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暗殺少女は魔力人形の夢を見るか  作者: 鰯づくし
4章:暗殺少女の目指すもの
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止まる、流れる時間

 カチリ、とスイッチが入ったかのように、男の中で何かが切り替わったのが伝わってくる。

 ここからが全力、本気で来る、と言われるまでもなく感じ取れた。


 そして、男が踏み込んで来る。

 かつて見たことのある速度で。それ以上の迫力で。


 これが、この男の全力。

 かつて攻めに攻めて攻めきれず、最後に命を落とした男が見せる本気。


 それは、見る者を置き去りにするような一撃だった。


 なのに、この会場でただ二人。

 ドミニクとレティにだけは、見えていた。

 動きの起こりも、剣が描く軌道も。


 リィン……と鈴が鳴るような音。

 刃と刃が衝突せず、綺麗に受け流されたがゆえに生じる、それ。

 長剣の軌道にするりと差し込まれた小剣が、その力を受け流していく。

 

 あまりの手ごたえの無さに、そのまま長剣が地面を打ってしまって。

 

『チッ』


 と舌打ちをした瞬間には、剣が跳ね上がっていた。

 レティの足元を狙って切り上げた刃は、しかし受け流しながら既に移動を始めていたレティを、捉えることができない。

 逃げられた方へと向かって間合いを詰め、突きを繰り出すが……それはあっさりと横に払われた。

 

 横に流れされる剣を、腕力で強引に止め、さらに踏み込みながら横薙ぎに払う。

 が、足の止まらないレティは、そこからも既に消えていた。


 払った腕を引き戻し、視界に捉えたレティへと向かって突き出す、が、それもあっさりいなされ、さらに横へと逃げられる。


『このっ、ちょこまかとっ!』

「だって、当たると痛いじゃない」


 そんな軽口を言いながら、レティはするりとまた横へ流れる。

 ほんの一瞬、いや半瞬前にいた場所を、刃が空しく通り過ぎた。


 そんな一連の攻防に、観客は熱狂し、盛り上がる。

 何しろ、目で追うのもやっとなくらいに素早い、獣のような、あるいはそれ以上に獰猛で恐ろしい男の剣撃と。

 それを涼し気に、軽やかに受け流し、捌いていくレティ。

 そこには、音楽のように調和の取れたリズムがあった。

 

 恐らく、今この場で苛立っているのは、ただ一人。いや、あと一人。

 そして、その苛立ちがこの音楽をさらに加速させる。


 大上段から振り下ろす一撃は雷鳴のよう。

 しかしそれは、交響楽のアクセントとして挟まれるシンバルのように豪快に、音だけを響かせる。

 

 地面を叩いた刃を跳ね上げて、もう一度、横薙ぎに。

 それは軽く受け止められて、その勢いを利用されて、跳ばれた。

 あまりの手ごたえの無さに、歯噛みする。


 追いすがり、小刻みに小手を、首を、胴を、と狙ってみるが、持ち味の力強さを抑えた斬撃は全て、軽やかな音を立てて弾かれた。

 ならば、と斬りかかろうと、払おうと、フェイントを入れてからの最速の突きは完全に読み切られて、体捌きだけでかわされる始末。


 男は、焦れていた。焦っていた。苛立っていた。

 一太刀で、あるいは二太刀で仕留められるはずの自分が、するりするりとかわされていく。

 思えば、あの時もかわされてはいたが。

 しかし、こうも軽々と、だっただろうか?


 浮かんだ疑問に、男の動きが止まる。

 じぃ、と冷静に観察するような視線が、なんとも苛立たしい。


 そんなしばしのにらみ合い……いや、片や睨みつけ、片や冷静に観察している時間。


 唐突に、レティが口を開いた。


「うん、やっぱりだ。

 あなたは、あの時のあなただ」

『は? 何を今更言ってんだ?』


 とっくに正体はばれている。そう思っていたし、実際そうなのだろう。

 だが、だとすれば、この女の言葉はなんだ?

 苛立ちが加速され、吐き捨てるような声になってしまう。


 そんな男に向けるレティの表情は、静かだった。

 氷のように冷たい、のではなく。

 凪いだ水面のように、ひたすらに、静かだった。


「教えてあげる。

 あなたに私は倒せない。

 あの時のまま。止まったままだから」


 言い張るでもなく、強がるでもなく。

 当たり前の確信と共に、そう言い切られる。

 それは、男にとって酷く屈辱的だった。


『言うじゃねぇか……俺を前にしてよぉ!!』


 耳を切り裂くような怒声が響き、それだけで人を殺せそうな殺気が迸る。

 あまりのそれに、観客席から悲鳴が上がり、混乱が生じるが。

 それを直接的に向けられたレティは、相変わらず凪いでいた。


「うん、言った。否定したいなら、かかっておいでよ。

 私が教えてあげるから」


 差し伸べた左手で、ちょいちょい、と手招き。

 その挑発は、覿面だった。


『その口、二度と開けねぇようにしてやる!!』


 激高した男が、これまで以上の勢いで飛び掛かってきた。


 が。


 それは、これまで以上に動きが見えやすくなった、ということでもあった。


 嵐のような連撃を、表情と同じく涼やかにかわしながら、レティは先日のドミニクの言葉を思い出していた。




「なにしろ、あいつは……虎みたいな奴だが、虎じゃない」

「えっと、言ってる意味がよくわからないのだけれど……」


 その場にいた全員の疑問を、レティが代弁した。

 もっともな疑問に、にやり、ドミニクの頬が上がる。


「そうだねぇ……虎はどうして強いかわかるかい?」

「え?……ええと……どうしてって、元々強いんじゃ……?」


 よくわからない、と言いたげに小首を傾げたレティに、ドミニクは首を振る。


「そいつはちょいと違う。強い奴だけが生き残ってるんだ。だから、強く見える。

 そして、強い奴ってのは、生まれ持ったものに胡坐をかいちゃいない。

 虎が狩りをするところを見たことがあるがね、ありゃぁ、色々と工夫や研鑽を重ねた動きだったよ。

 逆に言えば、それを怠った奴は生き残れない。そういう世界でもあるんだが、ね」


 そこまで言って、もう一度闘技場へと目を向ける。

 とっくに、男はいなくなっていたが。

 その動きは、今でも目に焼き付いていた。


「あいつは、檻の中で餌を与えられるだけの不幸な虎さ。

 きっと、死ぬかもしれない、だなんて思ったことがない。

 一振りで蹴散らせるような連中とばかり、やっていただろうからねぇ。

 強いていうなら、イグレット、あんたとやった時が例外だろうが……それでも直前まで、死ぬだなんて思ってなかったんじゃないかねぇ」

「言われてみれば、そうかも知れない……」


 あの時のことを思いだす。

 彼は、最後の最後まで、ずっと不敵なままだった。

 己の死など、考えてもいないくらいに傲慢なままだった。

 そのおかげで、裏をかけたところもあったのだけれど。


「だからね、あいつの動きは雑なんだ。磨く必要がなかったからね。

 あたしから見りゃぁ、酷いもんさ。

 速さと腕力で誤魔化せちゃいるがね」

「なる、ほど……?」


 言われてみれば、思い当たる節がなくもない。

 とは言えそれは、僅かな違和感でしかなかったのだが。


「今のあんたなら、やつの雑なところも見えるはずだよ。

 こっからしばらく、奴の試合を見ててみな。見えてくるはずだから」


 自信たっぷりに、ドミニクは言い切った。



 

 そして、それは本当だった。

 今のレティには、彼の動きの雑なところが、見えている。

 圧倒されそうだった動きも、勢いに飲まれそうだった剣撃も。

 そして、それをどうかわし、どういなせばいいかも、見えていた。


 ますます彼の苛立ちはつのり、ますます動きは見切られやすくなっていく。

 初めての。本当に初めての、自分と互角かそれ以上の相手を前に、彼はどうしようもなく焦っていた。

 裏技にやられてはしまったが、彼にとってあの時のレティは、確かに格下だったのだから。


『なんでだ、なんで当たらねぇ!』


 叫びと共に振るわれた一撃は、恐ろしく速く、恐ろしく強く……だが、雑だった。

 そんな一撃では、もはやレティに掠ることすらできない。


 とん、と小さな足音。

 望む間合いを取ったレティが、ゆっくりと小剣を構えなおした。


「なんで、だろうね?

 答えは、教えてあげないけど」


 静かに、静かに。しかし、心の奥底で静かに燃える炎がある。

 それが、レティに言葉を紡がせた。


「代わりに、教えてあげる。

 ……敗北を」


 さらりと、告げて。

 そしてついに、レティが攻勢に転じた。

そして彼女が襲い掛かる。

淀みなく続く剣撃は、さながら津波。

彼だけを倒さんと襲い掛かる、押し流されんばかりの圧力を男は初めて知る。


次回:流水剣舞


馬鹿な、と男は呟いた。



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