言葉は、なく
最後に少々バタバタしたものの、ひとまず必要な情報交換を終えて、その夜は別れた。
そしてまたあくる日の夕方。
「手順と、操作と、呪文は……これで間違いないですね?」
「……はい、これで問題ありません」
エリーとナディアは、二人して手順書を作成し、確認しあっていた。
ここを間違えてしまえば元も子もないのだから、それはもう慎重に。
もう幾度目になるだろうか、最後の確認、と言い出してから。
それも、これから起こることを考えれば、仕方のないことだが。
「これが、最初で最後の機会です。
先程、陛下には明日の出立で問題ないと報告してしまいましたからね……」
「いえ、それで問題ないですよ。
……少なくとも、最低限のことはクリアできるでしょうから」
最低限。つまり、ゴラーダを討ち、自分たちを解き放ってくれることは、きっと成し遂げてくれるはずだ。
もし、その後に自分達が目覚めなかったら?
そのことに……エリーは思ったよりも冷静だった。
「ですが、最低限をクリアして、もし万が一、貴女達が目覚めなかったら……」
「それは、確かに心配ではありますけども……。
多分、あの人はそれでもなんとかしようとしてくれるはずですから」
きっと、エリーの事だけを考えて、エリーのために、何かをしようとしてくれるはずだ。
その時に一緒に居られないのは辛いけれども、あの人の心は独り占めできるのだから。
「……エリー、貴女、何と言いますか……見かけよりも怖い人でしたのね……」
「あら、そんなことはありませんよ?
いたって普通の恋する乙女なだけです♪」
エリーにとってはいたって普通のこと。
少しだけ、普通の人間よりも自分のことが軽くて、レティのことが重いだけだ。
ただそれだけのこと、なのだが。
「な、なるほど……普通の恋する乙女、とはそのようなものなのですね……」
「あ、あの、ナディア様?
あまり真に受けないでいただきたいと言いますか、その……。
も、もしかして、ジェニーに抱いた気持ちが、初めてなんですか……?」
予想外なナディアの反応に、エリーはしばし言葉に困り……それから、おずおずと問いかける。
その問いに、ナディアはしばし沈黙して……顔を赤らめながら、答えた。
「そ、その、恥ずかしながら……おかしいですよね、こんな年で。
極力人との接触を避けていたからでしょうか……」
その表情、仕草は、まさに恋する乙女のもの。
厚かましくも自分で自分をそう称したエリーは、かえっていたたまれなくなってしまう。
「……姫様、私が初めて?」
横で聞いていたジェニーが、不思議そうに首を傾げた。
その言葉に、ナディアはぴしっと硬直してしまう。
数秒ほどだろうか、考えるような表情と、沈黙があって。
「あの、その……初めてか初めてでないかと言われたら、初めてかも知れませんね……?」
誤魔化そうとして誤魔化せていない、そんな返答をしてしまう。
だが、その答えを聞いたジェニーは、こくり、と頷いて。
「理解。
姫様の言葉を聞いて、胸の奥が暖かくなる感じがした。
多分私は、嬉しいのだと思う」
「……ジェニー!!」
感極まってしまったナディアは、ジェニーを抱きしめる。
それをまた、ジェニーは当たり前のように受け入れていた。
この数日間で、もう何度この茶番を見せつけられてしまっただろうか。
もっとも、それで生じるのは怒りでや妬みではなく、レティに会いたい、という気持ちばかりなのだが。
「はいはい、お二人とも、そこまでにしておきましょう?
もう時間もないんですから。
……大丈夫ですよ、きっとなんとかしてくれます。
なんなら、私を起こすために世界中旅してくれそうな人ですから」
きっと、あの人はそうしてくれるだろう。
そう、信じている。
そして。
「はぁ……ほんのわずか垣間見ただけですが……貴女とあの方の関係が、羨ましくてしかたありません」
「大丈夫ですよ、全てが上手くいって、ジェニーを改修できたら、ナディア様達もこんな感じになれますから」
「や、やだ、私達もだなんて……そんなそんなっ!」
……この反応を見るに、ナディアが裏切ることもないだろう。
であれば、後は身を任せるしかない。
「でも、本当にそう思いますから。
ですから、その未来のために……お願いしますね」
そういうと、エリーはベッドに横たわった。
それを見てジェニーもまた、隣のベッドに横たわる。
「は、はい、わかりました……まかせてください」
そう答えたナディアは、二人が目を閉じたのを確認してから手順書の通りに手順を進め始める。
手順が進む度に自身の身体の制御が失われ、どこか暗い淵へと追いやられていくような感覚。
中央処理回路も、切断されて。
エリーの意識は、完全に切り離された。
「……二人とも、打ち合わせ通りの状態だね……」
エリーの意識が失われてから1時間程だろうか。
昨夜と同じように現れたレティが、エリーとジェニーの様子を見ながら小さく呟く。
まるで寝ているようにしか見えないが、動き出す気配はまるでない。
死んでもいないが生きてもいない。
そんな、仮死状態のような二人を見ると……言葉にできない感情が湧き上がってくる。
「はい、なんとかここまでは手はず通りに。
二人に探査魔術をかけましたが、想定通りの状態になっています。
ですから、後は……」
答えるナディアは、憔悴していた。
単純に、複雑な手順の魔術儀式を一人でやり通した、ということもあるのだろう。
だが、その表情はそれ以上に沈鬱にも見えた。
「うん、後は、私に任せて。
必ず、なんとかしてみせるから」
「はい、お願いいたします。
……ですが、その後、私は……ちゃんと二人を起こせるかどうか……」
「……大丈夫。きっと、なんとかできる。
万が一のことがあれば、あの遺跡は私も知ってるし、なんとかできる方法をきっと見つけられるから。
だから、変な心配はしないでいい。私に、任せて」
「は、はい……はっ!?」
レティの言葉に頷いたナディアは、しばし茫洋とした表情を浮かべて。
それから唐突に、自分の頬をぺしぺしと叩いた。
「どうしたの、急に……」
「いいえ、なんでもありません、なんでもありませんから!」
「そ、そう……」
どう考えても、何でもないようには見えないのだけれども、という言葉は飲み込んだ。
多分それは、墓穴だとかそう言う類のものだろうから。
だから、それ以上は問いかけずに、ふぅ、と小さく息を吐き出した。
「それにしても……久しぶりにちゃんと顔を見れたのが、こんな状況だなんて、ね……」
改めて、エリーの寝顔を見る。
見慣れた、しかしどこか緊張しているような寝顔。
寝息は、立てていない。そもそも、呼吸をしていない。
息をしていない、なのに、死んではいないと、何故か確信できる表情。
つまりは、死んでいない。今はそれで十分だ。
「……かならず、何とかするから、ね……」
そう言って、エリーへと顔を寄せた。
物言わぬ彼女へと、そっと口づける。
何とも言えない、重く切ない味がした。
……こんな口づけは、二度としたくない。
「じゃあ……行ってくる、ね……」
「はい、どうぞご武運を……」
ここまでを、ナディアに託すしかなかった。
そのナディアは今、レティに託すしかない。
託すしかない者の悲痛な声が、レティの胸にやけに響く。
「任せて。あなたは、ジェニーの笑顔が見たいのでしょう?
私だって、エリーの笑顔が見たいのだもの」
だから、そう軽やかに笑って。
するりと、窓から外へと抜け出した。
ガシュナート王都に蜘蛛の巣のように張り巡らされた網。
その綻びへと、忍び込む。
忍び込んだのか招かれたのか。
その先で待つのは鬼か蛇か、あるいは。
次回:ガシュナートの長い夜
彼女の刃は、夜にこそ冴えわたる。




