決意の夜
エリーの元から『跳び』去り、一度来たことのある路地裏へと瞬間移動したレティもまた、その場に崩れ落ちた。
会えたこと、なんとかなるとわかったこと、それでも、今はどうしようもないこと。
それらが今更になって、どっと押し寄せてきた。
崩れ落ちたまま、小さくうめき声をあげる。
痛い。痛い。痛い。
身体のどこも痛くないのに、ひたすらに、心が痛い。
その痛みに耐えきれず、堪えきれず、立ち上がれない。
じわり、涙が滲んできたことを止めることもできない。
何とか抑え込んでいた感情が、今更ながらに溢れ出し、止めることなどできもしない。
どれくらいそうしていただろうか。
それでも、立ち上がらねばならない。
そのこともよくわかっているから。
ぐい、と乱暴に顔を袖で拭い、立ち上がる。
途端に感じる、疲労感。
ここまで全速力で走ってきたのだ、疲労が無い方がどうかしている。
だとすれば。
「……まずは、休まないと……」
ここから、何が待っているかわからない。
であれば、身体を休めて、万事に備えるべきだ。
そう自分に言い聞かせ、大きく息を吐き出し、歩き出す。
ファムに斡旋してもらった宿までは、ここからそう遠くない。
まずは、と足をそちらへと向ける。
たどり着いた宿は、裏稼業向けの胡散臭いもの。
そういう稼業向けだけに、寂れてはいるものの、同時に口も堅い。
うっかり口を滑らせでもしようものなら、次の日には息の根が止まっているだろうから。
通された部屋は、今迄泊まっていた部屋と比べて格段に落ちるもの。
同時にそれは、かつてのあの頃に馴染んだもの。
粗末なベッドに腰かけたレティは、小さく呟く。
「……まずい、かな……」
その感覚が、そして千々に乱れた感情が。
あの頃の感覚まで、呼び戻しそうで。
全てを、丹念に調べ上げた上で問答無用の方法で闇に葬る、あの感覚。
何年も馴染んだ感覚だけに、こうも簡単に戻ってきそうになるものかと愕然ともする。
「落ち着こう……問答無用、で解決するかはわからないのだから」
そもそも、情報がまだまだ不十分だ。
エリーを取り戻すための条件の確認。
そのための手段の確立。
何よりも。
「あの、剣呑な空気……あれは、かなり、まずい」
ややもすれば、カーチスをも凌ぐ危険度。
そんな存在を、あの時確かに感じ取った。
「……向こうにバレてなければいいのだけれど」
恐らく、気付かれてはいなかった。
気づかれていれば、エリーとのあの会話の最中に乱入されたであろうから。
けれども。
「けれど……二度目はない、かな」
恐らく、二度近づけば、気付かれる。
であれば……早々にエリーの居場所を特定できたことは幸運だった。
明日、明後日は、『跳躍』で訪ねることができるのだから。
「探れるなら、探っておきたいけれど……厳しい、か」
恐らく、あの杖、マスター・キーの効果を排除するには、ガシュナート王ゴラーダをどうにかする必要があるのだろう。
であれば、そうしようとした時に、間違いなくあの存在は邪魔になる。
可能ならば、情報を集めたかったのだが……それは、色々な意味で難しいだろう。
そう考えたところで、ふと思い立った。
「……情報屋のファムなら、何か知ってないかな……」
あれだけの相手だ、望みは薄いだろうが、手を打つに越したことはない。
無理だったなら、それはそれでまた考えればいい。
……なんとも前向きになったものだと気づいて、少し自分に驚いてしまったりもするが。
「自分で考えられるようになったことは、悪いことじゃない、かな……?」
その分、辛いこと、しんどいことも多いが。
あの頃は、グレッグの言うことに従っていれば間違いはなかった。
今は……全て自分で考え、自分で決めなければいけない。
特に、自分で決めなければいけない、というのが重苦しい。
グレッグは当たり前のように考え、決断していたが……それがどれだけ凄いことだったのか、今更ながらに実感してしまう。
「……考えよう。
何をすべきか、どうすべきか。
私は、何を得たいのか」
もちろん、言うまでもなくエリーの身柄の確保だ。
しかしそれは、当面の、だ。
これから先のことを考えたら、どうすべきか?
最優先事項は言うまでもないが、それがクリアできたとして、どこまで求めるべきか。
「王殺し、はこれで二度目、か……。
ナディア王女が、王位を継ぐ決意をしてくれたら、問題はないのだけれど」
かつてグレッグが、避けていたもの。
条件を満たさねば受け入れることのなかった依頼を、今こうして、自発的に実行しようとしている。
最悪の場合、ガシュナートという国そのものを敵に回す行為、ではあるのだが。
「先に喧嘩を売ってきたのはあちらだもの……私は、それを買うだけのこと」
色々考えてはいたが、とっくに覚悟ができていた。
後はそれを、どのタイミングでどう行うか、だけ。
もちろん、成功へと至る計算は仕込んだ上で、だ。
「あちらだって、覚悟はしている、よね……?」
ころり、とベッドに横になりながら。
浮かべた表情は、酷薄なものだった。
闇に潜み、虎視眈々とこちらを狙う影。
底知れぬ深淵の向こうに待つそれは、不吉なる予感。
少しでも闇を払い、その輪郭を朧気ながらにでも掴んだその向こうに勝機はある。
次回:滲みだす影
虎穴で待つのはさてはたして。
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