藤色の憂い
会見が終わった直後に5つの鐘が鳴った。
冬の日は既に平原の遠く向こうへと沈み始め、大地を赤く染めている。
夜の冷え込みが忍び寄り始めた、少し早い夕食という頃合いに酒宴の準備が為され、始まった。
「……随分と準備が早く終わったように思うのだけれど」
「ふふ、お父様は皆様に一席設けたくて昨日から色々と指示されてましたから」
「最初からその気だったんじゃない……ドミニクのあれは良い口実だったわけだ」
ちらり、上座の方へと目を向けた。
バトバヤルとドミニクが、それはもう機嫌よく酒を煽っている。
もう既に、何杯目だろうかと数えるのをやめたほどに。
呆れたようなため息を飲み込み、グラスを傾ける。
馬の乳から作られたというその酒は酒精は強くなく、酸味があってさっぱりとしていた。
少し濃い目なこの辺りの料理の味付けをすっきりと流してくれるので、相性がいいように思える。
「道理で、待ってましたとばかりに言い出したわけですよね~」
いつもよりも若干間延びした声でエリーが相槌を打った。
レティの腕にしがみついたままで。
「うん、そうだね……って、エリー、もう酔っぱらってるの……?」
「え~? 私、ぜ~んぜん、酔ってなんかいないですよ~?」
嘘だ。
そんな言葉が出かかったのを、飲み込む。
しがみつかれた腕に感じる火照った柔らかい感触。
こちらを見つめてくる少し潤んでとろんとした顔。
どう考えても酔っている。
酔っている、のだが。
それを指摘して、この状態が崩れるのが、ちょっとためらわれた。
「その飲んでるお酒、強い奴じゃなかった……?」
「そんなことないですよ~、あ、レティさんも飲んでみます?」
間近の距離、下から見上げてくるような悪戯な視線とともにグラスが差し出される。
仕方なく受け取れば、口元に寄せただけでわかるアルコールの匂い。
確か、馬乳酒を蒸留して酒精を強めたものだったはずだ。
口にすれば予想通りの強い味。ジュラスティンの蒸留酒に比べれば多少まろやかではあったけれども。
「やっぱり、強い奴じゃない」
「またまたそんな~だってレティさん平気で飲んでるじゃないですか~」
「それは、私は訓練してたもの」
困ったような顔で返事をしながら、グラスを返すべきかどうか逡巡してしまう。
ちらり、自分のグラスにも視線をやり、しばし考えて。
「ねえ、エリー。こっちのお酒と一緒にこの肉を食べると、美味しいよ?」
「そうなんですか、じゃあちょっといただきますね」
途端に居住まいを正し、肉を食べ馬乳酒を一口。
なるほど、なるほど、とうなずきながらもう一口。
肉食で助かった……と思う反面、最近の自分のやり口に、ますますどうなんだろうと遠い目をしながら、蒸留酒を口にする。
と、その様子を横で眺めていたツェレンが口を開いた。
「あの、イグレット様。
お酒も、訓練で強くなるものなのですか?」
「ああ……強くなる人も、いる、が正確なところ。
口当たりは、ある程度訓練で慣れるけど……それも、だめな人はだめだったから」
実際、レティは酒にも慣れることができた。対毒訓練の一環で。
同じようにして酒に強くなったと豪語する人間はいるが、それは生存者バイアスというものだろう。
飲み慣れようとして体を壊した者を助けてくれるような社会ではなく、そのまま物言えぬようになってしまうのだから。
自分はたまたま体質が合っていただけだと、レティは自覚している。
「そうなのですね……私も訓練して強くなれたらと思ったのですが」
「……私が受けたのは、本当に訓練、だったからね。
薄いものから始まって、段々強く……だったから。
思っているようなのとは、多分違うと思う」
「そ、そうなのですね……う~ん……憧れと現実のギャップを見せられた気分です……」
複雑そうな顔でレティの手にしたグラスと顔を交互に見やっている。
しばし、その様子を見やって。
「幻滅した?」
「いいえ、そんなことは。……ああ、もしかしたら、自分に幻滅したのかも知れません。
イグレット様やドミニク様を間近で見ていたのに、まだまだカッコいいところしか見てなかったのかな、と」
苦笑を浮かべるツェレンを、数秒見つめて。レティは、小さく首を振った。
「それは仕方ない、と思う。
特にドミニクは、そういうのを見せないのがかっこいいって思ってそうだし」
色々な意味で、隙だらけに見せながら隙を見せない人間だと思う。
それは、積み上げてきた技量だといったものへの確かな自信が裏打ちとしてあるのだろうことは、何となくわかった。
今もそう。バトバヤルと楽しそうに酒を酌み交わしながら、いつでも即座に立ち上がり行動できるようなバランスを保っている。
レティとて自然と油断ない姿勢は取れるが、あそこまで楽しそうに飲みながら、はどうだろう。
とりとめもないことを考えていたレティの横でツェレンは難しい顔のまま。
「やっぱり、お二人が積み上げてきたものを感じ取る、という意味でも、きちんと訓練を受けた方がいいのかも知れませんね……」
「……自分には遠い世界、という風には思わないんだね」
真剣な顔でそう言うツェレンに、不思議そうに問いかける。
こくり、頷きが返されて。
「皆さんに出会って、助けられて、色々とお話して、思ったのです。
私は自由に草原を駆けることはできましたが、そこで生きるには何もかも足りなかったのだと。
王族であればこそ、一人で生きていくための力も必要となるのが草原の民ですから」
きっと、それを自覚させるための成人の儀なのだろう、と今は思う。
その中で襲われた不幸も、こうして生き延びることができた今となっては得難い試練だ。
そうでなかった時のことを考えると、自然と背筋も伸びてしまうが。
「私にはエリー様のような魔術の才能はありません。
ですから、イグレット様やドミニク様の身に着けてきたものに惹かれてしまうのかも知れませんね」
そう言って微笑むツェレンの表情は、少しだけ大人びたものに見えた。
酒席に花咲く四方山話。
とりとめなく飽きることなく続く語らい、うたかたに。
そして今日一番の爆弾が投げ込まれる。
次回:宴もたけなわ
そして言葉は心を射抜く。
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