噛み合わない歯車
「で、どうなんだ、こいつの状態は」
時刻は少し遡り、ゴラーダが本陣へと帰還した直後、小さな天幕の中でのこと。
ジェニーと呼ばれたマナ・ドールを見やりながら問いかける。
その声は平板で、ジェニーを心配した様子もなく、かといって苛立った様子もなく冷たかった。
問いかけられたのは、この戦場間近の場にそぐわない、華奢でたおやかな少女。
腰まである艶やかで滑らかな黒髪、彫りの深い顔立ちの中央に輝くのは、穏やかな知性を感じさせる瞳。
表情を読み取らせない表情が褐色の肌とあいまって、何ともエキゾチックな雰囲気を纏っている。
ジェニーの前に跪き、何やら呪文のようなものを唱えてから、しばし目を閉じて集中する。
一分にも満たない時間、彼女はそうして。それから、目を開けた。
「魔力伝達回路の損耗はありますが、一日二日で自動修復するかと思われます。
ですが……制御回路の方で、出力制御弁が二つ破損したようです。
これだと予備部品が足りませんから、一度王都に取りに戻りませんと……」
「ちっ、馬鹿でけぇ威力の代償ってことか。次は余分に持ってこねぇとだな。
で、こっちのはどうだ」
ゴラーダが示したマナ・ドール、つまりエリーに向かって、少女は同じように呪文を唱えた。
今度は、先程よりも随分と長く、慎重に探っていく。
集中のあまり、額に幾粒もの玉の汗が浮かんで、流れ落ち。
目を開ける頃には、集中のあまり小さく息切れすらしていた。
「こちらは、損耗が激しいです。その上、自動修復機能もかなり低下していますね……。
ジェニー、このマナ・ドールが戦闘戦術級、というのは間違いないですか?」
「肯定。幾度か見かけたことがある」
即座に、淡々とした機械的な声が返ってくる。
聞き慣れない人間からすれば相当に違和感があるが、この場にいる人間は気にも留めていない。
返答に、少女はこくりと一つ頷き。
「戦闘戦術級というには、先程見せた戦闘力は強大過ぎました。
恐らく、各種回路に相当負担がかかったのでしょう。
その上、その損耗のせいか、自動修復機能が大幅に低下していますから、完全回復、というのならば、二週間程はかかるでしょうか……」
その返答に、ゴラーダは眉を寄せ、若干不機嫌な表情になった。
それだけで、周囲の側近や護衛は身をすくませる。
ただ一人、正対する少女だけがその視線を平然と受け止めていた。
「なんでそんなに傷んでんだ?」
「それは、まあ……言うなれば、攻城弓の矢を、クロスボウで、攻城弓と同じ威力で何度も撃っていた状態、と考えましたら」
「……くっそ、納得しちまったじゃねぇか」
「恐縮です」
淡々と、あるいはぶっきらぼうに続くやりとりに、傍で見ている者達は背筋が凍る思いで、しかしこの場から逃げることもできない。
そんなことをすれば、それこそ首から上が軽くなる。
自分達が直接ゴラーダと会話する必要がない、ただそれだけでもありがたいくらいの緊張感があった。
「ってことは、王都まで一度戻ってまた進軍して、で時間的には丁度間に合う感じか?」
「できれば王都で三日ほど時間をいただければ。慎重に作業をしたく思います」
「……二日だ。二日で終わらせろ」
「少々考える時間をいただけますか。……かしこまりました、なんとかしてみます」
ゴラーダの無茶な要求に、目を閉じて考えることしばし。
部品の在庫、ジェニーの状態、一週間という時間で自動修復される範囲。
それらを考慮して、不可能ではない、と結論付ける。
確実にできる、とも思わないが。この場合は、それを言っても無駄だろう。
「よし、じゃあそれでやれ。
……しっかし、我が娘ながら可愛げがねぇな、ナディア」
ゴラーダが、呆れたような表情を見せる。それは、滅多に見せない顔だ。
その言葉に、ナディアと呼ばれた少女は困ったような表情になって。
「可愛げ、が陛下の要求する成果に繋がるのでしたら、身に付けますが」
「くくっ、確かにそりゃぁ、必要ねぇわな。
まあいい、成果さえ出してくれりゃよ」
「かしこまりました、それは、必ず」
そう言って恭しく頭を下げるナディアを一瞥すると、ふ、と軽く笑い。
「そいつは頼もしいがな。言ったからには、わかってるな?」
「もちろん。仮にも陛下の娘でございますゆえ」
部下達から見れば獰猛に見える笑みを、軽く受け止める。
その豪胆さが面白いのか、ゴラーダはにやりと唇を歪めた。
「お前の肝の太さを、こいつらにも分けてやりたいぜ」
「ご冗談を。こう見えても私、繊細ですから」
「はっ、繊細な奴が、俺相手にそんな冗談言えるかっての」
そう笑い飛ばすと、ゴラーダはくるりと背を向けた。
「おっし、話は決まった。一度王都まで戻って諸々立て直す。
道中に見張りと連絡係を適宜配置しとけ。十分な金と酒を持たせてな」
そう言いながら、ゴラーダは天幕の外へと出て行く。
その背中へと向かってナディアは頭を深々と下げて見送る。
しばらくすれば、ゴラーダの声は随分と遠くへ行き。それに付き従う側近たちの足音も気配も、遠くへ行った。
それを確認してなお、一分近く頭を下げ続け。
やっと顔を上げて、天井を見上げて……ふぅ……と、ナディアは長い息を吐き出した。
「姫様、体調に問題が?」
「大丈夫です、ジェニー。これは、不調などではないのです」
かけられた声に、微笑みながら答える。
若干ではあるが、ジェニーの声が先程までよりも柔らかい。
少なくともナディアはそう思っているし、そのことが心の支えにもなっている。
ゴラーダと対峙して消耗した分は、かなり回復した。
仮にも親子だ、多少の耐性もある。少なくとも、側近達よりは大分ましだろう。
それよりも、とナディアは顔を動かす。
視線を、エリーへと向けて。
「……仮にも親子ですからね。流石に陛下も、この天幕に密偵を張りつかせたりはしていません。
特にこの状況でしたら、身内よりも外の情報収集に躍起になっているでしょうし」
誰にともなく、という体で、呟く。
傍にいるジェニーも、言葉を向けられたエリーも、答えない。
数秒、沈黙が落ちて。
「そうですね、まだ私のことなど信頼できないでしょうしね。
お話しするのは、信頼してもらってからにしましょう」
くすり、小さく笑みをこぼす。
その表情に、ジェニーは理解しきれないのか小首を傾げ。
エリーは、表情を動かさない。
「あんな人の娘として、この歳まで生き抜いてきたんです。
人の顔色を伺うのは得意なんですよ。だから……いえ、これ以上はやめておきましょう」
そう言うと、エリーに背中を向けて、天幕内の荷物を片付け始めた。
ゴラーダがああ言ったからには、今日中に王都へ向けて動き出すだろう。
侍女も無しに、ゴラーダの娘、つまり王女が、自分で天幕の中を片付け、あまつさえ天幕自体を片付け始める。
さすがに、天幕はジェニーも手伝ってはいるが。
その光景を、無表情にエリーは見ていた。
一瞬だけ、困ったような表情になって。
手入れの悪い車輪は軋み、転がる馬車に隙間を生む。
時にそこからネズミが入り、穴を開けていく。
大したことはない。普通であれば、大したことは。
次回:隙間と軋み
もし内側に、穴を広げるものが居れば?
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