繋がるもの
「姫様、大丈夫かな」
三国の首脳が集った会談が始まった丁度そのころ。
ガシュナート王都に残されたジェニーがぽつりと呟いた。
戦後処理のための会談、バランディアだけでなくコルドールの王も来る状況。
この状況で、戦略兵器であると知られたジェニーがナディアに同道すれば、痛くもない腹を探られることになる。
そのことを理解していたナディアは、泣く泣くジェニーを置いてきた。
ちなみに、比喩でなく本当に泣く泣くだったのだが、涙を振り切って為すべきことを為すために旅立ったナディアの後ろ姿は、一層ジェニーの心に暖かいものを刻み込んだりしたのだけれど。
そんな気持ちも、今の気持ちも、自分一人では抱えきれず、どうにも持て余す。
気持ち、つまり感情。
目覚める前は無縁だと思っていたそれ。
人間の持つ、往々にして不合理なそれを、以前は不思議に思うことすらできなかった。
合理的でない指示に、ただ、従うだけ。
それが、かつてのジェニーだったのだ。
だが、今はその感情が思考の大半を支配し、あまつさえ身体機能にまで若干の影響を及ぼしている。
どうしてこんなことに、と不思議に思う反面、以前は感じていなかった満足感のような物も感じていた。
また、それだけでなく。
「大丈夫ですよ、レティさんも一緒に行ってるんですから。
レティさんに任せれば大丈夫です、びしっと最高の結果を持ってきてくれますから!」
こうして、ナディアとは違った意味で自分のことをわかってくれる人がいる。
いや、人ではなく、同じマナ・ドールではあるのだけれども。
ともあれ、眠りにつく前から感情を獲得し、目覚めた後も様々な経験を経てきた彼女の言葉は、不思議な説得力と安心感をくれた。
それが、なぜだか妙にくすぐったい。
身体的なものでなく、もっと内側から、そう感じてしまう。
「あなたがそう言うのなら、そうなのかも知れない。
確かに、あの時もこれ以上ない結果を出してくれた」
接近戦特化型魔族という、ジェニーの天敵とも言えるベルモンドを打ち倒した彼女。
その鮮やかな手並み、そこに至るまでの振る舞いに、何か普通の人間とは違うものを感じたことを覚えている。
そして、見事に結果を出し、その後のことも考えて様々な手を打ってもくれた。
こうして考えてみれば、不安に思う必要などまるでないのかも知れない。
「ええ、レティさんは必ず結果を出してくれる人ですから」
「……そこまで言えるのが、ある意味凄い」
言い切るエリーは、微塵も不安を感じていないようだった。
そんな彼女を見ていれば、ジェニーもまた、不安が和らいでいく気がする。
……そう、不安だったのだ。
マナ・ドールにあるまじき感情だが、今まで感じていたのは、確かに不安だった。
保護者であり管理者である、いや、明らかにそれ以上の存在であるナディアの不在。
しかも、何があるかわからない、敵地と言っていい場所への訪問中。
不安にならない方がおかしいくらいの状況だ。
まあ、そもそも不安になるならない自体が、以前のジェニーにはなかったのだが。
ともあれ、今こうしていて、不安が和らいでいるのは間違いない。
「……姫様は、ここまで考えてあなたと私を残したのかな」
「はい? ええと、よくわかりませんけど……ナディア様でしたら、色々と考えてらっしゃいますから、そうかも知れませんね?」
流石に、コミュニケーションの達人たるエリーも、言葉の少ないジェニーの、しかも内心の動きが漏れたつぶやきの真意はわからないのも当然だ。
それなのに、こうして欲しい言葉をくれるのだから、本当に大したものだと、今更ながらに思う。
「エリー」
「はい、なんでしょう」
「……私、あなたみたいになりたい。
前も言ったけれど、改めてそう思う。あなたみたいに、なりたい。」
真っ直ぐにエリーを見つめながら、ジェニーは言った。
そうだ、こう、なりたいのだ。そのお手本が、目の前にある。
それはとても幸運なことだと思うし、もっと、少しでも真似をしたい、近づきたい。
視線を受けたエリーは、ぱちくりと瞬きすること数回。
急に、ほわぁっと崩れたような笑顔になって、唐突にジェニーを抱きしめた。
「なれますなれます! 大丈夫です、絶対なれますから!」
今度は、唐突に抱きしめられたジェニーが瞬きをし、言葉を失う。
もちろん、ナディアに抱きしめられたことはあった。
だが、他の誰かに抱きしめられたことなど、なかった。
それを、あっさりと彼女はやってのける。
正直、そんな行動に憧れる気持ちが、あった。
きっと、これは憧れ。こうなりたい、と思う気持ち。
そんな憧れの相手が、自分を抱きしめてくれるのだ。
ナディアとはまた違う、満たされるような感情がわき上がってくるのも仕方あるまい。
「変なの。まだ、わからないのに。
あなたに言われると、大丈夫だって、思えてしまう」
初期型である自分は、後期型であるエリーのようになれる保証はどこにもない。
それでも、大丈夫だと思えてしまうのはなぜだろう。
そんな安心感を感じていたジェニーの身体が、ふと解放感を感じた。
エリーの腕が緩められた、と気づき、少し寂しさのような物を感じたけれども。
目の前で見つめられて、そんな気持ちはすぐにどこかにいってしまった。
「大丈夫なんですよ、本当に。
いいですかジェニー、まずですね、あなたの基本設計をした人は先見の明がある方で、先々改修する、あるいは機能を拡張できるようにと考えて、設計に余裕を持たせていたんです。
冗長性と言ってもいいですね。
だから、あなたの情報処理回路は、さらなる増設に耐えられるんです。
先日調べた各種仕様書や設計図から算出するにですね……」
ましてこんな、立て板に水を流すかのようにすらすらと、大丈夫である根拠を語ってくれる。
これで安心できない方が、どうかしているかも知れない。
「まってエリー。そんな情報を、なぜあなたが持っているの」
「え、いえね、ついでですよ、ついで。
私だってほら、色々ありましたし、複雑なものだってあるんですよ。
それに、こういう情報を持ってますよと言ったら、ナディア様との交渉も有利かなって。
必要なかったですけど」
きっと、その言葉は半分本心で、半分は違うものだ。
なぜだか、ジェニーはそれがわかった。
彼女は、何かを隠している。それも、決して悪いものではない何かを。
なぜ隠すのかは、わからないけれども、悪い気持ちはしなかった。
「エリーは、私と違って色々なことが考えられるね」
「ん~……私はそういう機能をつけてもらってますからね。ジェニーだって、つけたら考えられるようになりますよ」
「どう、かな……そう、なれたらいいのだけれど」
なれるかはわからない。
けれど、近づくことはできるかも知れない。
何しろ、お手本が目の前にいるのだから。
「……エリーは、私より後に作られたのに、私より年上みたい」
「それはまあ、そういう風に作られてますから、ね。
むしろ、後から作られたのに性能が落ちていたら、制作者は何をやっていたのかと」
冗談めかして笑うエリーの表情が、まぶしい。何か、くすぐったい。
近くて、近づきたくて、まだ届かない彼女。
なんだろう、そんな存在は。
「……お姉ちゃん?」
「はい?」
唐突なジェニーのつぶやきに、エリーが小首を傾げる。
今聞こえた言葉は、聞き間違いだろうか。
だが、聞き返したエリーに、ジェニーはそのまま言葉を返した。
「お姉ちゃん。
なんだか、エリーは姉みたいだな、って」
「……ほほう。あの、ジェニー、もう一度言ってみてもらっていいですか?」
「うん。お姉ちゃん」
「はうっ!」
色々な意味で純真無垢なジェニーから向けられる、その呼び方。
それは、エリーの心の何かを、がっつりと削った。
どきどきとときめく何かを感じながらも、深呼吸。
「こ、今度は、『エリーお姉ちゃん』って言ってみてください」
「うん、エリーお姉ちゃん」
「はうぅぅんっ!」
その言葉は、エリーの情報処理回路のどこかに、ぐっさりと刺さった。
いや、もちろん比喩ではあるのだが。
しかし効果は覿面、エリーは思わずぎゅっとジェニーを抱きしめてしまう。
「はいっ、エリーお姉ちゃんですよ!
大丈夫です、ジェニーの心配だとかは、全部お姉ちゃんが何とかしてあげますからね!」
「え、ええと……ありがとう、エリーお姉ちゃん」
「ええ、任せてください、お姉ちゃんにお任せですよ!」
力強く訴えるエリーの腕に、強引と言える力で抱きしめられながら。
ジェニーは、ナディアの抱擁とはまた違う、でも大事な暖かさを感じていた。
歴史は紡がれ、流れていく。
その行く末は、人の身にわかるものではなく、見届けることもできず。
だからこそ人はあがき、流れを作ろうともがく。
次回:三国協調
踏みしめる、その先くらいは自分で決める。




