神と人の狭間
「正直なところ、よくこんなこと思いついたね」
レティの直球な物言いに、しかしリオハルトはにこやかな笑顔で答える。
「切っ掛けはさっき言った教団への疑念だけどね、それについて考えていたときに気付いたんだよ。
そもそも私は、創造神アマーティアを信仰してはいるけれど、アマーティアとアマーティア教団は同一ではない、とね。
だったら、盲目的に教団に従う必要はないじゃないか」
「いや、確かにそうなんですけども……普通は、そう考えても中々踏み切れませんよ……?」
爽やかにあっさりと、さも当然のように言うリオハルトに、エリーがどこか呆れたような口調でぼやく。
兵器として作られたエリーには、信仰心の類いはない。
むしろだからこそ、人間がそれに縛られ振り回されている姿を第三者的に眺めて、よく知っていた。
そんなエリーからすれば、リオハルトのこの態度は異質に映る。
「普通はそうかも知れないけれど、王族にそれを求めるかい?」
「むしろ、宗教的には一番無難で普通でないといけない気がします」
悪びれないリオハルトに、エリーの返答はおもねるところのないもの。
率直な物言いに、隣で控えているマリウスはおろおろとしているが、当のリオハルトは実に楽しそうだ。
「それは否定しないけれど、ちゃんとその宗教団体が信じるに値する、という前提条件があってのことだと思うなぁ。
何しろ、私が教団に従えば、国民もまた従わざるを得ないのだから」
「……陛下。もしかして、疑念を抱いてから、国民相手に色々仕込みをしてた?
教団が怪しい、信頼できない、といった類いの話を」
「おや、さすがイグレット、よくわかったね」
悪戯がばれた子供のように、いやもっと悪びれない態度であっさりと認めるリオハルト。
それを見て、エリーはがっくりと肩を落とした。
「や、やっぱりそうだったんですね……道理で、クオーツでもレティさんがお尋ね者扱いされてないわけです」
納得したような呆れたような声に、マリウスが無言でうんうんと頷いてみせる。
リオハルトはそんなマリウスを一瞬だけちらりと見て、しかし何も言わずににっこりと笑って見せた。
途端、マリウスが固まったように動きを止める。
蛇に睨まれた蛙のようになったマリウスに、しかしリオハルトは相変わらず何も言わず、レティ達へと向き直った。
「まあ、イグレットの助けになったのは幸いだったけれど、本当に偶然なんだ。
流石に私も、まさか『神罰対象者』に指定するとは思わなかったし」
楽しげに言うリオハルトの言葉は実に軽やかだった。
その中には侮蔑も軽蔑も籠もっていないことに、エリーは驚きと畏怖を覚える。
つまり、彼は事ここに至っても、いまだ油断もせず、相手を馬鹿にもしていないのだ。
彼のこの若さでそれは、実に驚異的だと言わざるを得ない。
そのことに気付いているのか居ないのか、レティはいつも通りの口調でつぶやく。
「いくら上手くいっていないからといって、なりふり構わないにも程があると思う」
「もっとも、それも空振りに近い形で終わりそうだけれどね。
明日を上手く越えられたら、だけれど」
リオハルトの言葉に、一瞬沈黙が落ちる。
マリウスがちらちらレティとエリーに視線を送り、二人も物言いたげに視線を交わす。
やがて、意を決したエリーが口を開いた。
「その、明日の教団からの脱退と新教団設立の発表なんですけど……本当に、私は陛下のお傍にいなくていいんですか?」
「うん。確かに、エリーに近くにいてもらって、結界で守ってもらうのが一番なんだけれどね、明日のことだけ考えれば」
気遣わしげに問うエリーに、しかしリオハルトは即答する。
明確な返答に、明確だからこそだろうか、レティも珍しく不安そうな顔を見せた。
「……多分どころか、ほぼ確実に、明日襲撃されるよ?」
「恐らくそうだろうね。私が計画して実行するわけだから、間違いなく『神託』に検知されるし、教皇にも伝わるだろう。
コルドバも落とせずイグレットも逃してしまった彼からすれば、ここで私を討とうとしないわけがない」
そう返すリオハルトに、気負いはない。もちろん、油断も楽観もしていない。
彼は、ただ淡々と予測できる事態について述べている、それだけだ。
「それも、『神託』によって、普通なら確実に成功すると保証された陣容で、ですよね?」
「下手をすると、過剰なくらいに投入してくるかも知れないね。
とは言っても、監視を厳しくしている状況で送り込める人数には限界があると思うけれど」
その言葉に、また一瞬沈黙が落ちる。
彼は、リオハルトは、状況を正しく理解している。
少なくとも、レティにエリー、マリウスも予想している状況を、予想している。
その上でなお、彼は実行しようとしているのだ。
「それがわかっているのに、なんでそんなに自信満々なの?」
「いや、自信があるわけじゃないよ。
やらないといけない、とわかっていて、腹を括っているだけさ。
エリーに守ってもらって、エリーの存在が『神託』に捕捉されてしまえば、一気に手詰まりになりかねない。
それよりは、私の命をチップにした賭けの方がまだましだからね」
そこで一度リオハルトは言葉を切る。
それから、不意にどこか悪戯な笑みを見せた。
「それに、さ。『神託』を覆せるのがイグレットとエリーだけだなんて、つまらないじゃないか。
私達の力で覆したら、きっと痛快だよ」
「そんな理由ですか!?」
隣で、なんとも神妙な顔で話を聞いていたマリウスが、青い顔で叫んだ。
何しろ明日リオハルトの傍に居るのは彼。
他にも魔術師がいるとはいえ、彼が一番の技量であることは間違いない。
つまり、魔術的な攻撃に対しての防御は、彼頼みということなのだから。
ただでさえ繊細な彼の胃は、ギリギリと軋むような痛みを訴え始めている。
そんな彼の気苦労を労ってあげるような人はここにはいないのだが。
「……私が裏で暗躍するのは問題ないんだよね?」
「うん、それは大丈夫だと思う。むしろ、君は何をしても大丈夫かも知れないね」
「でも私は防御魔術は使えないから、見つけ次第相手を処理していくしかできないのが……。
こんな時にゲオルグがいないのが痛い」
「仕方ないよ、最前線のガシュナートに派遣できるほど現場慣れしていて、信頼もできるのはゲオルグ以外にいないしね。
まあ、それでもなお『神託』を覆せたら、『神託』なんて恐るるに足らない、と言えるんじゃないかな」
笑い飛ばすリオハルトに、思わずレティとエリーは顔を見合わせた。
視線で会話することしばし、レティがおずおずと口を開く。
「あの、もしかしてリオハルト陛下は、『神託』が嫌い?」
問いに、リオハルトは少しだけ考える仕草をした。
けれどすぐに、ゆるりと首を横に振る。
「いや、嫌いと言うと違うね。趣味に合わない、というのが近いかな……。
災害対策にはいいと思うけれど、自分で使いたいとは思わないし」
「なぜ? あれば便利だと思うのだけれど」
彼のような立場であれば有用であることは、図らずも敵が証明している。
だがリオハルトは、迷わずまた首を横に振った。
「だってさ、未来は教えてもらうものではなく、自分達で作っていくものであるべきじゃないか。
そうだろう?」
そして見せた笑顔に、エリーは確信した。
この人は、レティとはまた別方向のとんでもない人タラシだ、と。
事実、リオハルトの隣に立つマリウスなどは完全に心酔しきった顔で、目を潤ませていたのだから。
人の問いに、人の望みに、神は沈黙によってのみ応える。
ゆえに人は悩み、あがき、悶える。
ならば望まねばいいのか。
それに返ってくる沈黙の向こうに、人は己自身を見る。
次回:人の望みの喜びを
神は、望むことを禁じない。




