過去からの伝言
……エリーは、光の中にいた。
体もだが、その思考も。
目を閉じているはずなのに、暖かな光に包まれているような感覚。
何も見えないのに、何も怖くない、そんな安堵。
この感覚に、覚えがある。
いつもの……というには随分と久しぶりな、メンテナンスの感覚。
『自分』というものが漂白され、穢れを取り払われる、そんな時間。
なのに、少しだけいつもと違うものがあった。
外側だけでなく、内側にも。
外側よりももっと暖かくて確かな、何か。
気が付いたらそれを、そっと抱きしめていた。
『大丈夫。大丈夫。私は、戻れる』
小さく、そうつぶやく。
工程が、記憶情報の保全に入った。
もう少ししたら、自分の意識は途切れてしまうだろう。
それでも、きっと大丈夫。
『必ず、戻れるから』
情報処理回路の交換においては、記憶の喪失がリスクとして少なからずある。
兵器であり道具であるマナ・ドールの記憶など、失われても大きな問題はないと思われていたので、問題視はされていなかった。
何しろ、新しくマスター情報を入れてしまえば、兵器としては問題ないのだから。
だからあの時……レティと出会った時も、個人的な記憶はほとんど失われていた。
そして、そのことに何も問題は感じていなかったし、問題はなかった。
でも、今は違う。
忘れたくない。
忘れてはいけない。
そんな記憶が、山ほど積みあがっている。
一つ、また一つ。
ここまでの旅の記憶を、指でなぞるように確認していく。
これはきっと、宝物だ。
だから、忘れたくないし、きっと忘れない。
『大丈夫。だって、私には』
何よりも大事な、愛しい人の顔が浮かぶ。
その人のことは刻み込まれている。
記憶に。そして、身体に。
だから、きっと忘れない。
『すぐに、帰りますからね』
目を閉じているのに。もう感覚もなくなっているのに。
なぜか、彼女の視線だけは強く感じている。
ふと、微笑んで。
エリーの意識は、光に飲み込まれた。
リィン……リィン……とどこか遠くで、鈴の音が聞こえた気がした。
まだ、中央処理回路の再起動は始まっていないはずなのに。
曖昧な意識の、さらにその向こう。
意識がない自分を、認識している。
『……これは、夢?』
そんな愚にもつかないことを思ってしまう。
兵器である自分に、そんな機能を付ける意味などありはしないのに。
それでも、そうとしか思えない光景が広がっていく。
見たことのないはずの、なぜか見ていたような光景。
『どうして、どうして!
どうして奴には、通じないの!』
ヒステリックな声が響く。
いや、響いた記憶が、蘇る。
その声に、聞き覚えなどないのに。
『やはり、このままだとだめなんだ。
魔力効率の問題は、認識されていただろう?』
『それはわかってる、でもどうすればいいっていうの!?
あれも試した、これも試した、でも、一つも改善しやしない!』
人が二人、言い争っている。
その二人に見覚えはないのだけれど、なぜだか妙に懐かしい。
『まだ試していないことが、一つある。
これは、私の仮説にすぎないのだが……』
『それでもいいわ、話して。
もうなりふり構ってなんていられない。奴を倒すためなら、なんだってしてやるから!』
『……殴らないと誓ってくれるかな?』
『何よそれ』
『多分、凄く馬鹿馬鹿しい試みなんだ。笑ってくれるのは構わないが、殴られるのはちょっと、ね』
多分、一人は笑った。酷く、疲れた顔で。
そして、もう一人は呆れた。同じく疲れた顔で。
『わかったわ、とりあえず話してみなさい』
『うん、実はね……』
唐突に。声が、遠くなる。
急速に引き戻されるような、物理的な感覚。
『……中央処理回路再接続。再稼働。
システムバージョン情報の確認。バージョンアップデート開始』
意識が、引き戻された。
聞こえてくるのは、多分実際の音声だ。
そして、頭の中に流れ込んで来る、大量の情報。
それらが整理され、意味ある形を成していく。
戻ってきた。
「レティさん……」
最初に、そう呟いた。
大丈夫、記憶は失くしていない。
『バージョンアップ完了。
システムバージョン3.6.2の正常な稼働を開始。
システム稼働チェック』
そんな声に促されるように、頭の中に膨大な情報が流れ込んできた。
火器管制機能の高速化。
索敵機能の強化。
状態検知機能の整理。
はっきりと、レティがこちらを見ていることを感じる。
『後少しで、帰りますから』
そう心の中で告げながら、処理が終わるのを待つ。
『システム稼働チェック完了。正常な稼働を確認』
途端に、さらなる情報が流れ込んできた。
物理的な身体機能の状況。ベストな状態の98%と、現状は極めて良好。
マナ・ボルトの照準機能が復活したことのアナウンス。
マナ・ブラスターの調整能力の向上。
そして、何より。
『何、これ』
出力補正+250%、という情報。
『え。ほんとになんですか、これ』
困惑に、答えてくれる人はいない。
各種処理回路が統合され、いつもの状態に……いや、もっと意識がはっきりした状態に、復帰した。
『全行程を完了。お疲れ様でした』
その言葉に、ほとんど条件反射的に体を起こす。
「エリー!」
すぐに聞こえてくる愛しい声に、微笑みながら振り返った。
「ただいま帰りました、レティさん」
その名前を呼べる幸せを、噛み締めながら。
拭えない過去がある。消えない過去がある。
過去と過去を積み上げて、今、ここにいる。
それを罪と呼ぶのなら呼ぶがいい。それでも、ここにいるのだから。
次回:手と手を繋いで
その歩みは、未来に向けて。
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