いつか咲こう
「わはは、飲め飲め! なんだ、飲めないってのか、俺の酒が!」
レティの優勝を祝して、という名目で開かれた宴の会場にて。
上機嫌なバトバヤルが、あちこちで部下達にうざ絡みしている。
もっとも、本気で言っている訳でもなく、また部下もそれは良くわかっているようだ。
なによりも、今日これだけ彼が上機嫌な理由もわかっている。
全身鎧で身を固めた剣士が、足を止めて殴り合う。
それが、昨今の剣術大会だった。
それはそれで、確かに現実的な技法ではあったのだろう。
だが今日の試合は、その認識を変えてしまうだけのものがあった。
胸のすくような試合、というのはああいうものだろうか。
人間の限界を極めたかのような速さで目まぐるしく動き、攻守が激しく入れ替わり、目にもとまらぬ打ち合いが繰り広げられ。
その全てが、鮮烈だった。
人間とは、ここまで到達できるものなのか。
そう思い知らされた試合だった。
「いや、実に見事でしたな、イグレット殿」
「あ、その、どうも……」
宴席の主役たるレティのもとには、ひっきりなしに貴族や目敏い商人だとかが訪れている。
こういったことに慣れていないレティは、どうにも口数が少なかった。
いや、元々少ないと言えばそうなのだが。
「はは、試合ではああも凛々しかったのに、こういった場には不慣れなようで。
ところでイグレット殿、実は我が家にはちょうど年頃の男子が……」
と、下心満載の本題を切り出しかけたところで、すっと二人の間にエリーが割って入る。
にこにこ、にこにこ。満面の笑顔なのだが、なぜかその迫力に、話しかけていた男が一歩引いた。
「んふふふ、そういったお話は、マネージャー兼嫁の私を通してくださいね~」
「な、ま、マネージャー? 嫁??」
いきなり入ってきたエリーに、男が困惑する。
確か彼女は、表彰式で賞金を授与していた女性だ。
やたらと美人だったから、よく覚えている。
しかし、マネージャーはともかく、嫁、とは?
と、困惑している男をよそに、エリーがレティの腕に自身の腕を絡めた。
「ほら~、レティさんってば、こういう時は隙だらけなんだから~」
「まってエリー、もうだいぶ飲んでる?」
男のことなど既に眼中にないようにエリーはレティに甘え、困ったように窘めるレティの表情は、先程とうって変わって柔らかなもの。
これはどういうことだ? と男が困惑しているところに、背後から声がかかった。
「ああ、やめとけやめとけ、あの二人にちょっかいだすのは」
「なっ、へ、陛下!? これは、ご機嫌麗しゅう!」
慌てて男が姿勢を正すと、バトバヤルは豪快に笑い、ついでに男の背中をばしんと叩いた。
ごふ、と思わず男は咳き込んでしまう。
「堅っ苦しいのはなしだっての、酒の席だぞ? 酒がまずくなるようなことすんじゃねぇよ!」
「は、はぁ、申し訳ございません」
「だから、そういうのはいらねぇんだ、無礼講ってやつだからよ!」
恐縮する男の様子に、しかし機嫌を悪くするでもなくバトバヤルは笑い続ける。
段々それが移ってきたのか、男もまた、どこか砕けた表情になっていく。
「陛下がそうおっしゃるのであれば、おっしゃる通りに」
「まだ固ぇなぁ……まあいいか!
ともかく、あの二人に余計なちょっかいは出さねぇこった、命の保証ができねぇぜ?」
「またまたご冗談……ではなさそうですな……?」
彼とて貴族として生き抜いているのだ、空気を読む能力はある。
こうして落着きを取り戻した今、その能力が戻ってきていた。
そんな彼の問いかけに、うんうん、とバトバヤルが頷いて見せる。
「ああ、あの二人見てみろよ。よっぽどそこらの夫婦よりお熱いとくらぁ。
あれを邪魔するやつは、そらぁ馬にも蹴られるってもんだ」
「な、なるほど……それはわかりますな……」
納得したように頷く男に向かって、ニヤリとバトバヤルは笑って見せて。
「ついでにドミニク姐さんと俺とツェレンも敵に回すからな、気を付けた方がいいぜ?」
「なんですと!? それは……事実上の死刑宣告ではありませんか」
未だ衰えぬ『旋風淑女』と、国王と、国民から大人気の王女。
この三人を敵に回してしまえば、この国に居場所などないも同然だろう。
震えあがってしまった男へと、バトバヤルは楽し気に笑ってみせる。
「ま、それくらいの相手ってこった。
ついでに、やってのけたことを考えたら、これくらい安いもんだろ?」
「それはまあ、確かに左様でございますが……」
あの時、男もあの場所にいた。しかし、何もできなかった。
そんな彼の目の前で軽やかに踊った二つの旋風。それは、とても涼やかで眩しかった。
考えてみれば我が息子など、その風を繋ぎとめられるような器ではとてもない。
「確かに、舞う風は遠くから眺めてこそ、かも知れませんなぁ」
一度諦めてしまえば、仲睦まじく語らうあの二人は、実に絵になると思える。
あるいは、こういう形もありなのだろうか、と思えるほどに。
そんな宴の喧騒から少し離れた、外へと張り出したバルコニー。
人気のないそこで、ドミニクは一人盃を傾けていた。
どうにも、気分が良い。
そんな気分に、一人で浸っていたかった。
草原の国を照らす月は、遮る物も無く、冴え冴えとした冬の空気を青く輝かせている。
昼間の熱気はどこへやら。……いや、遠くから喧騒の声も聞こえるから、名残はまだ残っているらしい。
そんな空気と月の光を肴に、一人酒を傾ける。
どうやら、自分は随分と幸運だったらしい。
柄にもないことを、思う。
昼間に見たレティの動き。あれは、自分が仕込んだものだと胸を張れる。
そして自分の想像を少しだけ越えてみせたレティを誇らしくも思う。
最初、弟子を取ろうと思ったのは思い付きで、気まぐれ。
だが、その気まぐれがまさかの縁を呼び、繋がっていった。
そう、繋がっていったのだ。確かに、何かに繋がったのだ。
心の底からそう思えて、それがどうにも愉快だった。
何に繋がったのかはわからないが、きっとそれは、悪いことではないのだろう。
あの弟子を見ていれば、疑うことなくそう思える。
「年かねぇ、こんなことで満たされるったぁ、柄にもない」
ぼやくように。しかし、楽し気な自分を誤魔化しきれてもいない。
きっと、楽しみなのだろう。彼女のこれからが。
それを見届けることができるかはわらかないが。
「ま、しっかりした嫁さんもいるんだ、間違いはないだろうよ」
そう言ってもう一度盃を傾けた時に、こちらに向かってくる気配に気づいた。
こくん、と飲み干して、そちらへと向き直る。
「これはこれはツェレン様、こんなところにどうしました?」
「ドミニク様こそ、こんなところでお一人で。父が探していましたよ?」
くすくす、とツェレンが笑って返す。
その笑顔には、初対面の頃とは違う強さが感じられるようになった、ようにも思う。
「はは、そいつは申し訳ない。ちょいとね、一人で飲みたい気分でしたものでね」
「なるほど、そういう時もあるのですね。私にはまだ、わかりませんけども」
そう言いながら、ツェレンはドミニクの側に歩み寄ってきた。
おや? と思う。しっかりとした足取り、よく見れば顔はまったく赤くなっていない。
「ツェレン様、今日はまだあまり飲まれていないようで」
「あ、はい、今日は、何と言いますか……ドミニク様にお願いがありまして。
それを言うまでは、控えていようと思ったのです」
ツェレンは、意を決したかのようにドミニクに向き直る。
どうやら真面目な話のようだ、とドミニクもからかうような言葉をかけず、静かに待つ。
すぅ、はぁ、と深呼吸を一つ。
真っ直ぐにドミニクの瞳を見つめて。
「ドミニク様。私を、あなたの弟子にしてくださいませんか?」
その言葉に、ドミニクが片眉を上げる。
一瞬探るよな目になるも、向けられる表情は真剣至極。
「ほぅ。……どうやら、冗談ではないみたいですが……またどうして?」
「はい、実は前々から考えていたことではあったのです。
私には、一人で立つための力が足りない、と。そのためには、剣の嗜みも一つの手段だと」
それは、至極真っ当と言ってもいいだろう。
何しろ彼女は王族、自身の身を守る手段を身に着けるに越したことはない。
だが、それならば適当な誰かに習うのでも十分のはずだが。
「ですが、今日イグレット様を見て、考えを改めました。
私も、あんな風に強くありたい。同じように、は無理であっても、少しでも近づけるように、と。
そのためには、ドミニク様に師事するのが一番だと思ったのです」
今日のレティは、強かった。そして、眩しかった。
多くの観衆を虜にしたであろう戦いぶりは、ツェレンの胸にも届いていた。
むしろ、近くでレティを見知っていたからこそ、より深く刺さったのかも知れない。
自分と比べても特別体格に恵まれているわけでも、腕力に優れているわけでもないレティが、技術の粋を集めればあんなこともやってのけられるのだと、思い知らされた。
痛快だった。鮮烈だった。そして、憧れてしまった。
「あいつみたいになろうってんなら、お勧めはしませんがね?
ありゃぁ、一日に何時間も、ひたすら同じことを繰り返せる人間でないとたどり着けないところにいますから」
「ということは、繰り返しで近いところにはいけますか?」
「それすら、断言はできませんがね。
もしかしたら、ツェレン様の貴重な時間をいただくだけになるかも知れません」
謙虚なようでどこまでも前向きな言葉に小さく笑みを浮かべる。
自分でも知らなかったが、どうやらこういう姿勢は嫌いではないらしい。
そして、そんなドミニクの言葉を受けて、ツェレンも笑みを浮かべた。
「できない、とも断言なさらないのですね。
でしたら、私はできる可能性を目指したく思います。それが、私のなりたい私ですから」
きっぱりと、言い切る。それが、ドミニクにはなんとも眩しい。
そして、好ましい。
「よござんしょ、そこまでおっしゃるなら、あたしも是非はございません。
しっかりとお教えさせていただきましょう!」
そういって、ドミニクも吹っ切れたような笑みを見せた。
後年、コルドールでは剣術を学ぶ女性の姿が、多くみられるようになる。
一つのきっかけは、レティの活躍。もう一つは……数年後。剣術大会に出場し、健闘を見せたツェレンの姿。
彼女らの姿に憧れた女性が剣を手にし、習い始めていったのだ。
元々自立の気性が強く、いざとなれば女も一人で生き抜かねばならぬという文化においては、むしろ剣術を学んで当然だったのかもしれない。
やがて時代が進むにつれて、ほとんどの女性が一度は剣を手にすることになる。
その流れが一時の流行りで終わらぬよう、技術体系を理解しやすい形で整理し伝え、剣術を学びやすくした最大の立役者は『旋風淑女』と呼ばれた女性だったと、後の歴史は記していた。
少しずつ、少しずつ動いていた物語。
それは、転換点を迎える。
鬼が出るか蛇が出るか。破砕点を越えた向こうには、何があるのか。
誰も、それを知らない。
次回:動乱の始まり
急転直下、とあいなるか




