ガシュナートの長い夜
窓から抜け出して、まずは屋根伝いに大回り。
そのまま向かってしまえばナディア王女の関与が疑われてしまうからと、偽装のために。
それから、ファムの情報と自身の探査魔術を組み合わせてルートを探り、進んでいた、のだが。
「……これは……おかしい」
進んでいたレティは、唐突に小さく呟いた。
見張りの目を掻い潜り、ここまで来た、と思っていたのだが。
明らかに、警備が手薄なのだ。
まるでそれは。
「……これ、誘ってる、よね……」
つまり、こちらへ来いと、呼ばれている。
この警備網を敷いていた人物に。つまりは、恐らく。
「だったら、お誘いに応じようかな」
覚悟を決めると、また歩みを始める。
もちろん、そう見せかけての不意打ちもあるだろうから、十分周囲の警戒はしながら、だったが。
やはりその警戒は、杞憂に終わった。
通路を抜けた先の広間まで、誰に会うこともなく。
そして、そこに待ち受けていた男が一人。
「ほほう。よもやこれほどの手練れが、あなたのような若い女性だとは。
いやはや、長生きはするものですな」
そう言いながら、老紳士に見える彼はにこりと微笑んだ。
まるで無害な微笑みの奥に、油断ならない瞳の色を隠しながら。
もっとも、隠していてもレティは見透かしていたけれど。
「……そう、ありがとう。
つまり、女性だからと侮ることもなく油断もしない、とも聞こえたのだけど」
「それはもちろん、そうでしょう。
あなた程のお人相手に、油断も手加減も、失礼に値するどころか命の危険に値します。
伊達に年は食っておらず、人を見る目はあるつもりですよ」
飄々とした言葉に、小さくため息を吐く。
どうにも食えないこのタイプは、油断もしていない。
そのことは、経験上よくわかっている。
「そう。なら、先にあなたにも賛辞を送っておこう。
あれだけの警戒網は初めて。
そして、ここまでがザルだったのは……待っている、というメッセージで良かったのかな」
「ははっ、そこまで正確に読み取っていただけるのは嬉しいものですな。
あの警戒網をすり抜けた油断ならぬ影が、しかしそれと掴ませずにこの城を探ること二日。
そろそろか、と仕掛けたのが功を奏したようです」
その発言に、レティは内心で舌を巻く。
探知の範囲には引っ掛かっていなかったようだが、それでも違和感は感じ取られていたようだ。
改めて、目の前の老人がただの老人ではないことを痛感する。
「なるほど、勘付いてはいた、けど確かめに動けないくらいには忙しかった、と」
「残念ながら、悲しい宮仕えの身ですからね」
そう嘯く老人を、しばし、じぃ、と見つめて。
それから、言葉を重ねた。
「多分それ、半分嘘だよね。
あなたが本当に仕えている存在は、別にいる」
「……ふむ? どうやら、本当に油断ならぬお相手のようですな……」
途端に、彼の纏う空気が変わった。
今までも決して油断は感じなかったが……もっと強い、殺意を籠めた使命感を感じる。
そんな圧力を感じてもなお、レティは眉一つ動かさない。
「そう、だね。多分あなただったら、これだけでわかるんじゃないかな」
言いながら、ゆっくりと小剣を抜き放つ。
青い光をひっそりとたたえるそれは、コルドールの剣術大会で授かった、あの小剣。
まるで誂えたかのように手に良くなじんでいるそれを見た瞬間、また老人の表情が変わった。
「なんと! それは、それは……」
「ああ、やっぱりわかるんだ」
さすが、あれだけの警備網を敷く知恵者は良く知っている、程度の認識、だったのだが。
表情の歪み方を見て、おや、と眉をひそめた。
そんなレティを知ってか知らずか、老人は抜き放たれた剣を見つめることしばし。
唐突に、くっくっく、と喉を鳴らしだして……やがて、抑えきれなくなったのか、笑い声をあげた。
「ははっ、ははははは!!
まさか、その剣を持っていたとは!
そして、そのあなたがわざわざ、ここに来てくれるとは!」
「……何、それ。
まさかあなた、この剣が欲しかったの?」
豹変した老人の様子に若干引きながら、レティはわずかに剣を傾けて指し示す。
呆れたような問いかけに、しかし老人はこくこくと、気にした様子もなく頷き返した。
「もちろんですとも!
冷鍛法などという、原始的で、野蛮で、暴力的で、非合理的な手法で生み出された剣。
だからこその輝きを放つその刃、剣士として憧れぬわけがありますまい!」
「……それはどちらかと言えば、芸術家の意見な気がするのだけど……」
剣士として、と彼は言った。さて、それは魔術を使わないと思わせるブラフかどうか。
そう警戒をしながらも、さらに思考を重ねる。
剣士の端くれ、暗殺者寄りのレティからすれば、剣は性能が第一。
もちろんこの剣は、性能も超一流ではあるのだが。
しかし、ということは。
「……もしかして、カーチス達をコルドールに行くよう仕向けた?」
「はは、コルドールの話をしたことはありますが、唆したつもりはございませんな」
「なるほど……大した腹黒だこと」
やはりこの老人は、タヌキもタヌキ、大ダヌキだ。
そして今、元々の使命感に加えて、もう一つのモチベーションまで得てしまった。
これは、本気で骨が折れそうだとレティは内心でため息を吐く。
「最後に、一つだけいいかな。
それこそあなたほどの人が、どうしてゴラーダについたの?」
「もちろん、我が主のご下命がございまして。
そして、もう一つ。
あの、子供染みた残忍なまでの感情と、容赦のない行動力が私にはとても好ましいのですよ」
全く裏も表もなく、心から喜ばしそうに答える姿に、今度こそため息を吐いた。
そもそも、話し合いができる相手ではなかったのだと、改めて思う。
「なるほど、よくわかった。
後は剣で決めるしかない、ということが」
「それは、元よりわかっていたことでしょう?」
その言葉に、レティは苦笑を浮かべながら肩を竦めて。
老人は、小さな笑みを見せて。
刹那。
二人の姿は、闇へと踊った。
容易ならざる相手。それは、互いの共通認識。
だからこそ、探り、試し、攻める。
攻防の末に、やはり直感は正しかったのだと認めたうえで、次の一手は。
次回:剣呑武闘
それは、あまりに危険な舞踏会




