揺らぎ波打つ水面
「しかしまあ、代官様の目の前で襲ってくれるなんざ、手間が省けたかも知れないねぇ」
気絶した二人を縛り上げ、死体は埋めて、などの処理が終わった後にドミニクが口を開いた。
その言葉に、隣で処理の指示を出していた代官が頷く。
「うむ、こやつらに吐かせてからにはなるが、実際にこうして襲われたと私からの証言も加われば、陛下も動いてくださるだろう」
「そこんとこは、よろしくお願いしますよ。
しっかし、王都のこんな近くで仕掛けてくるなんてねぇ。よっぽど切羽詰まった事情があったようで」
呆れたような口調で言いながら、気絶したままの男達を見下ろした。
どちらもレティの一撃を受けることができる程の手練れだ、ただの雑兵でなどありえない。
彼らがどこまでの情報を持っているか、多少は期待できるだろう。
「その辺りを聞き出すのは任せてくれ。こちらにも尋問の専門家はいるからな」
「そいつは心強い。ああそうだ。
どうだいイグレット、尋問の専門家のやり方を見学させてもらったら」
「いや、私は別に、専門家になりたいわけでは……やることもあるし」
呼び止められたレティは、困ったように眉を寄せた。
その顔を見て、冗談だよと笑いながらドミニクは軽く手を振る。
少しむくれたような表情を見せたレティは、そのままエリーとツェレンが談笑しているところに向かっていった。
向こうへ歩く後姿を見ていた代官が、ぽつりとつぶやく。
「……あなたはもちろんだが、あの娘も凄まじい。
あの若さであれだけの剣技を身に着けるなど、どんな人生を送ってきたのか」
向ける視線には、畏怖のようなものともう一つ、哀れみのようなものが宿っていた。
彼とて剣を持つ身、二人の技量がどれほどのものかわかる。
そして、それを身に着けるために、どれだけの修練と時間が必要かも想像ができた。
想像できてしまった、というべきだろうか。
ドミニクもレティの背中を見やり、しかし、唇の端を上げた。
「女の過去を詮索するなんざ、野暮ってもんですよ。
それにまあ、何かあったとしても、だ。
今まっとうに歩こうとしてんだったら、それでいいじゃありませんか」
「……ああ、まあそれもそう、だな」
もしも代官が、ドミニクの稽古を受ける前のレティの戦い方を見れば、その素性を看破したかも知れない。
その場合、ツェレンの側に置くなど、よしとしなかっただろう。
ドミニクとて明確に確認したわけではないが、最初に出会った時のあの動きを考えれば、推測はできる。
「……これも巡り合わせってやつかねぇ」
「うん? 何か言ったかね?」
「いえいえ、何も大したことは」
小さく呟いた声が聞き取れなかったのか、代官が尋ねてきたのを軽く流す。
そして、もう一度レティの方を見た。
何やら三人で話し込んでいる姿は、もしかしたら、なかったのかも知れない。
自分が、あの娘の人生を少し変えてしまったのだとしたら。
それも、きっと少しだけ良い方向に。
「なんとも、面白いもんだねぇ」
誰にも聞こえないように、小さく小さく、呟いた。
「お疲れ様でした、レティさん」
「あ、ありがとう、エリー」
レティが近づいてくると、エリーは用意していた手ぬぐいと水筒を差し出した。
微笑みながら受け取ると軽く汗をぬぐい、ふぅ、と一息つき。
それから水筒に直接口をつけ、レモン果汁と蜂蜜でほんのに味付けされている水を飲んでいく。
ある程度飲んだところで、ふぅ、ともう一息。
肉体的な疲れはさほどではないが、精神的にはそれなりに疲れた。
圧勝と言っていい結果だったが、実際のところはドミニクの戦術勝ちと言っていい。
負けるつもりもないが油断もできない、そんな相手だった。
「ふふ、さすが奥様、お迎えの準備は万全ですね」
感慨に耽っていると、くすくす笑いながらツェレンがやってくる。
ごふっ、と思わず咳き込んだ。水筒に口をつけているタイミングでなくて良かったと、心から思う。
「やだツェレン様、そんなからかわないでくださいよ~♪」
「いえいえ、やはりお似合いだなと、改めて思います」
両手で頬を挟みながら照れる仕草のエリーを、ツェレンは微笑ましそうに見やる。
なるほど、ああいうエリーも可愛い、などと口には出さずこっそり思っていると、不意にツェレンが真剣な表情でイグレットに向き直った。
「イグレット様、お疲れ様でした。それから、本当にありがとうございます」
そう言って頭を下げてくるツェレンに、ぱちくり、数度瞬きすると、慌てて軽く手を振り。
「いやその、大丈夫、仕事だし。
だから頭を上げて、なんだか申し訳ない」
頭を下げられる、礼を言われる、ということに未だに慣れない。
暗殺者時代にはなかったことだし、言われるようなことをしているつもりもない。
お互い様、という感覚が一番近いのだろうと思うのだが。
目の前のお姫様は、それで感謝の言葉を述べてくる。
どうにも、なんとも、面映ゆい。
……唐突に、二の腕をエリーに抓られた。
「……違うから。違うから、ね?」
「わかってますけど、わかってますけどぉ」
顔色一つ変えず、ぼそぼそ、小声で会話をする。
どうやら、抓ったところはツェレンからは見えていないらしい。
「本当に、仲がよろしいのですね。
……あの、イグレット様。あの剣技は、どうやって身につけられたのですか?」
「え? ええと……訓練、としか」
唐突な問いに、そんな曖昧なことしか答えられない。
どんな訓練をしたか、覚えていないわけではないのだが。
そんなレティの答えに、ツェレンはしばし沈黙し、やがてまた顔を上げた。
「あの、私でも、訓練したらイグレット様のようになれるでしょうか」
「私の、ように? ……それは、とてもお勧めできないけれど……。
それに、なれるとは断言できない、ね……」
そう言いながら、ツェレンの身体を改めて見る。
お姫様らしくか細い……という印象はない。
細身ではあるが、骨格も筋肉もしっかりしているようだ。
考えてみれば、馬であれだけ走れるのだ、基礎体力がないわけがない。
それでも。
「何より、ツェレン様が剣術を身に着ける必要性はあまりないと思うのだけれど」
「それは、そうなんですけれども。
……下手に身に着けても、かえって皆に迷惑をかけることもわかってはいるのですけれども。
同じ女の身であるイグレット様やエリー様、ドミニク様の振舞いが眩しくて。
馬鹿な憧れだと、わかってはいるのですけれども」
考えながら、時折つっかえながら。
それでもまっすぐにレティを見ながら。
そうやって紡がれた言葉を、無碍にはできなかった。
考えて、できる限り真摯に自分の言葉で、と。
「できる、とは言わない。できない、とも言わない。
やってみなければわからない、と思う。
ただ、半端に手を出したら、結局良くわからないまま終わる気がする、かな」
レティの言葉に、ツェレンは考え込む。
半端にしない、ということは。自分にそれだけの時間があるか。
色々なあれこれを投げうつ覚悟はあるか。
「すぐには決められなくて仕方ないと思う。
だから、ゆっくり考えたらいいんじゃないかな」
「……ありがとうございます。よく考えてみます」
レティの声に、ツェレンはまっすぐに顔を上げて微笑みを返した。
人は城、人は石垣、と言ったのはさて誰だったか。
人と街、草原を掘とし、情けで固めた都が眼前に広がる。
見慣れぬ街が、国が。語る物語は、見知らぬ彼方。
次回:草原の都
吹き抜ける風が運ぶのは、安寧か、危険か。
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