その勇者、酒に溺れる
その日の夜はいつもの静かな寝静まった町ではなかった。
笛の音が鳴り、町人が踊り知らぬ者と酒を酌み交わす。
その中では男も女も子供も関係なしに皆、喜びに満ち溢れた表情で町を練り歩く。
「ついにやったんだな! どこの町の勇者が魔王を倒したんだ!? まあ誰にしろ、乾杯!!」
道の端で仲間とビールを片手に持つ男はとにかくただ酒が飲みたいと魔王を倒した勇者の名前も知らずにビールを一気に喉に通す。
「お前魔王を倒した勇者の名前も知らないのかよ! 俺もだけどな! わっはは!」
傍を通った男が愉快にその男に話しかけて会話の輪に入る。
「今日は無礼講だー!! 乾杯!」
勝利の美酒に酔いしれるのはその男一人だけでなく同じように道端でビールを片手に持って頬を紅く染めている町人が何人も見られる。
いつも日が落ちると魔王の影に怯え戸を閉じて朝を待つ町人はもう居ない。
目の前には消える事の無い明かりが灯り、子供の笑い声が遠くから聞こえてくる。
町人全員が魔王を倒した事に酔いしれて踊り、笑う。
正に平和の訪れを絵にかいたような景色だった。
だが、その中で一人の青年は独り取り残されたように町を包む喜びについていけない。
「僕はこれからどうすればいいんだ……」
道の端で壁に背を預け空を見つめながら呟く。
(今日、僕は辛い鍛錬に耐えて勇者になれた。だけど勇者としての実務経験も無い、勇者見習いと言ってもいい。それにこの青春を勇者になるために捧げてしまった……)
壁に力なく寄りかかるエルド・ネントは勇者だ。だが本日をもって勇者の職は必要が無くなってしまったのだ。
(職を探さないと……)
魔王が倒された今、勇者としては生きていけない。
エルド・ネントは新たに職を見つけて生きていくことになったが彼の就ける職業は限りがあった。
傭兵、どこかの警備兵、狩り人……勇者としてのスキルから考えるとこれぐらいしか自分が就ける職は思い当たらない。
そしてもう一つは今はもう意味のなさない授けられたスキル、チャージ。
この能力を利用して生きていくしかない。
「今日の朝までは魔王を射ち滅ぼすために死ねるなら本望と思っていたのにな……」
空に瞬く儚い光を放つ星に自分を重ねてこぼして右手に握ったビールを豪快に飲み干した。
――「だからぁ~! なんで今日なのかな~!? なんで今日魔王倒されちゃうかな~!!!」
千鳥足で町を歩く酔った青年が独りで愚痴をいない相手に話している。
「お・れ! 今日勇者になった! だ・け・ど! 今日魔王倒された!」
誰これ構わず絡むエルド・ネント。
今日は無礼講とビールをじゃんじゃんペースも考えずに飲んで見事に出来上がってしまっていた。
あの時の彼の魔王を倒すと宣言した真っ直ぐな瞳は何処へ……彼にはもう失うものは無いとすべてを曝け出して本能のまま酒を飲み、徘徊していた。
「ゴクッゴクッ……――~ッ! 喉にくる~!」
夜が明けそうになってもまだ喜びに酔いしれる町は眠らない。
その明るい町でエルド・ネントは今は酒で熱く火照った身体を冷ますため服を脱いでいた。
手にも何も持たず装備も無い。あるのは鍛え上げられた見事な身体だけだった。
「う~ん? 少し寒いな~まあ酒があればいいか!」
無一文、裸一貫となったエルド・ネントはなおも酒を飲むことは止めない。
彼は自分の親指を赤ん坊の様に加えて吸引する。
「ゴック、ゴックゴク! うわああああ! うまい! 生きててよかった! 魔王倒した勇者に乾杯!」
喉を鳴らしながらビールを指先から飲む。
酒のおいしさにエルド・ネントは涙を浮かべて大げさに感動していた。
元勇者のエルド・ネントは与えられたスキルを己の為、最大限に活用していた。
「まだまだ飲めるゾ~」
彼はビールを身体にチャージして身体に蓄えているのだ。
ちなみに約50Lはビールをチャージしたので彼の飲酒はまだまだ続く。
「スキル! チャージ!! ビールをチャージ! あはははは!」
陽気に笑いスキルの無駄使いをしてはしゃぐ様は魔王が倒されお祭り騒ぎしている町人の格好のおもちゃだ。
「お~い! 勇者さんよ! そのスキルでどんどん酒をチャージしなよ!」
「うるせ~! ”元”勇者だ!」
ワハハハハハ!
広間で丸テーブルの上に肉やポテトなどのいつもは食べられないような豪勢な酒の肴を広げているグループと意気投合してエルド・ネントは裸のまま椅子に座る。
「なあなあ! どこの町の勇者だと思う? 魔王倒したの」
席に座ったと同時に間髪入れず四人グループの中の一人が尋ねてきた。
「そんなのしらね~よ。 どこの町の勇者でもいいじゃねえか! もう勇者の職は無くなるんだから」
半場ヤケになりながら男に応える。
勇者は一つの町で一つの修練場で幼少期から鍛錬してスキルをもらい勇者の職に就く。
そして今はもう意味の無い魔王軍との戦いに参戦するのが流れだったがもう勇者にはなれない。
スキルは植物系統、動物系統、無系統の三つの種類がありそれが祭司様を通して与えられる。
ちなみにスキルにはステージ1からステージ3までの段階が確認されていて倍々でスキルが増えていく事も知られている。
これは勇者のスキルツリーと呼ばれていて鍛錬や何かがきっかけでステージアップする。
エルド・ネントのチャージ能力は無系統のステージ1だ。
「ウィンナーもポテトも全部チャージ! 持ち帰りま~す!」
「おいおい! まてまて! 全部持ってくなよ」
エルド・ネントが皿の上に盛られた肉を手の平から吸収するスキル、これは動物でも植物でもない無の系統だ。
だが無系統は能力の利便性もあってかステージ2になってもスキルが一つだけ追加されるのみ、と少し不遇だ。
レイトのスキル、ビーストは動物系統のスキルでこちらはステージ2になればスキルが二つ追加される。
今の時点ではステージ3までしか見つかっていないがスキルにはまだ謎が多い。
本当に神が授けているのか? ステージ4は? 追加スキルの法則性は?
挙げられている疑問はまだまだあるがもう勇者の職が無くなってはどうでもいいことだ。
このような授けられたスキルを利用して勇者は人間と魔族に分けられたこの世界の人間側の神聖軍に所属して戦う選ばれた者なのだが魔王が倒された今、勇者は只の便利な能力持ちになってしまった。
「ううぇええええええーーーいい!」
奇声を発しながら元勇者、エルド・ネントの一日はこうして終わっていった。