そして、旅立ちの朝
そうこうしているうちに、準備も終わり、一旦ボブじいさんの店へと戻る。
そこへリタも戻ってきて。
「……なんか、ほんとに公爵様のとこに雇われそうなんだけど……じいさん、何したの……?」
「いや、昔のツテにちょいとお願いしただけじゃぞ?」
狐に抓まれたような顔をして帰ってきたリタへと、にやりと笑って見せる。
じいさんの情報屋としての人脈が確かなのはリタもレティも良く知っていた。
いや、知っていたつもりだったのか?
底知れない物を感じて、二人して、いやエリーも入れて三人でしばしまじまじと見つめてしまう。
「ほれ、何をそんな顔をしとるんじゃ。
明日はイグレットとエリーの旅立ちの日じゃし、もうちょいとしたら、リタも住み込みで働くようになるんじゃ。
今夜はぱっとやろうじゃないか」
それはもう、嬉しそうに。
さながら、独り立ちする孫を送り出す祖父のように。
じいさんは目を細め、酒瓶を取り出した。
そして、ご機嫌なリタに振り回され、エリーにまとわりつかれ、じいさんにからかわれて。
段々そんな空気に慣れていってる自分に不思議な気分になりながら。
穏やかに、騒々しく、その夜は更けていった。
明けて翌朝。
いよいよ、出立の日だ。
「二人とも、準備は大丈夫そうじゃな」
そう言いながら、二人の旅装を確認する。
仕事柄あちこちに移動することの多かったレティはもちろんのこと、何度も従軍したエリーもなんだかんだとそつのない準備ができている。
むしろ、そのそつの無さと背負い袋などの真新しさがちぐはぐなくらいだ。
「もちろんです、この日をどれだけ待っていたか……どれだけ楽しみにしていたか!
不肖このエリー、レティさんの旅のお供を立派に勤め上げてみせます!」
「……さすがに、気合入りすぎだと思うな……」
テンションを振り切っていそうなエリーと、それに気圧された感のあるレティ。
なんとも対照的なのに、妙に馴染んでいる二人。
きっと、大丈夫だろう。そう、安堵する。
「エリー、今からそんなんじゃ、途中で息切れしちまうよ?」
「大丈夫です、今の私なら一日100㎞だって歩けますね!」
「……それは、私が息切れすると思うな……」
「むしろ息の根が切れそうだねぇ」
けらけらとからかうように笑うリタ。
それに応じるエリーへと一言入れながら。
ああ、この子を連れ出せて良かった、と内心でほっとする。
ずっとあんな所に居て良いような子じゃなかった。
この子には、明るい場所が似合うんじゃないか、なんて柄にもないことを思う。
……きっと、少なくとも、間違いではなかったのだと。
「じゃあ、そろそろ……行こうか」
「そうですね、名残惜しいですけど……。
ボブじいさん、リタさん、色々とありがとうございました!
きっとまた、お会いしましょうね!」
深々とお辞儀するエリーへと、二人が笑いかける。
「礼を言うのはこっちだよ。エリー、イグレット、ありがと。
また会おうね、絶対だよ。その時にはあたしも立派なメイドになってるさ」
「そうじゃな、助かったのはこちらもじゃ。
大丈夫だとは思うが、気を付けての」
ほんの数日の間に、本当に色々なことがあった。
その間に、助けて、助けられて……それが、なんとも不思議だ。
決められた役割をそれぞれに果たすだけだった日常。
もちろん、その時も助けて、助けられてだったはずなのに、今とは意味が違って思える。
「ん……それでも、ありがとう。
二人がいてくれて、良かった……」
色々と、考えた。考えて、考えて……上手く、言葉にならなくて。
それでも、伝えたい、伝えなければいけない言葉は、と絞り出す。
この気持ちを、どう言えばいいのだろう。
「じゃあ、行ってきますね!」
……ああ、そうか。
感謝も、名残惜しさも、決意も。この一言に、込めよう。
「……行ってきます」
二人の目を見つめながら、そう告げると。
ひらり、手を振って街の外へと。
もう一度、振り返って。
手を振り続けてくれている二人へと、もう一度手を振って。
隣を歩くエリーへと、うん、と頷いて見せて。
まっすぐに、西へと向かう街道を歩いていった。
「……行ってしまったのぉ」
「行っちまったねぇ……」
二人の姿が見えなくなるまで、その場で見届けて。
どちらからともなく、ポツリとつぶやく。
「珍しくの、あいつを送り出すのに、少しだけ不安にもなったんじゃ。
いつものあいつの旅とは違うからのぉ」
「あはは、あたしもわかるよ、イグレットはそつなくこなす子だったけどさ。
……ターゲットがはっきりしてる時は、そうだったけどさ」
「そうじゃの……ま、今はまだ、それもはっきりしとるからな」
西に、エリーの見たいものを見に行く。
それが何かは、レティしか知らないはずだ。
少なくとも、二人は知らされていない。
「それから、じゃな……そこから先を、あいつが見たいと思ってくれるかじゃが」
「……大丈夫なんじゃないかな。あの子、ちょっとずつ変わってきてるもの」
もちろん、それはわかっている。
ただ、それが良い変化ばかりであればいいのだが。
年寄りの余計な心配であることを祈って。
二人が去っていった街道を、いつまでも見送っていた。
しばらく、いや、大分歩いた、だろうか。
不意に、エリーが振り返った。
それに釣られるように、レティも立ち止まる。
「……どうか、した?」
「いえ、大したことじゃないんですけど……」
そう言いながら、しばしウォルスの方向を見やって。
「そんなに長くいたわけじゃないのに、なんだか、名残惜しくって。
こんなこと、前はなかったんですけどね」
そう言いながら……苦笑、とも違う。戸惑うような、不思議そうな。
でも、それは確かに、笑みで。
「そう、だね……私も、何度もウォルスから出てきたはずなのに……」
少しだけ、後ろ髪を引かれるような思いがある。
しばらく眺めていると、ふぅ……と風が吹いた。
初夏の爽やかな、少しだけ熱を持った、穏やかな風。
それが、ふと我に返らせる。
「……行こう。また会える、よ……あの二人だもの」
「そうですね、ちょっとやそっとじゃびくともしない二人ですから」
会ってからそう経ってもいないのに、随分な言い様だ、と思わず目を細める。
もちろん、不快なわけではなく。
そんなに馴染めるエリーが、少しだけ眩しかった。
そうして二人は歩き出す。
目指すは、西。いくつかの街を経て、国境の街、アザールへと。
その先に待つものを、今は知る由もないままに。
生まれた場所を故郷というならば、そこは故郷なのだろう。
魂が還ろうとする場所を言うならば、決してそうではなく。
次回:似て非なるもの
いるべき場所は、そこではなく。




