悪党の挽歌
「くっそ、舐めた真似しやがる……」
時間は戻って、レティ……ゴーストが王都を出立した、四日後。
久しぶりに時間に余裕ができたグレッグは各種書類の整理をしていた。
最近は依頼の進捗管理やその他業務に追い回されて、あれこれと細かいところを確認する時間がなかったのだ。
そうして、ようやっと確認をすることができた。
そのため……ようやっと、気づいた。
「なんだ、この帳簿。
あ~……こっちもちょろまかされてんな。
こっちは……なんでこんな奴雇ってんだよ」
次々と書類をめくりながら、ため息をつく。
頭の中でそれらの情報が整理され、一つの結論を形作っていく。
「俺としたことが……油断しちまってたな……」
ギルド内では比較的立派な椅子の背もたれに体を沈めながら、そうぼやく。
あいつを信頼しすぎていた。
信頼は、必要だ。だが、疑いも必要だ。
そのバランスが大事だと、自身に言い聞かせてきたはずだったのに。
「あ~あ、やっちまったなぁ……。
くっそ、あいつ、妙に気を許しちまうところがあるからなぁ」
この世界の人間にしては、真面目で、気弱で、几帳面。
そんなところが気に入って、重宝していたのだが。
知らず、気を許しすぎていたのかも知れない。
「そういや、依頼人や気になる奴の嘘感知はさせてたが、あいつにはさせてなかったよな」
ここまでのし上がってきた自分だが。
どうやら、甘いところが残っていたようだ。
それが、このざまだ。
足音を殺している、複数人の気配がある。
こちらへと……向かっている。
気づかれないようにしているつもりだろうが、ここは彼の領域だ。
そんな半端な忍び足で気付かないわけがない。
手元に短剣を二本引き寄せ、腰の後ろとブーツの中に突っ込んでおく。
足元には、手斧を潜ませた。
しばらくして。
バンッ!!と勢いよく扉が開いた。
雪崩れ込んでくる男たち、その最後尾に、いたのは……。
「よう、ハンス。随分なご登場じゃねぇか」
「……随分と落ち着いたもんですな」
機先をくじかれたように、一瞬言葉に詰まる。
しかし、気を持ち直して表情を改めると、威圧感を出そうと胸を張った。
「グレッグ。どうやら状況はわかっているようですね。
僕も鬼じゃありません。降参して僕に全てを明け渡してください」
余裕たっぷりに、降伏勧告をする。
いや、余裕たっぷりなつもり、なだけだ。
少なくとも……交渉相手には気付かれていた。
「なぁにが降参だ。てめぇのケツも拭けねぇ半端野郎がよ」
笑いながら、背もたれにずしりと背を預け、胸の前で指を組んで、余裕の表情を見せて。
「ビビッてんだろ? こんな状況でもよ。お前はそういう奴だよ」
嘲り、煽るような声でからかう。
この状況、最早。
そう思えば……そこで開き直れてしまうのが、この男だ。
「何を世迷い事を……この状況で、そんなわけがないでしょう」
グレッグと自身の間を隔たてているゴロツキの壁。
いかなグレッグと言えどもこれは突破できないはずだ。
そう、言い聞かせる。……必死に。
それは、グレッグには透けて見えていた。
「ハッ、よっぽどテンパってんだな?
声も肩もぶるっちまってんぞ? そんなんでやれんのかよ」
そう煽られると、ハンスは慌てたように口元と肩口を手で押さえる。
……残念ながら、本当に、震えていた。
そのことを自覚すると、足元にも震えがくるような感覚を覚えて。
ゆっくりと、深呼吸をする。
「やれるに決まっているでしょう。
そのために、準備して、仕掛けたのだから」
「その時点で、失格だ。
やろうと思った時点でやってないとだめなんだよ、こういう稼業は」
距離は、まだ少し遠い。
雪崩れ込んできた連中は、グレッグに気圧されているのか、じりじりとしか近づけていなかった。
「あなたの持論などどうでもいい。
それよりも、教えてもらいましょうか。ゴーストの操作方法を」
「あん? ……なんだ、あいつに惚の字なのか?」
もちろん違うのはわかっている。
あくまでも焦らすために、崩すために……グレッグは、まだ生き延びることを諦めていなかった。
「そんなわけがないでしょう、誰があんな可愛げのない奴。
これからのために、あれは戦力になる。
操作方法を教えてくれたら、生かしておいてあげてもいいですよ?」
「ありがたいこったねぇ、ありがたすぎて涙が出らぁ」
そう言いながら、隙を探る。
間を隔てている男は五人。
普通は絶望的な人数差だ。
自分の放てる手数を考える。
……何度考えても、絶望的だ。
「こいつだよ。こいつを付けている奴の言うことには服従するように仕込んでいる」
ゆっくりと、右手から指輪を外す。
距離を、測って。
この間合いなら、届く。
「ほらよ、受け取りな!」
そう言って、指輪を投げ上げた。
放物線を描くそれに、ゴロツキどもの視線が集中する。
立ち上がりざま、ブーツの短剣と手斧を手に取り、投げつけた。
短剣は左端の男の額を正確に貫いて。
手斧は、ハンスの前に立ちふさがっていた男の額を割り砕いた。
その勢いで跳ね上がった手斧が、落ちてきて……柄が、ハンスの額を打ち据えた。
刃では、なく。
「ぐがっ!」
「がっ!」
「うわぁぁぁぁ!!」
三者三様の断末魔、悲鳴を聞きながら、立ち上がった勢いで机を蹴り倒す。
さらに、机を男たちに向かって蹴り飛ばし。
「くっそ、悪運の強い奴だなぁ!!」
そう叫びながら、男どもへと飛び掛かる。
机によって体勢を崩された男たちは、まともに回避ができない。
いつの間にか抜き放ったもう一本の短剣で、右端の男へと襲い掛かり……その胸元へ、短剣を突き立てた。
崩れ落ちるその体に身を任せ、自身も崩れ落ちるようにしながら、前転。
距離を取って態勢を立て直そうと、した。
だが。
「ぐぅっ!!」
僅かに、間に合わなかった。
背中に切りつけられ、痛みに声が漏れて、足がもつれる。
そのまま……崩れ落ちる、勢いを利用して反転。
手にした短剣を、投げつけた。
切りつけてきた男の胸板に、それは突き刺さる。
……だが……その男がグレッグへと倒れこんできた。
「くっそ、この野郎っ!」
崩れた態勢、床に尻もちをついて……それでも、必死に男を撥ね退ける。
撥ね退けた。
次に来た、男の刃は、避けられなかった。
「……あ~あ……ここまで、かよ!」
胸板を貫かれた痛みを飲み込みながら、そうぼやく。
肺を貫いたその刃へと視線を落とし。
「この下手くそめ、せめて心臓をやりやがれ」
そう悪態づく。と、先程短剣を叩きこんだ男の落とした剣が指に触れる。
「……じゃねぇと、こうなる、ぜっ!!」
最期の力を振り絞り、剣を逆手に持つと、男の横腹へと突き立てた。
響く悲鳴、狂ったように暴れる男に突き飛ばされ、床に転がる。
肺の傷口が広がって酸素がさらに入ってこなくなり、急速に体から力が抜けていく。
血が、本格的に出てきたようだ。
ごふっ、と咳き込むと、口から血が溢れてきた。
「……こんな、連中、しか……集められなかったの、かよ……。
所詮、それがお前の器だ……」
本心と悔し紛れと。
入り混じった声音でそう嘯くと、ニヤリと笑って見せた。
「うるさい! うるさい!!
僕はそんなんじゃない、もっとやれるんだ!!」
「そういう所が浅いってんだよ……このバカヤロウ」
呆れたように、諭すように。
右腕だった男へと、せめてもの餞別のつもりで。
力が、抜けていく。
最早、顔を起こしておくことすら、できなくなった。
ばたり、仰向けに転がる。
見慣れた天井が、妙に遠く感じた。
「こんなもんか、俺は……まあ、こんなもん、か……」
使いっぱしりから旗揚げして、国中に支部を置くほどの組織を作った。
悪くはない。満足もしていないが、悪くはない。
「こんなもん、だな……悪かぁねぇ……」
もう、ハンスのことも目に入らない。
ぼんやりとした視線の先に見えるのは。
「後は頼むぜ……イグレット」
力なく呟いた虎の子への言葉は、彼女へとは届かなかった。
こんなところで終わる自分ではない。
そう、信じていた。そのためならば、なんでもやった。
やっと、その日が来たと思っていた。だが。
次回:小悪党の末路
因果には、報いがあるものだ。




