暗雲
最初の夜以降はさすがに反省して、自重しながら旅路を続けた。
例えば、野宿の時はキスだけ、とか。宿では一回だけ、と言いながら三回まで、とか。
……自重、という言葉の意味を色々考えたくなるような旅路は、しかし無事に進む。
行きと違い、道中に野盗が出ることもなかった。
この辺りは、ガシュナートの工作が失敗したことと関係しているのだろう、と二人で結論付けつつ。
「こういう時にこそ、変なことが起こるものだから」
「そうですね、油断大敵です」
と、変に擦れた思考でお互いに言い合う。
実際、女二人の旅など決して安全ではない。
ない、のだが。
「お頭、あそこに見える二人組の片割れ、ありゃぁ……」
「ばっきゃろう、二代目旋風淑女じゃねぇか! 関わり合いになるんじゃねぇ!」
などということが、こっそり発生していたりする。
実はレティは気づいていたのだが……こちらに来ない、ということで見逃してあげていた。
レティは、自分も丸くなったものだ、と何度目かの感慨を抱く。
その最たる原因は、隣で馬を歩かせるエリーなのだが。
そう思えば、むしろ嬉しくなってしまうのが不思議なところ。
「ん? レティさん、どうかしましたか?」
「ううん、なんでもない」
気が付いたエリーが不思議そうに尋ね、レティはなんでもないと首を振る。
そんな何気ないやりとりが、何とも言えない充実感を与えてくれる。
いつまでもこの空気を味わっていたい、なんてことを思いながら、レティは馬を進めていた。
だが、その期待は、あっさりと裏切られる。
コルドバに近付くにつれ、穏やかな空気は薄れ、行きかう人々の表情に余裕がなくなっていくのが見て取れた。
我先にと先を急ぐ必死な表情。
それ以上早くは走れないだろうに、馬車馬に無駄に鞭を入れる御者。
そもそも、早く走れるわけもないくらいに荷物を積み過ぎている馬車も何度も見かけた。
かと思えば、着の身着のまま、ろくな荷物もなく歩いてくる家族も。
そんな光景と何度もすれ違い、二人の間にも嫌な予感が積み重なっていく。
「なんだか……おかしい、ね……」
「はい、まるで……コルドバから」
逃げ出すような。
その言葉を、飲み込む。
まさか、そんな。いや、きっとそんなことはない。
まだ、すれ違う人々の中に、怪我人だとかそういった類の人は見ないのだから。
しかし、あの交易都市の人たちが、こんな反応を示すということは。
「……エリー、急ごう」
「はいっ」
頷きあうと、馬に合図を送る。
ここまで随分と頑張ってくれた馬達は、それでも指示に答えて力強く走り出した。
「……本当に、ありがとう」
思わずそう呟き、首筋を撫でる。
それに応えるように軽くいななき、さらに走る足を強めてくれたのが、心の底から有難かった。
そうして馬を走らせれば、やがてコルドバの街が見えてきた。
「良かった、ちゃんと、無事……」
目に見えるのは、健在な街を囲む壁。その上に翻る、バランディア王国の旗。
もしコルドバが占領されでもしたら、真っ先に下ろされるであろうそれだ。
そのことに、ほっとしたのもつかの間。
別のものに気が付いて、表情が引き締まる。
「レティさん、あの旗って!」
「うん、あれは……」
コルドバを納める伯爵家の旗と常駐している第二騎士団の旗の、さらに隣に翻るのは、見慣れた旗。
だが、ここにあることは見慣れていない旗。
「なんで、第三騎士団の旗がここにあるの……?」
そう、かつて共に戦った戦友であり、主にジュラスティン方面、東国境付近にいた第三騎士団。
それが、何故か南西国境のコルドバに来ていた。
「確か、今の第三騎士団は遊撃部隊的なところがある、とは聞いていましたけど……」
エリーが、どこか茫然とした声でそう呟く。
ジュラスティンとの条約締結以降、東方面での緊張状態は緩和されていた。
そのため、不必要な戦力を置かないよう、東方面から引かせた戦力を各地に派遣している、とは団長であるゲオルグ本人から聞いている。
だが、その戦力が、第二騎士団全体が常駐しているこのコルドバに来ている、ということは。
「コルドールが何かするとは考えられない……。
ガシュナートが、何か……?」
「え、ガシュナートって、あの、ツェレン様を誘拐しようとした!?」
思わず声を上げたエリーに、人差し指を立てて、静かに、とジェスチャー。
あまり大っぴらに言っていい内容ではなかったことに気が付いたエリーが、慌てて口を抑える。
幸い、聞いていた人間はいなかったようだ。
「うん、コルドバでバランディアと国境を接するのは、コルドールとガシュナートだけだから……」
「そういえば、そうでしたね……。
確か、ガシュナートの国王って、バトバヤル陛下が凄く嫌っていましたよね」
やられたことを考えれば、もっと憎悪を露わにしてもいいくらいだったな、と思うけれども。
あれだけ抑えていたのは、尊敬に値するとレティなどは思う。
どれだけツェレンを、国民を愛しているかを知った今になれば、なおさら。
「うん……どんな手でも使ってくる、とも言ってたね」
「だったら……ううん、今はまだ、コルドバは無事ですし!」
少なくとも、目に見える範囲で戦闘の形跡はない。
であれば、少なくとも。
「間に合った、と言ってもいいのかな……」
戦争状態となれば、レティの剣技は一個人の武威でしかない。それも使い方次第ではあるが。
むしろ、そうなれば。
「ごめん、エリー。色々、お願いすることになるかも」
「大丈夫です、任せてください! 私だって、こう……色々思うことはありますし。
何より、レティさんのお願いとあれば!」
ぐ、と力強くポーズを作って見せるエリーに、ふ、と笑みがこぼれてしまう。
そんな状況ではないのに、エリーと一緒ならば、どうとでもなる気がするから。
「うん、頼りにしてる」
そう言って、笑みを見せた。
とは言え、コルドバに入ればあまり余裕のある会話などできなかった。
予想通り、開戦直前のような殺気立った空気。
西から東から流れ込んで来る、大量の物資……一目で軍需物資とわかるそれ。
忙しなく行き交う人々、あちこちで響く、訓練された指揮官らしき人物の良く通る指示の声。
「さすがゲオルグ、と言うべきかな……」
こんな状況であるというのに、最低限維持すべき秩序が保たれている。
人々の目にも緊張はあれど、焦燥や混乱、まして絶望などはなかった。
「ほんと、普段はああですけど、やる時はやる人ですよねぇ……」
エリーの言葉に、小さく頷く。
なんだかんだ気安い関係ではあるが、軍人としてのゲオルグは、レティもエリーも高く評価していた。
状況に応じて何をすべきか、という判断力に優れ、いざとなれば身体も張れる。
前線指揮官として望ましい人物であることは間違いない。
などと、ゲオルグのことを思いだしている時だった。
「あっ、イグレットさん、エリーさん!?
なんでこんなところにいるんですか!」
唐突に、声がかかった。
そちらへと、振り向くと。
「ルドルフ? 久しぶり。元気そうで何より」
「ルドルフさん、お久しぶりです」
そう、そこに立っていたのは商人のルドルフだった。
コルドール王都で別れて以来、一月弱ぶりだろうか。
二人の挨拶に、ルドルフも一瞬懐かしげな顔を見せるが、すぐに表情が引き締まる。
「久しぶり、じゃないですよ! どうしてこんなところにいるんですか、すぐにこの街を離れてください!」
普段の穏やかな表情をかなぐり捨て、二人に訴えてくる。
その表情は、経験豊富な商人のそれではなく。
だからこそ、二人は素直に聞けなかった。
「やっぱり……ガシュナートが来てるの?」
「なっ……ああ、流石ですね……そう、その通りです。
だから、早くこの街を離れて……コルドールか、バランディア王都か、どちらかへ!」
必死な声に、もう間もなく、ここが戦地になることが伺えた。
だから。
「そういうわけにも。
まずこの子達返さないといけないし。
ああ、あの馬宿を紹介してくれてありがとう。とてもいい子達だった」
「あ、それはそれは何より……って、なんでですか!
そのまま乗ってどこかに行ってくださいよ!」
「だって、この子達も大分頑張ってくれて、疲れてるし」
まだまだ元気な表情を見せてくれてはいるが、身体はかなり疲れているのを感じる。
これだけ長い間旅路を共にしたのだ、それは伝わってきていた。
だから、これ以上無理はさせられない。
何よりも。
「それに。友人のいる街を見捨ててどこかには行けない」
「はい?」
予想外の言葉に、ルドルフは絶句する。
隣にいたエリーが、その後に言葉を続けた。
「そうですよねぇ、少なくとも長い旅路を共にした戦友と言える人がいる街ですし」
二人の視線が、ルドルフに注がれる。
それは、とても柔らかいものだった。
「何を、何を言ってるんですか、お二人とも……」
二人が何を言っているか、理解したルドルフは声を震わせる。
ぐ、と天を仰ぎ、必死に何かを堪えながら。
「それはっ、お二人が協力してくれるなら、千人力ですがっ!」
「ありがとう。そう言ってくれるなら、なおのこと。
何とかしたい、な」
いつもの通りの落ち着いた、どこかいつもより穏やかで柔らかなレティの声に。
ルドルフはついに耐えられなくなり、嗚咽を漏らしてしまった。
護身の最善手は敵前逃亡。そんな定石など知ったことか。
踏みとどまる友がいる。立ち向かう友がいる。
ならば、身体を張らずになんとする。
次回:決意
共に未来を掴むために。
※派生作品始めました!
「元暗殺者ですが、公爵家令嬢付きのメイドになった結果妙に懐かれてしまって、これはこれでとセカンドライフを楽しんでいます」
下にリンクが出ているはずです!
1章で出てきた、リタが主人公の派生作品です。
公爵家にメイドとして勤めるリタの姿をぜひご覧ください!




