熱狂の坩堝
「まいったな、こりゃ。聞いてた以上じゃねぇか、イグレットの奴!」
バトバヤルはそういうと、盃をぐいっと煽った。
ゴクゴクと喉を鳴らし、ぷはぁ、と実に明るく息を吐き出す。
さらにもう一杯、と手酌しながら、傍らのドミニクを見やる。
「どうだい姐さん、師匠としては」
「ははっ、そうですねぇ、まあ、及第点ではありますかね」
そう言いながら、ドミニクもあっさりとグラスを空けた。
おや、と不思議そうな顔を一瞬したバトバヤルが、一人納得したような顔になって笑みを見せた。
「ああ、このままじゃあっという間に終わって、酒の肴に足りねぇのが減点対象か?」
「そいつはさすがに、観客の我儘ってものでしょうよ。
ああほら、時々直線的になりすぎるんです、今も」
ドミニクが指さした先で、まっすぐに突っ込んだイグレットがぎりぎりで相手の剣をかわし、一撃で打ち倒しているのが見えた。
傍から見れば、十分なようにも見えるのだが。
「今の、近くにいる奴がどうしたらいいかわかってなかったんで反応できなかったんですがね。
もし連中が二対一のつもりで組んでたら、横合いから来てたかも知れない。
そういう部分の用心がもうちょい欲しいですねぇ」
引き合いに出されたその選手は、まさに今打ち倒されたのだが。
確かに言われてみれば、連携していればどうだったろう、と思わなくもない。
「姐さんはイグレットにゃ辛いねぇ」
「そりゃまぁね。あの子にはとことん高いところを要求したいですから」
若干取り繕ったような澄ました顔を見せるドミニクを、しばしまじまじと見つめて。
不意に、にやりとバトバヤルが笑みを見せた。
「なるほどねぇ、そんだけ高い要求してもいいってくらいに認めてるわけだな?」
「……陛下も中々にお人が悪い」
そう言いながら、逃げるように視線を闘技場に向けた。
また一人、レティが打ち倒している場面を見て。
「まあでもね。最初の五人の捌き方は良かったですよ。
多分事前に頭の中で段取りが作れてたんでしょうねぇ。
まあ、そっから先は即興だから、まだまだなとこも見えてますがね」
言ってる間に、もう一人、力なく地面に倒れ込んだ。
いつの間にか、残りは一人。
「なあ姐さん。
イグレットと、優勝した時の姐さんと、どっちが強い?」
「ほんっとにお人が悪いですねぇ、陛下」
楽し気なバトバヤルに、苦笑を返して。
また闘技場に視線を移す。
「あん時のあたしと今のイグレットを比べたら、まあ正直なところ、今のイグレットの方が上ですよ」
目を細めて、イグレットの剣技を見つめて。
それから、バトバヤルの方を振り返る。
「なんせ、あん時のあたしに碌な師匠はいなかったですが、今のあいつには、あたしがいますからね」
「なるほど、そいつは間違いない」
どこか得意げなドミニクを前に、バトバヤルもしきりに頷き、また盃を煽った。
「ふわぁ……すご、い……」
目の前で繰り広げられた鮮烈な光景に、ツェレンは瞬きも忘れて見入っていた。
確かに、レティの腕が凄まじいことは知っていた。
だが、今こうして、腕に覚えのある連中相手に堂々と渡り合う腕前は、どうだ。
ほんのわずかの間に、さらに腕を上げたようにも見える。
「んふふふふ……凄いでしょう、かっこいいでしょう!」
それはもう得意げに、鼻高々なエリーが言葉を挟む。
宣言通りにカッコいいところを見せつけて、まさに後一人まで来たレティ。
あれはきっと自分のため、と思って舞い上がってしまう程度には乙女だし、それくらいは許されていいかも知れない。
「ええ、ええ、本当に、本当に素敵だと思います」
こくこくと真剣に頷くツェレン。きらきらと、子供のように輝く瞳でレティを見ている。
そう、それはどこか、憧れの英雄を目にした子供のそれに似ていた。
「そして、本当に、あんな素敵な旦那様を持つエリー様が羨ましいです」
「や、やだなぁ、ツェレン様ったら、そんなおだてても何も出ませんよぅ」
強いて言えば、ピンクなオーラは出ているが。むしろ駄々洩れだが。
そのことには触れないでいて上げて、闘技場へとツェレンは目を向けた。
先程までの冷え切った空気はどこへやら、観客は大盛り上がりに盛り上がっている。
それも致し方ないところだろう。
なにしろ、どう見ても華奢で弱弱しく見える女性が、大の男を手玉に取って快刀乱麻に打ち倒しているのだから。
「……うん、でも、私、きっと……イグレット様みたいな旦那様が欲しいんじゃないんですね」
「はい? そうなんですか? レティさんに何か不足なところが? いえ、もちろん渡すつもりはないんですが」
どこか底知れない瞳で言い募るエリーに対して、にっこりと微笑みを返せる当たり、ツェレンも図太くなったらしい。
落ち着いた顔で、闘技場の方へと向き直った。
『後一人! 後一人!』
そんな歓声が響いてくるのが、なんとも心地いい。
「私きっと、イグレット様みたいになりたいんです。
旦那様が欲しいのではなくて、私が、ああいう風に、って」
そう言って笑うツェレンの表情は、どこか大人びて見えた。
「……なるほど、あれがお前の気にしていた女か」
観客席の最上段、さらに隅の方。
フードで頭を覆ったローブ姿の男が隣の男に声をかける。
その男は、まさに先程、一方的な蹂躙を繰り広げた全身鎧の男だった。
鎧男は、言葉を発することなく、小さく頷く。
「確かに、障害になりそうなのはあの女くらいだろうな。
だが、お前の敵とも思えんが」
どう見ても、速さも力も男の方が上だ。
負ける要素があるとは、到底思えないのだが。
ローブ男の言葉に、鎧男は小さく首を横に振った。
『あいつは、あれだけではない』
くぐもった声が、響く。酷く低く、地響きのように厚い声が。
「ふむ……お前が言うのなら、そうなのだろう。
だが、そこまでわかっているのなら、間違いもなかろう?」
確認するような声に、鎧男が小さく頷く。
その瞬間に、最後の一人が打ち倒され、場内が大歓声に包まれた。
最後にその場に立っていたのは、予想通りの人物で。
「見るべきは見た。行くぞ」
身を翻した男に、小さく頷く。
そして、一度だけ振り返り。
熱狂する闘技場のど真ん中、大歓声に戸惑う長い黒髪の女に向けて、にやりとした笑みを向けた。
『戻ってきたぜ、地獄から』
そう一言、呟いて。
浴びた歓声、降り注ぐ熱狂。
初めて体験するそれに、彼女は困惑する。
どうして、こんなにも。
自分が為したことの大きさを、彼女だけが知らない。
次回:熱狂の残滓
それは、光差す世界への第一歩。
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