蟻の入る隙間
そして、洞穴で無事に一晩を過ごして、翌日。
雪のちらつく中を歩いた二人は、日も落ちようかという頃合いにアマーティア王都へと辿り着いていた。
戦時中とあって慌ただしく人が行き交い、だからこそ身元確認も厳しく行われていた城門を、しかし二人はあっさりと通過する。
「……皮肉というか、自業自得、というか」
城門を通過してしばらく。人通りの少ない路地に入ったレティがぽつりとつぶやいた。
隣を歩くエリーも、苦笑気味に笑いながら、こくりと頷く。
「そうですねぇ、まさか、これがこんなところで役に立つだなんて。
あちらも、まさか私達がこれを持ってるだなんて思わないでしょうし」
そう言うと、懐に入れた巡礼手形を服の上から抑えた。
以前バトバヤルを狙った刺客、カーチスともう一人が持っていた巡礼手形。
多くの国でろくに調べられることもなく街中へと入ることが出来るその手形は、このアマーティア王都では特に威力を発揮した。
何しろ、レティがそれを見せた瞬間に、門番が平身低頭しかねない勢いで二人を通したのだから。
長い黒髪で細身の女性、という『神罰対象者』として手配された際に流布された身体的特徴が合致していたにもかかわらず、だ。
「教皇のお膝元、アマーティア教団が強い影響力を持つ街……。
だから教団関係者には失礼なことができない、下手したら殺される、くらいには思ってるのかも」
「ああ、これ持ってるような人達だと、あっちの人である可能性も高いですし」
路地裏、人通りがないとは言えどこで誰が聞いているかわからない、ということでエリーはぼかしているが、もちろんレティには意味が伝わっていた。
この通行手形を持っていた男は、魔族だった。
となれば、これを持つ人間にはそういう存在がそれなりの割合でいる、と門番が知っていても不思議ではない。
「情勢を考えると、仕掛ける責任者みたいなのに持たせて、かなりの数あちこちに派遣してたんじゃないかな」
「それで、南部諸国に相当入り込んでいた、と。
バランディアも、危うく乗っ取られる寸前だったわけですし」
「確かに、ね。そう考えると、色々際どいタイミングだったのかも知れない」
偶然エリーと出会い、それから旅立って、たまたま巻き込まれた事件。
それがここに来て大きな意味を持つとは、あの時は思いもしなかった。
もしあの時、レティ達が加わっていなければどうなっていたことか。そして今どうなっていたか。
想像するだけで、背筋が寒くなるところだ。
「あ、エリー、ここを右に」
不意にレティが声をかけ、エリーも頷いてその後に続く。
いくつかの曲がり角を抜け、人通りの少ない方、少ない方へと入っていけば、やがて目的の場所、情報屋の住処に辿り着いた。
「多分、ここだね……初めて来るから、断言はできないけど」
「普通の民家にしか見えませんけど……そういう風に偽装してるんでしょうか」
「じゃないかな。大っぴらに看板を出すような商売でもないし」
そう言いながら、レティはその家の扉をノックした。
コンコン、と普通に二回。それから、コツコツとつま先で二回。もう一度普通のノックを、今度は三回。
奥から返事が返ってきたのを確認して、ドアを開ける。
すると、中には情報屋と思しき中年男性が一人、と、もう一人。
「……ボブじいさん? なんでこんなとこに」
「えっ、あ、ほんとだ! お久しぶりです!」
予想していなかった再会に、エリーが思わず声を上げる。
二人の姿を認めたボブは、相好を崩して二人を迎えた。
「なんじゃ、イグレットにエリー、来とったのか。
まあそれもそうか、あんな喧嘩の売られ方をしてはのぉ」
「いや、あまり『神罰対象者』の件は関係ないのだけど……」
嬉しそうに笑うボブの顔に、レティは否定するように首を振り、エリーは何か怖いものでも見たかのように顔を引きつらせる。
にこやかに笑っているが、一瞬彼が滲ませたのは確かに殺気。
そしてそれは、それなりに戦場で過ごしたエリーには、十分に察知できるものだった。
同じく察知できた情報屋も、顔を引きつらせている。
「おい、じいさん。ってことはその娘さんが、じいさんの言う『孫娘』なのかい?」
「おう、その通りじゃ。……ああ、すまんな『神罰対象者』を入れてしまって」
「構わねぇよ。『神託』が『神罰対象者』を捉えられていないらしい、ってのは聞いてるからな」
情報屋の言葉に、ボブが驚いたように眉を上げる。
逆にレティやエリーは、納得したような顔で頷いていた。
「やっぱり、こっちでもそういう話になっているんだ?」
「ああ、なんせ普段なら細かに相手の場所、仕掛ける時間まで具体的に指示してくる教皇が、あんた相手にだけはそれができてないってんだ、そういう話にもならぁな」
「なるほど、捉えられておらんから、ならば人数をかけて、というつもりでの指定じゃったわけか」
「恐らく、だがな。ま、そいつも北部の同盟国側相手には通じなかったみたいだが」
ボブに答えながら、情報屋は唇を曲げて皮肉な表情を作る。
この街に住む情報屋の彼としては、色々と思うところもあるのだろう。
と、情報屋の話を聞いていたレティが、途端に怪訝な顔になり、ボブを見る。
「ところで、なんでボブじいさんがここに?」
「そりゃまあ、おぬしらと同じ目的じゃよ」
「そっちじゃなくて、理由。なんで情報屋のボブじいさんが直接乗り込んできてるの?」
「そうですよねぇ、情報収集にしても、普段は人を使ってるみたいでしたし」
もっともなレティの疑問に、エリーもうんうんと頷いて見せる。
そう、ボブがここに居る、合理的な理由は薄い。
それは彼自身わかっているのか、しばし返答に時間がかかった。
「そりゃぁ、身内とも言えるおぬしが『神罰対象者』なんぞにされたんじゃ、教皇に文句の一つも言いたくなるじゃろ?」
「……多分それ、文句を言うだけで終わらないよね……?
というか、身内、って……さっき言ってた孫娘とか、一体」
問われて、ボブが口ごもる。
しばし言い淀むも、ニヤニヤと見てくる情報屋を軽く睨むと、観念したようにため息を一つ。
「まあ、つまりそれだけおぬしを身内と思っておる、ということじゃよ」
「……そ、そう……それは、ありがとう……?」
思わぬ返答にレティも口ごもり、目があちらこちらへと泳ぐ。
どうにももじもじと落ち着かない様子を見ていた情報屋が、呆れたように笑った。
「なるほどなぁ、じいさんが贔屓にするのもわかるってもんだ」
「でしょう? レティさんは可愛いんです!」
きっぱりとエリーに断言され、また呆れたように笑う。
何とも居心地の悪い空気に、おっほん、と大きめにボブは咳払いをした。
「ま、まあ、ともかくじゃ。
そういう訳で話を付けに行こうと、教皇のところまで忍び込んだんじゃがなぁ。
どうにも、わしの槍も通らんという予感がしてのぉ、一度引き返してきたところだったんじゃよ」
「なんかさらっと凄いこと言ってますね!?」
聞いていたエリーが、思わず悲鳴のような声を上げた。いや、悲鳴そのものだったのかも知れない。
警戒が厳重であろうはずの教皇の元へと、気取られることなく潜入するだけでなく戻ってきた。
それがどれだけ人間離れした所業であるか、想像に難くない。
当たり前のように言っているボブと、それを聞いている情報屋の方がどうかしているのだ。
そして、その話を聞いていたレティは、また別の反応を見せる。
「ボブじいさん、教皇のところまで行けたの?」
「ああ、忍び込むだけなら、案外なんとかなったぞ?」
「いや、普通はなんともなんねーよ、じいさん……」
呆れたように、情報屋が首を振る。
現地の情報屋である彼が言うのだから、恐らくそうなのだろう。
しかし、ボブが嘘をつくような人間でないことは、レティも良く知っていた。
「なら、そのルートを教えてくれない?
私達なら、通せるかも知れないから」
「ふむ? なるほど、確かにおぬしらが来たならば、自分で話を通すのが筋というものじゃな」
「いや、納得してねぇで止めろよ、じいさん。いや、確かそっちのイグレットは剣術大会で優勝したらしいから、腕はあるんだろうが」
彼からすれば、二人の見た目はか弱い少女だ。
身のこなしや佇まいから、只者ではないこともわかってはいるのだが。
少なくとも、彼女ら二人を乗り込ませるなど、愚の骨頂もいいところにしか思えなかった。
「まあまあ、こう見えて私も中々ですよ?」
「はぁ……まあ、相棒として来てんだから、そうなんだろうけどよ。
知らねぇぞ俺は」
エリーの言葉に、彼はもう諦めにも似た顔で返しながら、ボブがレティへとルートの情報を伝える様を見ているしかできなかった。
かつて威を誇った聖堂の権威は、地に堕ちた。
今、その姿すら崩れ落ちていく。
歴史も、人の営みも、一人の暴君の前になすすべも無く。
次回:瓦礫の聖堂
全てが壊れた跡で、瓦礫の王は何を思う。




