渡りに船
ナディアは午前中の内にバランディアとのつながりがある商人との謁見を行い、それを元に交渉の下準備を始めながら、各所へも一通りの指示を出していった。
当然遠征は中止、軍は王都防衛のための配置へと変更がなされていく。
一段落したのは昼過ぎ頃、食事を取らねばということで一度退出した。
食事は部屋へと運ばせ、一息吐く。
「ふう、ただいま戻りました」
「姫様お帰り」
戻ってきたナディアを、早速ジェニーが出迎える。
なぜだろう、パタパタと振る尻尾の幻影が、エリーには見えた気がした。
頭を撫でたりとスキンシップを始めた二人に、しかし挨拶をしないわけにもいかないだろう、とエリーは意を決した。
「お疲れ様です、ナディア様」
「あ、は、はい、ありがとうございます、エリー。
それから、イグレット様も……」
「ん、お疲れ様」
エリーへと挨拶を返したナディアは、部屋の隅に隠れていたレティが姿を現したのを見て、声をかける。
ジェニーやエリーがこの部屋にいるのは全く問題無いが、レティがいるところを見られては色々とまずい。
ということで、足音が聞こえた時点でレティは一度隠れていたのだ。
「それで、状況は?」
「はい、なんとか目論見通り、遠征は中止、バランディアとの停戦交渉を私が行う、という形で話がつきました。
後は、バランディアとの交渉をどうするか、ですが……」
悩ましげにナディアはため息を吐く。
彼女とて王族、様々なツテは持っている。
しかし会議の場では大見得を切ったものの、戦争状態に陥った今、使えるものかどうかは自信が無い。
どこまでの交渉ができるか、以前に、交渉ができるかがまずわからない、のだが。
「ああ、なら私が先に話をつけてこようか」
「……はい?」
唐突なレティの申し出に、ナディアが目を瞬かせる。
確かに彼女はバランディア側の人間だ。
だが、どう考えても一兵卒、あるいは密偵の類い。
その彼女が一体、と訝しんでいると、横合いからエリーがフォローを入れてきた。
「あの、レティさんと私は、コルドバを守備してる指揮官や国王リオハルト陛下と顔見知りでして」
「……はい?」
その突拍子も無い内容に、また間抜けな声を出してしまった。
この二人は、一体何を言っているのだ? と二人の顔を交互に見やることしばし。
「あの……一体どういうことですか……?」
「話すと長くなるし、話せないこともあるのだけど……以前仕事を受けたことがあって」
「今回は私達、バランディアの軍属ではなく、冒険者として協力してたんです」
「は、はぁ……いえ、エリーの能力は見ましたし、イグレット様の腕もあれば、それは……。
い、いえしかし、そんな都合のいいお話がありますか!?」
ついに耐えきれなくなったのか、ナディアは悲鳴のような声を上げてしまった。
確かにこの二人は特殊だ、特別だと言ってもいい。
だからと言ってそんな、都合の良すぎることがあるものだろうか。
「確かにまあ、美味しすぎる話ですよねぇ」
「信じてもらうにも、証拠もないけども」
困ったように顔を見合わせるエリーとレティ。
リオハルトやゲオルグから何か証明になるものをもらっているわけでもないから、どうしたものか。
と考えていたエリーが、何か思いついた顔になる。
「でしたら、人質ではないですが、私がここに残るのはいかがですか?
こう言ってはなんですが、レティさん一人の方が移動は早いですし」
「え、そ、それなら……少々お待ちいただけますか?」
エリーからの提案に、ナディアは考えを巡らせる。
この二人の関係を観察していて、エリーがここに残るならレティが裏切るようなことはないはずだ。
また、レティ本人も含むところの無い人物だとも思う。
顔見知り、というのがどの程度の度合いかわからないが、打っておいて損の無い手だとはいえよう。
「確かに、そうしていただけると私としては安心ですが……イグレット様はそれでもよろしいのですか?」
「……まあ、複雑なものはあるけれども。
それが今は最善手だとも思うし」
その気になれば一瞬で戻ってこれるし、とは流石に言わないが、今の状況であれば数日離れるくらいは我慢もできよう。
あっさりとしたレティの言葉に、ナディアは若干面食らいながらも、おずおずと口を開く。
「そ、そう、ですか……でしたら、私としても是非はありません。
申し訳ないですが、お願いできますか?」
「ん、わかった」
「はい、かしこまりました」
ナディアの依頼に、レティとエリーはこくりと頷いた。
それから、レティが一瞬考えるように沈黙して。
「……ただ、申し訳ないのだけれど……さすがに徹夜明けだから、すぐにというわけには」
「あ、もちろんそれはそうですよね、当たり前です。
申し訳ありません、私ったらお休みいただく手はずも整えず……」
「いや、私も流石に、情勢が見えるまで寝るわけにはいかなかったし、問題無い」
もとより夜の活動に慣れた身だ、この程度の徹夜も本来ならば大したことはない。
しかし流石に、夜の活動を続けた日々の最後にベルモンドとのあの一騎打ちだ、疲労はピークにあると言っていいだろう。
そのことに思い至らなかった自分をナディアは恥じながらも、すぐに手はずを整える。
「流石に客間をお使いいただく訳にはいかないのですが、私の部屋から通じる隠し部屋があります。
そちらでなら安心してお休みいただけるかと」
「そう、じゃあありがたく使わせてもらおうかな」
「はい、ではどうぞこちらへ……あ、そうそう」
レティを案内しようとしたナディアが立ち止まり、振り返る。
「エリー、あなたも一緒に休まれては?
折角会えたのにまた離れてしまいますし、二人でないとできない話もあるでしょうから」
「ええと……そうですね、お言葉に甘えさせていただきます」
ナディアの留守中にももちろん色々な話はした。
しかしそれも、ジェニーが傍にいるため当たり障りの無い話しかできていない。
だから、ナディアの申し出は実にありがたい。
ということで、二人してナディアの案内に従い隠し部屋へと向かった。
……それからしばらくした後、ジェニーが不思議そうな顔になる。
「……姫様、変な声が聞こえない?」
「いいえジェニー、それは気のせいです。ええ、気のせいです」
ジェニーの問いかけに答えるナディアの頬は、若干赤かった。
戦争の合間の、つかの間の、緩やかな緊張。
少しずつ、じわじわと、確実に削られていく何か。
その空気の中もたらされた朗報は、状況を一変させる。
次回:渡ったその先
そこから先はお手の物。




