それぞれの、それから
「ただいま……」
いつもの手順を実行してから扉を開いて、中に踏み込んだ。
ここはウォルスの街、ボブじいさんの店。
『清算』を終えたレティは、わざと一日置いて帰ってきた。
「おかえりなさい、レティさん!」
すぐ目の前にエリーが立っていた。
飼い主の足音を聞きつけた飼い犬のように。……レティは犬など飼ったことはないが。
キラキラとした笑顔の彼女に、思わず目を細めた。
「……ただいま、エリー」
ただの挨拶なのに、なんだか言いにくい。
それでいて、その言いにくさは不快ではなく、むしろ心地良い。
しばらく、視線が絡んで。
「おう、早かったのぉ、ゴースト。
……いや、もうイグレットと呼んだ方がいいかの?」
「お帰り、ゴースト。ああ、あたしもその方がいいかい?」
声を聴いてかボブじいさんと……リタが出てくる。
二人には瞬間移動のことは教えてないため、アリバイ作りのために一日おいて帰ってきたのだ。
あの後。
リタを助けた二人は、一旦彼女を連れてウォルスの街へと戻ってきた。
傷ついたリタの手当をしながら、情報を整理して、確信して。
『答え合わせ』をするために、レティは一人で王都へと戻ったのだ。
そして、答えは予想通りで、回収すべきものを回収してきたところである。
「ん……どう、なんだろう……。
……そう、だね…………もう、ギルドはない、のだし……」
二人の声に小首を傾げると、しばらく考えて……そう、答えを出した。
そのイグレットの言葉に、二人は頷いてみせた。
「そうさのう……もうグレッグもおらん、かなりのメンバーも殺されてしもうたから、の」
「さすがにもう、続けてはいけないわよ、あの稼業は」
少しだけ惜しむような声音はあるが。二人とも概ねサバサバしたものだった。
こんな稼業、いずれは終わりがくるもの。
元より覚悟はできていた。
自分の命があっただけ、めっけものだろう。
「ああ、そういえば……やっぱり、彼もグルだったよ」
「やはりか。きっちり、『回収』は済ませたんじゃな?」
「もちろん」
確認するボブじいさんに、こくりと頷いて見せた。
ふぅ、とリタがため息をつく。
「やれやれ、あんな連中に一杯食わされたってのはしゃくに触るけど……ま、あんたがやってくれたんだから、よしとしますか」
「ん……リタ、ありがとう。あなたの情報のおかげ」
くしゃくしゃ、とリタがレティの髪をなでると、くすぐったそうに眼を細める。
と、つぃ、とエリーが傍に寄ってきて。
くい、とレティの腕を引っ張った。
「レティさん、行きより背負い袋が膨らんでません?」
「ああ……こっちも、回収してきたから、ね」
背負い袋を下ろすと、中から革袋を取り出した。
ぎっちりと詰まったそれは、やけに重そうだ。
「彼がハンスと山分けしてた、ミスリル銀貨……多分後金300枚の半分、150枚。
数えてはないけど……」
どすん、とテーブルに置かれる。
後金は、グレッグが要求していた通り増やされていた。
最初からそのつもりで用意していたらしい。……どうせ山分けするのだから、というのもあっただろう。
その袋を目にして、ボブじいさんとリタは思案顔だ。
「さて、どうしたもんかのう。
ギルドに残ってた金品と合わせると、随分なもんじゃ。
少なくとも、こんなちんけな店に置いておくもんじゃないわい」
「そうだねぇ、あたしらで山分け……なんてしたら、身の破滅を招く気しかしないよ。
分相応って奴は大事さぁね」
そう。リタを連れての脱出の際に、金庫に眠っていた金を持てるだけ持ってきていた。
……エリーが見た目によらずかなりの力持ちで、相当な量を運べたのはここだけの話。
合計でミスリル銀貨1,500枚超相当。15億を超える金銀と宝石が店の倉庫に移され、隠されていた。
「かぎつけられた様子はないから、変な使い方をせなんだら、バレることはないじゃろうが……どうにも落ち着かんわい」
「……あのね。グレッグが前言ってたんだけど」
「ん? なんだい、何を言ってたんだい?」
ぼやくじいさんに、レティが声をかけた。リタが不思議そうに見つめて。
「……万が一のことがあったら、残った人間に分けて解散しろって。
次に行くための餞別にしろって……言ってた」
「……あいつめ、そんなことを言っておったんか……」
レティが、金欲しさに嘘をつくような人間でないことはボブじいさんもリタもわかっている。
むしろ、彼女が金を欲しがっていたら、今すぐこの場で二人を殺すはずだ。
それが簡単にできることも知っていたし、そうしないであろうこともわかっていた。
だから、グレッグの言葉は本当なのだろう。
「あのバカ……どうしようもない合理主義者で業突く張りのくせに、妙にそういうとこあったわよね……」
「そうじゃな、計算ずくでもあったのじゃろうが、憎めん奴じゃったわい」
二人して、静かに革袋へと視線をやる。
……しばし、沈黙が落ちて。
「イグレット、金額は何か言うておったか?」
「ん……ミスリル銀貨50枚くらいか、とか笑ってた」
「万が一……自分が死んだ後だからって、太っ腹ね」
普段のグレッグの言動からは想像もできない金額に、リタは苦笑してしまう。
じいさんは、なんともおかしそうな……少しだけ寂しさのあるような顔だ。
「また、その金額なら遠慮なくもらおうかという気にもなる絶妙な線じゃの。
たまたまなのか、計算なのか……わからん奴じゃわい」
「いいんじゃないの? そういう奴だった、それでいいじゃない」
「まあ、の。どれ、分けるために袋でも持ってくるか」
そう言ってじいさんは立ち上がる。
奥へと行くじいさんを見送りながら、リタはテーブルに肘をついた。
「……そういう奴、だったよね……。
あたしさ、グレッグのこと、好きとは口が裂けても言えないけどさ。
嫌いじゃなかったし、マスターって認めてた。
あいつは、そういう奴だったよ……」
「ん……そう、かもね……なんとなく、わかる、よ……」
「……皆さんがそんな風に言うなんて、どんな人だったんですか?」
「ああ、それは……話すと長くなるねぇ……。
お~い、じいさん! ついでに酒とグラス持ってきてよ、あいつに献杯の一つもしてやろう!」
リタが奥に向かって声をかける。
「なんじゃい、そりゃいいが、手が足らんわ!
リタ、こっちに来て持つの手伝わんかい!」
「はいはい、仕方ないねぇ……」
ぼやくように言いながらリタは立ち上がり。
「行ってくるよ」と言いながらレティとエリーに片目をつぶって見せた。
リタが奥に消えて、しばらくして。
「……そんな人だったんですか?」
「どうだろう……そう、だったのかも、ね……」
「ふぅん……そうなんですか、そうなんですか……」
「……どうしたの?」
「なんでもないですよ~だ」
ぷい、と珍しくエリーが顔をそむけた。
ちょっと、自分がついていけない話題が続いて、おまけにレティにとっても軽くない人の話らしくて。
早い話が、少しいじけていたのだ。
「なんでもないようには思えないのだけど……」
「なんでもないんですっ。
……ねえ、レティさん。レティさんにとっては、どんな人だったんですか?」
「私に、とって……ん~……そう、だね……」
その言葉に、しばらく考える。
自分にとって、どんな存在だったか。
それは、とても一言では言えなくて。
「難しい、ね……リタじゃないけど、好きとは言えないのに、嫌いでは決してなくて……。
私を、拾ってくれた人だから。
恩を感じては、いたかも知れない……」
今となっては、確かめることもできない。
自分の考えに、彼の死というフィルターがかかってしまっていることを、妙にはっきりと自覚する。
「なんだいなんだい、湿っぽい空気出して。
そら、続きは一杯やってからだよ!
ああ、エリー、あんた酒はいけるかい?」
「あ、はい、大丈夫です。
……えっと、レティさんは大丈夫なんですか?」
「飲むだけなら、問題ない」
「こいつは大体の毒やらに耐性があるからのぉ。
それこそ、グレッグの奴がつけさせたんじゃが」
「ああ、ありゃぁ酷かったねぇ、そこまでやるかって、あたしも何度も思ったよ」
グラスが、レティとエリーの前におかれた。
ついでに、つまみとなりそうなものも適当に持ってこられた。
「その辺りの悪口は一旦おいとけ。
まずは献杯じゃ。
……グレッグと、亡くなったギルドの仲間たちに」
じいさんが口調を改め、厳かな雰囲気でグラスを掲げると、三人もそれに従った。
そして、グラスをぐいっと煽って。
「じいさん、奮発したね?」
「わかるか、リタ。ま、折角じゃからの」
「んじゃ、遠慮なくっ」
ぺろり、と唇の端を舐め取ると、リタはおかわりを手酌した。
酒が入ると、ただでさえよく回る口は止まることがない。
リタとじいさんが、ああだった、こうだったと盛り上がっているのを見ながら、時折レティも口をはさみ。
エリーはそんな三人、とくにレティを微笑ましく……少しだけ切なそうに見つめていて。
弔いの酒が一段落着いた頃。
「そういえば、これからどうするんじゃ、お前らは。
わしはこの店を続けていくとして」
「ああ……そうさねぇ、あたしはまあ、なんとでも食ってくけどさ。
どっかに腰を落ち着けたい気もするんだよね……ちょっと、疲れちゃったよ」
「なら、仕事の斡旋の一つや二つ、できるぞい?
お前さんなら引く手数多じゃぞ」
「じいさん、娼館のツテもあるのかい?」
「そりゃの。お前さんなら高級な店も十分じゃろ。
なんとなれば、メイドの口も紹介するぞ?王家も公爵もいけるぞい」
さも当然のように、じいさんは言う。
機嫌良く顔を赤くしているが、口調はしっかりしている……冗談、だけでもないようだ。
「冗談はよしとくれよ、あたしが高級娼婦?
まして王家や公爵様のメイドだなんて」
「冗談でもないんじゃよ。
もちろん言動は気を付けんとじゃが……お前さんの身に着けてる知識教養、いざとなればできる振舞いはそういうもんじゃ。
グレッグのしてきた教育は、それだけのものじゃよ。自分ではわからんかもしれんがの」
「……確かに、そういう仕事の時には役に立ったけどさ……。
あ~、くっそ、またむかついてきた! なんなのさ、あいつ!」
思い返してみれば、様々な手段で貴族の懐に入り仕事をしてきたが、不自然に思われたことはほとんどなかった。
今思えば、だが。それだけに……なんとも言い難い気分に苛まれ、グラスを煽る。
往々にして、言いたいことを言いたい時には、言えなくなっているものだ。
「イグレットはどうじゃ?
お前さんの教養も似た様なもんじゃが……お前さんはメイド向きではないからのぉ」
「私? ……私、は……特に浮かばない、けど……」
グラスから口を離して考える。自分が、これから、したいこと。
ぼんやりと白い空気にまとわりつかれるような感覚。
くい、とグラスを傾けて飲み込みながら。
「エリーは、これからどうしたい、とか……ある……?」
「はい? ……あ~……私、ですかぁ?ん~……そう、ですねぇ……。
レティさんと一緒! なのは当たり前、ですよねぇ……」
「……ちょっと、エリー?」
酔っていた。
戦術兵器にあるまじき酔い方をしていた。
レティの腕にしがみつきながら、えへえへと幸せそうな笑みを見せている。
まさか、弱かったの……? と内心で驚いていると。
「あ、そうだ! ……私、旅、したいです。
でぇ、西に、行きたいなぁ……見てきたいものが、あるんです……。
ねえ、レティさぁん、だめ、ですかぁ?」
しがみつかれ、寄り掛かられ、甘えられ。
たじろぎながらも、逃げることができない。
耳が熱い気がするのは、酒のせい、だと思いたい。
甘えられるのが、不快では、ない。
「だめ、じゃないけど……うん、だめじゃない。
じゃあ、そうしようか」
押し切られた。
だが、それは決して悪い気分ではない。
むしろ……少し高揚した気分になるのは、なぜだろう。
「……のぉ、イグレットや。なんだかお前さん、尻に敷かれとらんか?」
「……じいさん……言わないで欲しかった、かな……」
呆れたような、からかうようなじいさんから目をそらし、ぼやく。
珍しい様子にやけに盛り上がるリタとじいさんを恨みがましく見やり。
ふと気づいたような声をあげた。
「あ、そうだ……それなら……ねえ、ボブじいさん、リタ。
二人が良ければ、なのだけど……」
「ん? 何何? あんたのお願いって珍しいね、お姉さんなんでも聞いちゃう♪」
「ちょ、だめですリタさん、レティさんは私のマスターなんですぅ」
……真剣になど、なれはしない。
そんな空気に、困ったような、しかし不快ではないような。
こんな気分になるのは初めてで。
「あのね……多分、まだ残ってる仲間いると思う、から……。
その人たちに、退職金を持っていくのは、だめかな……旅のついでに」
「ほう? ……なるほど、連中は王都周辺を主に狙っておったから、手が及ばんかったところもあるじゃろう。
それに、それで少しはここの金も減らせるじゃろうし、悪くはないのぉ」
「あたしも賛成。あんたならちょろまかすこともないだろうしね」
「……二人とも、ありがとう……」
「じゃあ、それは私が背負って運びますね!
レティさんの忠実なる僕なんですから!
力持ちですしね、ほら、ほらぁ!」
当たり前のように信頼されている。多分、今までも信頼されていた。
……今初めて、認識できた。それは、なんともむずがゆい。
アピールするように大振りの椅子を片手で軽々とぶんぶん振り回すエリーをなだめながら。
生きていてもいいのかな。
なんとなく、そう思った。
「エリー、ほら、わかったから……。
……ちゃんと、一緒だよ。当たり前でしょう?
一緒に、旅をしよう……一緒が、いいな」
きっとそう思えたのは、彼女のおかげだから。
そう告げながら、そっとエリーの手を握った。
途端に、ぴたりとエリーが止まる。
握られた手を、見つめて。
そっと、しずしずと、椅子を床に下ろす。
こほん、と咳払い。
すぅはぁ、と深呼吸を数回して。
「そういう、そういうところですっ! この、女たらしっ!!」
「……さすがにそれは、理不尽だと思うな……」
顔を真っ赤にしたエリーになじられ、困ったように眉を寄せてぼやく。
リタが爆笑しながら手を叩き、「お熱いねぇ!」とはやし立て。
ボブじいさんが、「店のもんを壊すのだけはやめてくれよ」と笑いながらたしなめる。
ああ、きっと。
申し訳ないけれど。
楽しい、のだろう。
残された人間は、生きていかねばならないから。
せめて、少しの慰みくらいは許されるだろうか。
ふと、天井を見上げた。
生きていくよ、と。
心の中で、グレッグに、テッドに、仲間たちに。そっと、告げた。
西へ。そう、彼女は言った。
だが、所詮は俗世の人間。旅をするにも物入りだ。
次回:発つ鳥は跡を濁さない
仕事も旅も、準備8割




