策謀の終わりに
魔核が弾け、爆発的に風が広がり、収まった。
避難しようとしていた人々はその風を堪えるように俯き、動きを止めて。
恐る恐る顔を上げた時、もう戦闘の音が聞こえないことに気が付いた。
ゆっくり、ゆっくりと振り返る。
既に化け物の姿はそこにはなく、静かに佇む一人の女性がただいるのみ。
まさか? そう、脳裏に浮かび始めた時だった。
「皆の者聞けぃ!!」
バトバヤルの大音声に、全員が背筋を伸ばす。
太く朗々とした声は全員の鼓膜を震わせ、脳に強制的に情報を叩き込んでいった。
「突如現れ、暴れ出した化け物は討たれた!
そう!! 卓越した剣技を見せ、他を寄せ付けずに勝ち上がり、見事勝利をつかみ取った剣士、イグレットによって!!!」
ばさりとマントを翻しながら、芝居じみた、それでいて堂に入った仕草で腕を振り、レティを指し示す。
観客の視線は、バトバヤルからレティへと移って。
その立ち姿を認めて。
先程の爆風もかくや、とばかりの大歓声が弾けた。
「ふぅ、こんなもんか」
「いやいや、さすが陛下、役者ですねぇ」
「言わんでくれ、全部あいつのお膳立てのおかげだ」
隣に座るドミニクの揶揄うような言葉に、苦笑を返しながら座席につく。
そう、レティがあの化け物を足止めしたから被害はほとんど出ずに済んだ。
ましてや、そのまま打ち倒してしまうのだから恐れ入る。
もしレティがおらず、この会場にいる兵だけで戦ったとしたら。
その想像に、背筋が凍る。
当の功労者本人は、大歓声にびくっとした後、おずおずと手を振って応えていたりするのだが。
「警備の兵を全て、観客を逃がすことに回せた。
あいつがいなけりゃ、会場中の兵を全部動員して、俺が指揮を取って……ダメだな、それでも足りやしねぇ。
そりゃ、姐さんなら一人であいつと同じことができたろうが、あいつがいなけりゃ、姐さんもここにゃいないだろ?」
「はは、そいつは否定できないとこですが」
確かにイグレットと出会わなければ、そのままコルドールと反対方向に進み、どこかへと流れてしまっただろう。
ほぼ間違いなく、この場にはいなかった。そう考えると、なんとも妙な巡り合わせだ。
「これでとりあえず一段落、ちったぁ落ち着いて眠れるか」
やれやれ、とバトバヤルが首を掻く。
だが、ドミニクは意地悪な笑みの形に唇を曲げる。
「いやぁ、そいつがどうも片付いてないみたいでね?」
そう、楽し気に言った。
「なぜだ。なぜだ。なぜだ」
男は、眼前に繰り広げられた光景を、信じられなかった。理解することができなかった。
明らかに『死者再動』で動けるようにしたカーチスの方が、力も速さも上だった。
本来ならば彼が操らねばならないところを、桁外れの意志力で制御を奪われ、勝手に動かれてはいたが。
むしろカーチスの速さは彼では制御できず、任せてしまった方が間違いなく強かったので問題はなかった。
「なぜ、速さで負けたのだ。なぜ、打ち負けたのだ」
確かにカーチスの方が速かったのに、捉えることができなかった。
カーチスの方が強かったのに、最後には打ち負けてしまった。
理屈に合わない。ゆえに、理解できない。
まして。
「なぜ、あの姿ですら負けるのだ……?」
最初からカーチスの優勝を確信していた。『神託』もそう告げていた。
そして、勝者として直接バトバヤルに称えられるその瞬間に、バトバヤルを仕留めさせるつもりだった。
お抱え剣士として懐に潜り込ませることも考えたが、あの男の性格でそれは無理というものだろう。
全国民の耳目を集めるこの場で、国民から慕われ信頼の厚い国王を無惨に殺したところでガシュナートをけしかければ、この国はあっという間に崩壊させられたはずだった。
だが、まさかの敗北。
万が一敗北した時のために、『死者再動』のために埋め込んでいた魔核を暴走させ、暴れさせる手はずも整えていた。
バトバヤルの性格を考えれば、兵を率いて陣頭指揮を執るはず。
そこを仕留めることなどたやすいはずだった。
なのにそれすらも、目論見は外された。
さらに速くなり強くなったというのに、あっさりとあしらわれ、あの女一人に討たれる始末。
「なぜだ……どうしてこうなった」
速ければ当たるし、強ければ砕ける。それだけの話だろうに。
目の前で繰り広げられたのは、自明の道理と真逆のことだった。
彼には、理解できなかった。
理解はできないが、やるべきことは変わらない。
こうなっては最後の手段。
避難誘導に兵が割かれ、バトバヤルの警護は薄くなっている。
そこを、自分が。
そう思い、王族席を見上げた。
瞬間、バトバヤルの隣に座る老女と目が合った。
にやり、彼女の唇が歪むのが、やけにゆっくりと見えた。
『見つけた』
そう、呟いた。
この距離で。この大歓声の中で聞こえるわけもないのに、聞こえた。
そう。この大歓声の中、誰もがレティに注目している。
ただ一人、彼だけがバトバヤルを振り返ったのだ。
彼自身に自覚はないが、それは、ひどく目立つ行為。
バトバヤルは、燻り出すために観衆を煽ったのだ。
そして、そこにいる老女はそれを見逃すほど甘くはない。
彼の敗因は、それだったのだろう。
彼は、レティを知らなかった。ドミニクを知らなった。
調べようともしなかった。カーチスの強さに間違いはないと確信していたから。
それが、致命的だった。
ひゅん、とドミニクの手首が翻る。
放たれたのは、糸を括りつけられた釣り針。
それが男のフードを捉え、ぐい、と引っ張る。
「エリー、あいつだ」
「はいっ! マナ・ボルト!」
ドミニクの声に、エリーの視線が躍る。
一瞬で男の手足に照準をつけ、マナ・ボルトを放った。
観客を避けるように宙に舞い上がった光弾が、ぐん、と曲がり、降り注ぐ。
四発、正確に男の両手足を射抜き、男の自由を奪った。
突然のことに、周囲にいた観客が巻き込まれることを恐れてか、慌てて退避を始める。
「ぐぁっ!? な、なぜ、いつ、詠唱を!?」
まさかマナ・ドールによる攻撃だなどと想像もつかなかったのだろう。
魔族である男の魔力抵抗を、短詠唱であっさりと撃ち抜く魔術攻撃など人間が使えるはずもない、と思っていたのだから。
だが、現実に男は撃ち抜かれ、地面に倒れ伏していた。
「か、かくなる上は……」
魔族としての自身を解き放とうとしたその瞬間だった。
「おっとそこまでだ、兄さん」
とん、と冷たく重い刃が触れた。
正確に、彼の魔核の上に。
「大人しくしてりゃぁ、命までは獲らないよ?」
その言葉に。その刃に。詰んだことを実感した。
恐らく、彼女がその気になれば、一瞬で自分の魔核は砕かれる。
こんな細身の、こんな老女だというのに。やけに、リアルな感覚として思い知らされ、背筋が震える。
もはや、これまで。
魔族の姿を解放することすら諦め、暴走、自爆させようとした。
これであれば魔核を貫かれても爆発し、この老女だけでも巻き込める、と計算したのだが。
「エリー」
老女の声、小さく振られる手。
「マナ・ブラスター」
厳かに告げられる声。
男が倒れた時には周囲の人間は逃げ出し、射線は確保されていた。
ドミニクが切っ先で示した場所へと、極小に絞ったマナ・ブラスターが走る。
男の魔核は、自爆する前に撃ち抜かれ、消滅させられた。
企みは潰え、後に残るは称えられるべき勝者。
観衆が、王が、師が、その場にいた全ての者が彼女へと拍手を送る。
何よりも、誰よりも彼女を信じていた彼女が、祝福を送る。
次回:彼女にキスと祝福を
光差す場所へ、彼女は静かに躍り出た。
※派生作品始めました!
「元暗殺者ですが、公爵家令嬢付きのメイドになった結果妙に懐かれてしまって、これはこれでとセカンドライフを楽しんでいます」
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1章で出てきた、リタが主人公の派生作品です。
公爵家にメイドとして勤めるリタの姿をぜひご覧ください!




