開花の兆し
朝食が終わった後もなんだかんだと引き留められ、結局昼食まで共にして昼過ぎに城を出ることになった。
ちなみに、ツェレンの要望もあって朝食と昼食の間に中庭を借りて軽く稽古をしたが、それを見ていたバトバヤルは絶賛し、城の兵士達は絶句する、ということもあったりはしつつ。
ともあれ、午後は各自休養ということにして、次の日からまた稽古、という話になった。
そして、翌朝。
「イグレット。今日はエリーはどうしたんだい?」
「ああ、ええと……」
ドミニクの問いかけに、珍しく口ごもり、目を逸らす。
しばらく言い淀んでいた後、ためらうように口を開き。
「その、腰が痛くて起き上がれないって……」
その言葉に、今度はドミニクが沈黙した。
ややあって呆れた様なため息をついて。
「イグレット、あんたらのことに口を挟むのもなんだし、まあそうなっちまったばっかりなんだから浮かれるのもわかるんだけどさ。
もうちょい加減ってもんを覚えな」
「うん、反省してる……さすがにちょっと抑えないと……でも、エリーも悪いと思う」
「待った、そっから先はなしだ。
言い訳なのか愚痴なのか惚気なのかわからない話を延々聞かされるのはごめんだよ」
何か言い募ろうとしたレティを遮るように手を上げ、止める。
ぐ、と何かを飲み込むように言葉が止まり、ついで、若干恨めし気な目を向けてくるが、ドミニクは意に介さない。
「ほれ、そんなことより、今日の稽古だよ。
折角こうして時間も取れたんだ、大会に向けて仕上げていくよ」
と、早速木剣を手にしたドミニクに、同じく木剣を手にしながらレティが申し訳なさそうに眉を寄せ、謝罪の言葉を口にした。
「あ、それなんだけれど……ごめん、途中で数日、古代遺跡に行くかも知れない」
「へぇ? ああ、それが最初に言ってた別の目的ってやつかい。
まあそれなら仕方ないが……数日でいいのかい?」
なるほど、と頷くも、今度は疑問を口にする。
何しろコルドールの古代遺跡は規模が大きい。
全てを探索するとなれば一か月かかるとすら言われているものだ。
そこに、たったの数日で何ができるというのか、はなはだ疑問ではある。
「うん、まあそんなに深くまで行かなくてもなんとかなりそう」
昨日、午後から下見がてら遺跡を外から見てきた時に、エリーが言っていた。
多分、裏口が使えます、と。
さすがにそこまで話すわけにはいかないので、はぐらかす。
ドミニクは何か言いたげに片眉を器用にあげるが、しかしそれ以上は何も言わず、頷いた。
「ま、だったら、大会まで大きな影響はないだろうし、構わないさ。
ああ、だけど怪我とかせずに帰ってくるんだよ?」
「うん、ありがとう。それは、気を付ける。
……もっとも、稽古で怪我をしないかの方が心配なのだけれど」
「はっ、安心しな、そこはちゃんと手加減してやるさね」
「……それもそれで、ちょっと複雑なのだけれど……」
そう言いながら、木剣を構えた。
まずは、普段通りの組打ちから始めていく。
すっかり慣れてしまったその動き、止まることなく淀むことなく歩みが流れ、互いを狙う剣が絡んでは離れ、また絡み。
稽古を始めた当初に比べれば、随分と保たせることができるようにはなったが。
「……まいった」
ぽん、と肩を突かれて、レティが降参の声を上げた。
にやり、ドミニクが嬉しそうな笑みを見せる。
「ほんと、あんたは飲み込みが早くて嬉しいねぇ。
この分なら、次の段階に進んでも良さそうだ」
「次の段階? また別のことを教えてくれるの?」
レティがドミニクの顔を見やる。
その表情に、ドミニクの顔に一瞬驚きが浮かび、消えた。
決して表情豊かではないのに、その顔には確かに期待感や高揚感が浮かんでいたのだから。
知らず、自身もまた楽し気な表情を浮かべてしまう。
「ああ、あんたの準備もできてきたみたいだし、ね」
「私の準備? ……え、なんのことかわからないのだけれど……」
はて、と小首を傾げながら、ドミニクの方を見やる。
確かにこの組打ちにも慣れてきたし、動き自体は洗練されてきたという自覚はあるけれど、それがどう次に繋がるかは皆目見当もつかない。
「ま、教えてなかったしねぇ。
なのにそこまで真面目にやってくれたおかげで、いい感じに練られてきてるよ」
「いや、あの……一人で納得してないで、どういうことか教えて欲しいのだけれど……」
うんうんと嬉しそうに何度もうなずいているドミニクへと、困ったように声をかける。
ああ、と軽く返し、レティの方を向いた。
「悪い悪い。そうさねぇ、どこから話したものか……。
イグレット、人間の身体で一番力が出るのはどこだと思う?」
「え……それは、脚、だと思うけれど」
「ああ、正解だ。じゃあ、その中でも特にどこだと思う?」
「特にって、それは、太ももだと思うけれど」
「普通そう思うだろ? ところがどうも違うらしいんだ、これが。っても、あたしも学者様の受け売りだけどさ。
どうやら、一番力が出るのは股関節周りらしい」
ぽん、とドミニクは自身の腰を叩いて見せた。
彼女の問いかけから始まった問答の末に示された答えに、レティは目をぱちぱちと瞬かせる。
何となしに、自分の腰へと視線を落として、しばらく考えた後に、顔を上げて。
「とても信じられないのだけれど」
「だろ? あたしも最初はそうだったんだけどねぇ。
太腿は体重の3倍から4倍程度だが、股関節周りは歩く時に5倍以上出してるって学者様が懇切丁寧に数式やらなにやらで教えてくださってさ。
ついでに自分でも色々と試してみて理屈は納得できて、色々技術に応用していったってわけだ。
片足怪我したら、杖突いて腕の力で体を支えても、むちゃくちゃ歩きにくくなるだろ?
そいつもこの理屈から説明できるしねぇ」
「……なるほど、確かに歩きにくそうにしてた……それは、わかる」
数式を見せられたわけでもないレティとしては理屈もわからないのだが、経験則的にわからなくもない事例を出され、少し納得した様子を見せる。
「ほんとは、あんたにもその数式を見せられたら良かったんだけどねぇ。
あんた、理屈を理解するのは苦手じゃなさそうだし。
ま、それはさすがに無理だから、とりあえずあたしを信じな」
「わかった、とりあえず信じてみる」
こくりとうなずくレティに、うん、と一つ頷いたドミニクは、一歩距離を取った。
「で、その股関節周りの力を上手く使おうにも、人間歩く走るの時にこの辺の力を意識的に使ってないし動かしてもいないし、柔軟性も足りない。
となると、まずここを動かす意識と柔軟性を身に付ける必要があってだね」
「……まさか、あの歩法って、そのための準備運動だったの?」
はっと気づいたような声に、ドミニクは軽く拍手して応える。
「ご明察。で、愚直にやりこんだあんたは、知らない間にすっかり準備ができてたってわけさ」
「この前の戦闘で、妙に剣が軽く動くなと思ってはいたのだけれど……そういう仕込みだったんだね……」
「教える前にちょいと使えるあたり、ほんとよくやりこんでるよ、実際。
で、そのお宝を、これから磨いて使えるものにしてやろうって寸法さ。
どうだい、楽しみだろう?」
にんまり、それはもう楽し気な笑みに。
こっくり、若干悔し気に、しかし隠すこともできず。
「うん、それは、まあ」
歯切れの悪い言葉と裏腹に、その瞳は輝いていた。
秘めた力が、染み付いた技術で伝わっていく。
唸りを上げるように走る刃は、まるで自分ではないよう。
だがその手ごたえは、確かに自分のものに違いなく。
次回:吠えよ、剣
それは目の前が開けるような感覚。
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「元暗殺者ですが、公爵家令嬢付きのメイドになった結果妙に懐かれてしまって、これはこれでとセカンドライフを楽しんでいます」
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