瓦礫の聖堂
そして、その夜。
アマーティア教主国の王城でもある大聖堂、その中央祭壇の前で、教皇アウグストは震える拳を握りしめていた。
「何が起こった……何故ジュラスティンの小娘が、ビーストテイマーからドラゴンテイマーに進化している……。
挙げ句、派遣した竜族が全て小娘の支配下に入っただと……?」
それは、誤算も誤算、大誤算だった。
一頭でもジュラスティン王都を落とせるであろうエルダードラゴンが三頭、さらに若いドラゴンも入れれば二桁の数を派遣した。
それが、まさか全て敵の戦力となってしまっているのだから、怒りも覚えようというもの。
おまけに、悪い知らせはさらに続いていた。
「ガシュナートの王都に、マナ・ドールが陣取っている、だと……?
何故だ、あの人形はろくに稼働できる状態ではなかったはず」
『神託』を通じての情報に、アウグストは首を捻る。
ガシュナートで発掘されたそれは、彼にとってさして興味を引かれるものではなかった。
それは、かつて『魔王』が活動していた時代にも存在し、それなりには煩かった。
とはいえ、精々が蚊とんぼ程度のものだったが。
おまけに、状態も悪く幾度もの実用に耐える状態ではない、と報告されていたのであれば尚更だ。
その時、何故かそのマナ・ドールそのものの情報は『神託』から入っては来なかった。
彼にとっては取るに足らない人形、と気にも留めていなかったのだが。
それでも、ガシュナートを取り込むには使える、と『マスター・キー』を与えるようにしてやった。
ゴラーダの性格を考えれば、使えるようになった玩具をこれ見よがしに使うだろう、と。
その予想自体は当たっていた。その結末は、予想外だったが。
そして、ガシュナートが敗北したと聞いて、当然マナ・ドールはろくに使えず壊れたのだろう、と考えていた。
それが、ガシュナートを落とせない最大の要因として今、立ちはだかっている。
何故、に心を囚われたアウグストは、その来歴を辿っていく。
それを今更知ったところで、打つべき手に影響を与えないと気付くこともなく。
「幾度もの実戦使用に耐えている、だと……その上何故、劣化していくばかりであろう遺物が、むしろ性能を上げているのだ」
ジェニーの性能が上がっている、その理由はまだ周知されていない。
ナディアが心からの整備を施した故に、ある程度良好な稼働状態を維持されていることも知られていない。
ゆえに『神託』もまた、アウグストに答えを与えてはくれなかった。
今となっては忘れ去られてしまった記憶。
『魔王』に抗おうとした人々が生み出したマナ・ドールの強化策が、今になって実を結んだなど、彼には知る由もない。
彼にとってそれは、とっくに過ぎた過去であり。
多くの人にとっては、その存在を知ることすらないことだから。
だから今、知らぬ間に、彼の喉元に迫っている。
「これだけの数を相手に、未だ稼働できているなど……であれば、数を頼みの力攻めなど、愚の骨頂ではないか」
彼にとっては取るに足らない存在であったマナ・ドール。
しかし、それが他の者にとってはそうではない、くらいのことは流石に認めている。
特に戦略級ともなれば、数をなぎ払うのに適したカテゴリだ。
散開させて攻撃回数を増やさせてはいるが、故障もしないままでは、こちらの損害が増えるだけであることは想像に難くない。
ならば、いっそ自身で出向くか。
それは、未だに躊躇われた。
彼の『神託』には、この場でしか十全に使えない、という制約があるからだ。
「我が出るのが一番だが、ここを離れれば『神託』が限定的になる。
全てを蹴散らせばいいだけだが、しかし……」
戦略というものに執心していなかった彼だが、戦争は敵をただ倒せばいいだけのもの、ではないことは流石に理解している。
国王であり教皇であり、『魔王』である彼が出向くこと、そしてその間に情報収集能力が一気に落ちることの弊害も、理解していた。
だが、ことここに至れば、それもまた選択肢の一つに入ってくる。
とはいえ、まだその選択は後回し。今はまず、退却なりさせて態勢を整えさせるべき、なのだが。
「誰かおらぬか。……くっ、おらぬ、か……」
振り返って、誰も居ない聖堂の中で舌打ちをする。
刻一刻と塗り替えられていく情報、覆される予言。それに合わせて出していく指示。
その指示を伝えるために部下は次々と退出し、あるいは日も落ちたからと場を辞した。
結果、今ここに居るのは彼一人である。
この非常時に、彼、一人。
非常時だとわかっていないのか、非常時だからこそなのか。
それを天秤にかけていること自体がまた、彼の苛立ちを煽って仕方ない。
「どうしてこうなる。一つ二つ『神託』が外れた程度では、こうはならぬ。
一つのズレが次のズレを呼び、それが連鎖している……何故だ、何故そうなっている」
何故、と問うた時、一つの可能性が脳裏に浮かんだ。
それは、『神託』とは違う彼の直感。
普段ならば一笑に付すような思いつきが、どうにも気になって仕方が無い。
だから彼は、『神託』を通して、あの女が通ったであろう道筋を追いかけた。
「あの女が居た場所は……待て、なぜコルドールにあった巡礼手形が、今、この街にある」
ほんのつい先ほどまで、大して意識していなかった。だから、掴むことができなかった。
あるいは、このしばらくの間、それが認識できていなかった。
コルドールの王都で鹵獲されてしまった巡礼手形。
強力である反面、敵方の手に渡り悪用されれば面倒なことになるだけに、彼は『神託』で全ての巡礼手形の行方を定期的に把握していた。
そして、コルドール王都のそれも、つい先ほどまではそこにあった、はずだった。
それなのに、今、それがこのアマーティア王都にある、と『神託』は示している。
「どういうことだ? いや、それ以前に。
何者かが手形を使って、潜入している?」
そこに考えが至り、背筋に何か冷たいものを刺し込まれたような感覚を覚えた。
それが、なんのためにここに来たのか、想像に難くない。
普段であれば、刺客の一人や二人、恐れることなどあるわけもない。
だが、今迫り来るその存在は、彼の『神託』が認識できない存在である可能性が高い。
未知なるその存在に、さざ波のように生まれてくる感情を、彼は無理矢理握りつぶす。
「いや、構わぬ。王都に入れたところで、ここまで来ることなどできるわけがない」
この聖堂には人がいないが、大聖堂の警備に抜かりはない。
夜目の利く魔物の類いも多数配置しているのだ、それらを掻い潜れるものなど。
「残念ながら、来れてしまったのだけれど」
あり得ないはずの声が、響いた。
聞き覚えのない、女の声。冬の夜の空気よりも冷ややかなそれに、アウグストは慌てて振り返る。
そこに居たのは、長い黒髪をした細身で黒ずくめの女。
そしてもう一人、緩やかに波打つ金髪の、青と白を基調にしたローブの女。
見覚えのない顔、敵対的な表情。この二人が、侵入者であることは明確だった。
つまり、ここまで入り込まれてしまった。
「何者だ貴様等。何故、どうやってここまで入ってきた」
漏れ出しそうな怒りを抑えながら、アウグストが問いただす。
『神託』が、彼の予測が、裏切られに裏切られて許してしまった侵入。
それは、抑えがたい怒りとして彼の胸の内を染めていた。
「何者って。自分が『神罰対象者』に指定した人間の顔もわからないなんて」
「何?」
改めて、女の顔を、姿を凝視する。
確かにそれは、伝え聞いていたイグレットという女のそれそのものだった。
「……貴様か。貴様が、あのイグレットか」
「どのイグレットかはわからないけれど。私の名前がイグレットなのは間違いないね」
「そうか。そうか、貴様が、そうなのか。よくもここまで来てくれたものよ!」
彼女の肯定の言葉に、抑えきれなくなった怒りが溢れてくる。
ここまで何もかもが上手くいっていないことの元凶。
少なくとも、今、彼にとってそれは、目の前にいるこの女となった。
だから、彼女に向けて怒りの矛先を向けることに、何の躊躇いもなかった。
「ならば、骨の一片も残さず消し去ってくれよう!!」
叫びと共に、押さえ込んでいた怒りが魔力となって迸る。
「レティさん、こっち!」
そんな言葉が聞こえた気がしたが、些細なことだ。
全て、吹き飛ばせばいいのだから。
「我が魔力、食らうがよい!!」
彼が叫んだ次の瞬間。
魔力が爆発的に吹き出し、聖堂内を暴力的な力が蹂躙していく。
それは、石造りの柱も砕き、行き場を失った力は天にも伸びて屋根すら吹き飛ばし。
支えも支えるものも失った聖堂は、凄まじい音を立てながら崩壊していった。
どれくらい時間が経っただろうか。
瓦礫だらけとなった、かつて聖堂があった場所に立つのは、『魔王』アウグストが一人だった。
彼は、力そのものだった。
その拳は岩をも砕き、その結界は全てを防ぐ
最強の矛と盾を手に、振るう力は嵐にも似て。
次回:暴威
そして、嵐をやり過ごす知恵こそが、人の力。




