『仕事』の終わり
「奴が出立してから九日、そろそろ遺跡の最深部に着いたころ、か?」
彼の頭を悩ませる跡取り息子が出立してから、常にふわふわとした現実味のない不安のような、足のつかない感情の中にいた。
それを表に出すことなく普段の業務を遂行する辺り、彼も優秀な人物ではあるのだが。
流石に神経は疲れ、夜になれば自室で深酒に浸る日々になっていた。
「本当に、大丈夫なんだろうな? ……いや、信じるしかないか……」
ランプ一つに照らされた薄暗い部屋の中、幾度か首を振る。
親しくしている、某伯爵家の家令から教えてもらった情報。
それを信じるならば、十分成功の目はあるはずだ。
如何に奴が人間離れしていようとも。
人間離れしているのならば、人間離れしたモノで始末すればいい。
そう心に決めた日から、彼の暗躍は始まった。
「これでいいんだ、これでジェラール様が跡取りになれば、エンドルク公爵家は安泰……それがあるべき姿なんだ……」
家令。執事やメイド達を取りまとめ、雑務はもちろん事務も取り仕切る、貴族の家の裏の支配者。
エンドルク家の家令を父に持つ彼は執事として仕え、いずれは次期家令となるべく修行をしていた。
その日々の中で、彼は特に次男のジェラールと懇意になった。
……というよりも、カーチスがあまりに、取り入るには危険な男だったためにジェラールに取り入った、というのが正しいのだが。
ともあれ、ジェラールは彼と親しくしている。とても素直で、優しい子だ。
そう、彼の言うことであれば何でも疑いなく信じるほどに。
「ジェラール様から旦那様にお願いさせれば、大抵のことは何とでもなる……。
このまま上手くいけば、あいつがいなくなって、ジェラール様が当主、そうすれば俺の時代が、来る」
グラスを持つ手を震わせながら、自分自身に言い聞かせるように。
今回の依頼も、ジェラールに様々なことを吹き込み、公爵へと嘆願するよう唆した結果報酬を調達できた。
そして。
「大丈夫だ、ここまで仕込んだんだ、上手く、やれる……」
すでに一番の障害であるグレッグはいない。後は彼女を支配下におくだけだ。
そう嘯くと、グラスを煽った。
ことん。
窓を閉め切った部屋、テーブルに置いたグラスの音がやけに響く。
「……こんばんは」
「は?
……な、何?! 誰だ?!」
唐突に聞こえる、静かな声。
慌てて周囲を見回すと、窓辺に黒い人影。
差し込む月の青い光を吸収するような黒い服、長い黒髪。
薄闇に隠れたその表情は、読めない。
「……暗殺ギルドから。依頼の達成報告と、後金の請求に」
小さな声でそうささやくと、何かを放った。
狙いたがわずテーブルに落ちると、つぅ……と滑って男の目の前に流れていく。
「これは……聖印か、カーチス様の……ということは……」
「ええ、依頼は達成した。それは、その証拠に指定されたもの」
その言葉に、震える指を聖印へと伸ばす。
恐る恐る指先でつつき、ゆっくりと指をかけて、感触を確かめる。
手に取り、表を見、裏を返し……幾度も幾度も、その証拠を食い入るように見つめ。
「ははっ、ははははははは!!!
やった、やったぞ! ついにやったんだ!」
「うるさい。
確認できたのなら、後金を」
快哉を叫んだところに、冷たい声が水を差す。
興が削がれたのか不機嫌そうな顔になると、しっしっと手を振った。
「馬鹿を言うな、詳しくはハンスに確認しろ」
「ふぅん……なぜ、ハンスなの?」
「は?」
予想外の反応に、動きが止まる。
この女は何を言っているんだ? とばかりにその顔を凝視していると。
「うちのギルドマスターはグレッグ。それは知っているはずなのに、なぜ、ハンス?」
「は!? いや、ちょ、ちょっと待て、お前は何を言っている!?
お前は……お前は、ゴーストじゃないのか!?」
「ああ、そんなことまでしゃべったの、あいつは」
おかしい、ハンスとの打ち合わせとまるで違う。
「お前は、あいつの言いなりになってるはずじゃ!」
「……そんな旨い話があると思う?」
小さなため息に、理解してはいけないことを理解して、冷や汗が噴き出す。
まさか。まさか。まさか。
「……ハンスだけじゃあんなことはしないと思って探って、ね……。
目星がついて、最後の確認に来たら、これだもの」
カタカタと小刻みに震える音がする。
彼は、自身が震えていることに、いまだ気づけていなかった。
「どこで知り合ったのかは知らないし、知るつもりもないけど……。
あなたはハンスを、ハンスはあなたを利用した。
それぞれに邪魔な者を排除するために……おあつらえ向きの依頼を用意して」
ゴロツキを集め、それぞれに各地のアジトへ向かわせる。
数日で準備できるようなことではなかったはずだ。
依頼があってから慌てて準備したのでは遅すぎる。
つまりは、前々から仕組まれたことだった。
とはいえ、時間は十分ではなく、仕込みにほつれもあったのだが。
「ち、違う、私は、あいつに騙されてっ」
「うん、それは嘘。
……ああ、これは聞いてないの……私に嘘は通じないって」
淡々と告げられる言葉に、愕然とする。
言い逃れはできない。そう、宣言された。
「グレッグが殺された直後、あなたがギルドを訪れて、ハンスと何か話していたのはわかってる。
大方、後金を山分けして着服したんじゃない?
……沈黙は、肯定とみなすけど」
答えられるわけがない。
視線が、泳ぐ。その視線を追った彼女が、小さく何かを呟いた。
しばらく、彼女の声にならない声だけが響いて。
「ミスリル銀の反応を確認。……あの柱の中に隠してるんだね」
「なっ、そんなことまで?!」
もはや何度目かもわからない驚愕。
完全に、丸裸にされた。
……凍てつく真冬の夜風が吹き付けてきたかのような、悪寒がする。
「さ、確認は終了。
……回収の、時間だよ。依頼の達成報酬と……裏切りの代価との」
最早言葉を発することもできない彼の目の前で、鈍く光る煤けた短剣が抜かれた。
翌朝、エンドルク家の執事が自室で刺殺されているのが発見される。
窓も扉も閉まっている完全な密室。
その傍に置かれた、血に汚れた聖印。
全てを察した公爵は、その事件を隠蔽した。
あまりにも多くのものが失われた。
それでも、残された者は立ち止まれない。
明日は来るし、腹は減るのだから。
次回:それぞれの、それから
生きていかねば、ならぬのだから。




