熱狂の残滓
聞き慣れない歓声と、何よりも、向けられたことのない感情をこれでもかと浴びせられ、レティは困惑していた。
この人達は、なぜこんなに興奮しているのだろう。
自分は自分のためにここに出て、予選を突破した。
ただそれだけのこと、だというのに。
この闘技場の観衆は、まるで自分のことのように喜び、歓声を上げている。
どうやら、レティへと向けて。
それが不思議でならなかった。
そして何よりも。
この歓声を浴びて、自分の感情にも動きがあることが、不思議でならない。
心臓が、ドキドキと脈打っている。
体温が高くなっているのか、頬が赤らんでいるのが、わかる。
単に見知らぬ人達から声をかけられているだけだ。
ただ、千や二千を軽く超える人達ではあるが。
関係のない人達から声をかけられているだけのなのに、どうして自分はこんなにも影響を受けているのだろう。
そう困惑していたところに、審判係の一人が歩み寄ってきた。
「折角だから歓声に応えてやるといい」
「歓声に応える、って言われても、どうしたらいいのか……」
かけられた言葉に、困ったような顔で返す。
その表情に審判係は小さく吹き出し、笑いながら教えてくれた。
「簡単さ、片手を挙げて、あちこちに向かって振ってやればいい。
それだけで観客も満足するさ」
「そ、そう、なの……?」
半信半疑ながらも、他に方法もわからない。
しばらく自分の手に視線を落としていたが、意を決して、片手を挙げて見せた。
そして、適当な方向へと向かって手を振る。
途端。収まりかけていた歓声が、どわぁっ! とまた膨れ上がった。
その反応に、思わずびくっと手を引っ込めかけて。
堪えながら、おずおずと四方に向かって手を振ってみせる。
向けられた方からの歓声が一層大きくなり、それに押されるように、気付いたら二回り程手を振ってしまった。
そこで恥ずかしさのようなものが限界に達してきてしまい、そそくさと退場していく。
その姿にもまた、好意的な反応が多かった。
なんだろう。
この反応は。
なんだろう、自分のこの感情は。
困惑しながらも。決してそれは、不快なものではなかった。
「あらあら……イグレット様ったら、ああいう可愛らしいところもおありなんですね~」
「うふふ~、そうでしょうそうでしょう! レティさんはとっても素敵なんです!」
王族専用席で、エリーが相変わらず惚気ていた。
うんうんと頷いていたツェレンが、ふと気が付いたかのような表情になって言葉を発するまでは。
「でもこれですと、色んな方面から人気が出すぎちゃいそうですね~」
「……え。……そ、それは、そう、ですね……?」
圧倒的な剣術の腕を持つ美人剣士、というだけでも受けるであろうに、そこにギャップ萌え要素まで追加である。
これで人気が出ないわけがない。
レティの性格的に浮気などしないだろうが、しかし人がわんさと寄ってきたら、何が起こるかわからない。
と、勝手に悲観的な妄想をしているところに、レティが戻ってきた。
「ただいま……あれ、エリーはどうしたの?」
「レ、レティさん!」
普段なら足音を聞きつけて入り口付近で待機していそうなエリーが、茫然と席に座ったまま。
訝しんでいると、声に反応したエリーが即座にかけつけ、縋りついてきた。
「レティさん、私のこと捨てないでくださいね!?」
「まって、本当にどうしたの、なんのこと?
私がエリーを捨てるなんて、そんなことあるわけないでしょうに……」
「すみませんイグレット様、実は……」
困惑するレティに、申し訳なさそうにツェレンが事情を説明する。
話を聞いたレティは、なるほど、と小さく頷いて。
「状況はわかったし、私もあれには困惑したけど……私にはエリーしかいないんだから、大丈夫」
「レティさん……うう、ありがとうございますっ」
ひし、と抱き着いてくるエリーを、ぎゅっと抱きしめ返す。
そんな光景をうんうんと何度もうなずきながら、ツェレンは安心したように見ていて。
その傍らで、ドミニクとバトバヤルが何とも言えない顔で見ていた。
「なあ姐さん、酒のあてにゃぁ甘すぎんか、これは」
「まあ、仕方ないんじゃないですかねぇ、若い娘が集まれば」
苦笑しながらドミニクがグラスを傾け、ぐいっと飲み干す。
そしてもう一杯、手酌で注ぎ直して。
「そんじゃイグレット、ちょっとこっちにおいで。
悪くはなかったが、直すべきとこを言ってくよ」
「あ、うん、わかった。お願いする」
こくりと頷くとレティはエリーを離し、ドミニクの方へと向かった。
予選を突破したレティは、その後も順調に勝ちを重ねていく。
一戦、また一戦と勝ち上がる度にドミニクからの指摘が入り、さらにまた腕を上げながら。
一撃も食らうことなく、決勝まで上がってきた。
対戦相手は、予想通り例の鎧男。
予選で見せた猛威をトーナメント戦でも振るい、対戦相手をものの数秒で蹴散らしてきた。
準決勝だけは、一太刀目を止められた。が、そこまでしか相手の腕が持たず。
苛立ったような荒々しい二太刀目で、あっさりと薙ぎ払われた。
「……なるほど。ドミニクの言ってたことがわかった」
しんと静まり返った場内、試合を見ていたレティがぽつりとつぶやく。
ここまでの、彼の全試合を見てきた。
そして、徐々に見えてきたことがある。
「あいつは、あの時のあいつだ」
確信めいた口調で、そう言い切った。
地獄から戻ってきた身を、突き動かすのは怨念にも似た執着。
薙ぎ払い、蹴散らし、ついに舞台は整った。
念願の相手を前に、獰猛なる牙が振るわれる。
次回:激突・人外対人間
研ぎ澄まされた刃がそれを、迎え撃つ。
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「元暗殺者ですが、公爵家令嬢付きのメイドになった結果妙に懐かれてしまって、これはこれでとセカンドライフを楽しんでいます」
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