴染みのある声に、しかしまたルドルフは目を白黒とさせた。
「なっ、ツ、お、お嬢様に、ドミニクさんまで!? 一体、なんでどうしてこちらに」
ツェレンの名前を呼びそうになって、そこで慌ててアドリブを効かせる辺り、流石と言っていいだろう。
それでも、流石になぜ彼ら、コルドールの王族達がここに居るのかは理解できなかったが。
「ん? お前さんも同じ用事で来たんじゃねぇのか?」
「はい? 私の用事……え、まさか皆様も?」
バトバヤルからの問いに、ルドルフはらしくもなく、口をパクパクとさせる。
「まさかってこたぁないだろ、一応あたしゃあいつの師匠なんだしさ」
「わ、私は一応、妹弟子、ですし……」
ケラケラとドミニクは笑いながら。ツェレンは少し申し訳なさげに。
「んでもって俺は、恩人のためにはせ参じたって訳だ」
わははと豪快に笑うバトバヤルの姿に、ルドルフは腰が抜けそうになっていた。
だが、この日クォーツで一番ざわついていたのは、教会だっただろう。
「だ、大司教様がいらしたぞ!」
「新教会の発足から数ヶ月のお忙しい時期に、まさかこんな街にいらっしゃるとは……皆、失礼の無いように!」
バタバタと、司祭や神官達が出迎えの準備に走る。
その中の一人が、思わずぼやいた。
「なんだって、こんなとこまで大司教様がいらっしゃって執り行うんだ……結婚式なんて」
そのぼやきは、喧噪の中にかき消えていった。
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