痛恨の一撃
そして、レティとドミニクの稽古は小一時間程も続けられて。
「おっと、そろそろ出発の時間が近いね。
んじゃ、ここまでにしておこうか。冷える時期になってんだ、ちゃんと汗は拭いておくんだよ」
そう言いながらドミニクが動きを止める。
途端に、かくん、とレティの構えていた木剣の剣先が落ち、大きなため息が漏れた。
「……ねえ、ドミニク。
確か最初、軽めって言ったよね?」
「ああ、確かに言ったし、実際身体はまだまだ動くだろ?」
恨みがましそうな声に、ドミニクが軽やかに笑って答える。
実際、ドミニク自身は少し額に汗ばむ程度、まだまだ元気な様子が見てとれた。
だが。
「うん、確かに体はまだまだ動く。
でもね、頭がかなり限界近いのだけれど……」
げっそりとした顔で、レティが応じた。
確かに動きそのものは激しくなかったので、身体は大して疲れてはいない。
だが、常に相手の動きを読み、次の動きを考え、を繰り返していたレティの集中力は限界に近かった。
そして、それがほとんど自動的にできるところにいるドミニクにとっては、軽い運動でしかなく。
煽るような余裕の笑みを見せるドミニクを、ぐぬぬ、と睨むことしかできない。
「それでも、動かないまではいってないだろ?
ちょいと休んだら、探知魔術もまた使えるくらいに回復するだろうしさ。
ああエリー、イグレットに何か甘いものでもやっとくれよ」
「あ、はい、それは用意してますけど」
「流石、できた女房だねぇ」
「にょっ、にょうっ!?
や、いやですねぇ、私、そんなんじゃないですよぅ!」
揶揄うようなドミニクの声に、覿面に真っ赤になったエリーがぶんぶんと手を振る。
困ったような表情を作ってはいるが、明らかに喜んでいた。
「ははっ、可愛いもんだねぇ。
だそうだけど、どうなんだい、旦那様?」
「……勘弁して……今そういうこと言われたら、私、どう反応したらいいのか、わからない……」
ぼそり、呟くように。
そうして、がくり、気力が尽きたかのように俯いた。
散々にレティを揶揄った後、ドミニクは先に商隊の方へ合流しに行った。
乗る予定の馬車に近づけば、気付いた商隊のリーダーが近づいてくる
「おかえりなさい、ドミニクさん。
いやいや、遠目で見ていましたが、実に興味深い光景でした。
人間とは、あんな風にも動けるものなのですねぇ」
「おやおや、覗き見とは感心しないねえ。
……なんてね、見られてるのはわかってたけどさ」
そう笑いながらドミニクは御者台に昇った。
まるでそのまま歩いていくかのように滑らかに。
その動作もまた、感嘆ものなのだが。
「はは、それだけ目を引く光景だったのですよ。
ドミニクさんも随分と楽しそうでしたしね」
にこり、と笑う商人に向かって、ニヤリと笑って返す。
「ああ、もちろんさね。
あんだけ教え甲斐のある子もなかなかいないよ。
素直なだけに、どんどん吸収してくからねぇ」
そう言いながら御者台に座り、腰かけて、背もたれに背中を沈めた。
……幾分、最初の時よりも深めに。
「なるほど。そして、それだけに師匠として頑張っておられる、と」
「……ふん、どうやらあの会頭に随分と良く仕込まれてるみたいだね?
ま、あたしから押し売りしたんだ、ちったぁ頑張らないとさ」
ちょっとした仕草から何か見抜かれたらしい反応に、苦笑を返しながら。
背筋を伸ばすように、肩を解すように腕を伸ばした。
レティの前でこそ余裕の顔をしていたし、取り繕う余力もあったが。
どんどんと勘所を掴んでいくレティへの対処に思っていた以上の疲労がある。
そんな自分に若干忸怩たるものを感じつつ。
そんな弟子に出会えたことに、感謝もしていた。
そしてその弟子は、座り込んでエリーお手製のレモン水を飲んでいた。
「ふはぁ……染みわたるって、こういうことなのかな……」
「ふふ、お菓子もありますよ。
甘い物って疲労回復に効くらしいですから、しっかり摂ってくださいね」
「うん、もらう」
差し出された焼き菓子に、しゅざ、と音が出そうな程の素早さで手を出し、受け取る。
口に入れればほろりと崩れ、口の中に蜂蜜の豊かな甘みが広がっていくのに満足そうな表情を浮かべる。
それをレモン水で流し込んでいると、横に座ったエリーがぽつりとつぶやいた。
「女房ですって、旦那様」
「んぐっ、ごほっ、ごほっ!」
ぽつりと、しかし嬉しそうな声に、意表を突かれたレティは思わずむせてしまう。
そんな反応に、エリーはにこにこしながら 背中をさすって。
しばらくして、ようやっとレティが落ち着く。
いや、精神的にはまだ落ち着いてはいないのだが。
「エリー、その、ね。ええと……色々言いたいことはあるのだけれど。
もう少ししたら街に着くし、今夜の宿まで待ってもらっていい?」
「もちろん構いませんけど……そう真面目に言われちゃうと、私まで照れちゃうじゃないですか……」
軽い冗談と、ちょっとの期待を込めた言葉に真面目に返されたら、エリーも照れてしまうしかなく。
ちらり、ちらり。
横目でお互いを伺うように視線を投げ、それが合ってしまえば、避けるように目を伏せる。
でも。
お互いに、赤くなってしまいながらも。
唇がついつい、綻んでしまうのも、止められない。
そんなやりとりは、出発を告げる声が響くまで、続けられた。
金という、偉大なる発明。信頼を数値化した概念。
だからこそ、その使い方は人間関係そのものであり。
往々にして人はそれに流され、弄ばれる。
次回:金と鋏は使い様
もしそこに、純粋なるものがあれば。
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