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人肉嗜好症  作者: 京介
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1.灰谷探偵事務所

 僕が『灰谷探偵事務所』を訪れた時、まだ事務所には鍵がかけられていた。

 どうせまだ寝ているのだろう。彼女の怠け癖はもう慣れっこだ。

 すでに時刻は午前十一時になろうとしている。こんな時間にのこのこ出勤してくる自分も労働者としてはたいがいなのだが、雇い主がこの通りなのだから、事務所で唯一の従業員である僕が遅刻したところでなにか問題が発生するわけでもない。

 合鍵を使って事務所に入る。

 ここで働き始めたときに渡されたものだ。

 別に僕が信頼されているというわけではない。最初から僕に起こしてもらうことを期待していたのだろう。

 事務所に入る。思った通り、電気は消えている。やはり寝ているのだ。事務所の奥の方にある扉を開ける。そこが灰谷真理亜の居住空間だ。

 六畳ほどの部屋の中央に布団が敷かれていて、そこに一人の女性が眠っている。七月に入って気温が上がってきたせいか、下着姿だった。

「真理亜さん、またそんな格好で。さっさと起きてください」

「んん、もう朝か……」

「もう昼です」

「そう……、あ~頭痛い」

「また飲んでたんですか」

 僕は真理亜さんの布団の周囲に転がっているピールの空缶やら日本酒やらの空瓶を見る。彼女はその華奢な見た目にそぐわず、かなりの酒豪だった。

「いいかげんにしてくださいよ。週に七日は寝酒をするんだから」

「それ、毎日じゃん」

「毎日してるでしょ。とにかく起きてください」

 僕は部屋を出ると事務所の明かりをつける。空気がよどんでいた。冷房を入れる前に部屋の換気をしておこうと思い、窓を開けた。むっとする外の熱気が入ってきた。もう、すっかり夏だ。

 七月に入ってから、毎日が蒸し暑い。

 こんな天気では生きているだけで体力を消耗してしまう。だからずっと眠っていたくなるという気持ちはとてもよくわかる。というか僕だってそうしていたい。

 だが、灰谷真理亜はもう二十六歳になる。もういい大人なのだからそれでは困る。彼女が真面目に働かないと、ボクの給料にも影響することになる。

 なぜ、まだ十六歳の僕が事務所の経営の心配をしなければならないのだろう。

 そういうのは大人の、というか経営者の仕事じゃないか。



 換気もおおよそ終わると窓を閉め、来るかどうかも定かではないお客さんをお迎えするために冷房を入れた。設定温度は二十八度。この温度じゃ涼しくないとかなんとか真理亜さんはうるさいが、このぐらいにしておかないと赤字になる。

 『灰谷探偵事務所』は商店街の隅っこ、三階建ての老朽化の進んだビルの最上階にある。夜になるとホラー映画の撮影なんかに使えそうな雰囲気を醸し出す襤褸ビルだった。

 奥のドアから、真理亜さんが出てきた。白色のブラウスに足首まである黒のロングスカート。真理亜さんのいつもの格好だった。

 真理亜さんは髪の毛を伸ばすのが趣味で、腰にまで届く黒髪はうらやましくなるくらいきれいだった。聞いてみると、仕事が暇なので手入れをする時間がたっぷりあるのだと自慢された。

「おはようございます、真理亜さん。はい、コーヒーをどうぞ」

「……ありがと」

 まだ半分寝ている感じの真理亜さんにコーヒーを出す。スーパーの特売で買ってきた安物の粉末インスタントコーヒーにお湯を注いだだけのものだが、味音痴で生活能力ゼロの彼女にはどうせコーヒーの味なんて分からない。「うん、おいしい。純はコーヒーを淹れるのがうまいね」などと言っているのを適当に聞き流していると、

「ああ、そうだ。今日はお客さんが来るから」

 と真理亜さんは信じられないようなことを言った。

「え、お客? 本当ですか?」

「なんで疑うんだよ」

 最後の依頼が三ヶ月前だったから、つい口が滑った。そもそもにおいて儲けを期待できるような商売でもないが、それに加えて真理亜さんにやる気がないものだから、お客なんてほとんど来なかった。お客と記念写真でも撮りたいくらいだ。

 灰谷探偵事務所。

 探偵と名前がついているが、実際のところ、探偵らしいことなどあまりしていない。

 ターゲットの身辺調査もしないし、不倫や浮気の調査だって一回もやったことがない。

 絶海の孤島に閉じ込められたり、冬の山荘に閉じ込められたりすることもない(真理亜さんは出不精だから、たぶん一生ないだろう)。

 ましてやみんなを集めて「さて……、犯人はこの中にいます」なんて絶対に言わないし、そもそも殺人事件の捜査なんてしたこともないし、する気もない。

 僕がここに来てから受けた仕事と言えば、逃げ出した飼い犬を探したり、眼鏡をなくしてしまったおばあちゃんのお宅にお邪魔して眼鏡を一緒に探し回ったり、なんだかそんなことばかりだ。

 こうやって思い返してみると、そもそもここは本当に探偵事務所なのだろうか、と素朴な疑問が湧いてくる。

「あの、真理亜さん。本当にここは探偵事務所でいいんですよね」

「何をいまさら」

「だって、探偵らしいこと、なにもやってないじゃないですか」

「まあ、あんまりね」

 真理亜さんは少しふてくされたように言った。

「でも、安心したまえ純くん。今日は久々に本格的な仕事だぞ」

「そうなんですか?」

「聞いて驚け。今日の依頼は、なんと人探しだ」

「人探し?」

「それも、ただの人探しじゃない。もしかしたら、巷で起きている連続殺人事件に関係しているかもしれないんだ」

「……本当ですか」

 現在、世間をある事件がにぎわせている。

 少女を狙った連続殺人事件だ。今までに三人が他殺体で発見されている。犯人はまだ捕まる気配すらない。ニュースで何度か被害者の顔写真を見たことがあるが、いずれの少女も活発そうな感じだった。髪の毛も金髪や茶髪に染めており、僕はちょっと苦手なタイプかもしれないな、と思った。

「依頼者は中年の女性なんだけどね、昨日から高校生になる娘が帰っていないそうなんだ。少女を狙った連続殺人事件が起きているでしょ。だからすごく心配しててね」

「でも、それならまずは警察に行くべきなんじゃないですか」

「もちろん警察にも行くそうだよ。今日は警察に相談してから、ここに来るそうだ」

 警察だけで良いのではないか、と思ってしまうのは、僕が灰谷探偵事務所の実情を知っているからだろう。もし知っていたら、わざわざ高いお金を払ってこんなところに依頼したりはしない。

 しかし警察は事件性がないと動いてくれない。もし警察がその娘のことを真剣に考える時があるとすれば、それは行方不明になって何日も経った後か、もしくは彼女が遺体か何かで発見された時だろう。

 それでは遅いのだ。

「まあ事件性があるかどうかは分からないから。私たちがするのはあくまでその女の子を探すこと。連続殺人事件の捜査なんて、まともな探偵のすることじゃない。あれは警察の仕事。それにしても……」

 真理亜さんは僕を見て言う

「純も気を付けなければいけないよ。悪い奴にさらわれちゃうかもしれない」

「僕がさらわれるわけないでしょう。何言ってるんですか」

「純はけっこうかわいいからね」

「もしかして僕、からかわれてますか」

「さあね」

 真理亜さんは立ち上がって伸びをした。

「そろそろ依頼人が来るころだね」

「でも、本当に人探しなんてちゃんとできるんですか」

「私はこれでもいちおう探偵だからね。人も探せないようなら、とっくに廃業してるよ」

 真理亜さんがそう言ったとき、チャイムが鳴った。

「さあ、依頼人が来たみたいだ。丁重にもてなしてね。なにせ久しぶりのお客さんだからね」

 時計を見るとそろそろ正午になるぐらいだった。



 お客は、四〇歳くらいと思われる女性だった。

 名前を青崎景子と言った。

 身ぎれいにしてはいたが、憔悴していることは僕にもわかった。表情も疲れ切っていて、化粧でもごまかし切れていない。精神状態もあまり良いとは言えないだろう。服にはしわが寄っており、細かいことに気を配る余裕がなくなっていることが分かった。もっとも、あまりそういったものを気にしない性格なのかもしれないけれど。

「電話で簡単に事情はお聞きしていますが、今日はより詳しい話を聞かせてください」

 真理亜さんは一応きちんと対応している。ボクは青崎さんにお客さん用のコーヒーを淹れた。近所の専門店で買った、ちょっと高級なやつだ。ついでに真理亜さんにもインスタントコーヒーのおかわりを淹れた。

「はい、昨日の話は覚えていらっしゃいますか?」

「ええ。なんでも娘さんの行方が分からなくなっているとか」

 昨日、僕が帰宅した後にかかってきた電話らしかった。彼女は怠け者なので、午後五時を過ぎた後の電話を取ったというのは信じられなかった。

 あまり鳴る機会のない電話だから、親かと思って出たんだろう、と勝手に推測した。

 青崎さんの話によると、今朝になっても連絡一つないという。

「今までにそういったことはありましたか。親に無断で外泊するようなことは」

「いいえ、ありません。あの子はとっても真面目で素直な子なんです。そんなことはあり得ません」

 青崎さんは強い口調で言った。

「すいません。失礼なことを聞いてしまいましたね。それで、行方不明になっている塔子さんの写真は持ってきていただけましたか」

 真理亜さんが言い、僕は行方不明になっている少女の名前を知った。お客さんの苗字が青崎だから、青崎塔子か。

「はい、持ってきました。どうぞ」

 と言って青崎さんは塔子さんの写真を取り出して真理亜さんに手渡した。僕も後ろから写真を覗きこむ。落ち着いた感じの少女が控えめな笑顔を見せていた。

 髪の毛は黒で、肩くらいまで伸ばしている。よく言えばおしとやか、悪く言えば地味な感じだった。

 図書委員とかやっていそうだな、というのが僕の第一印象だった。確かに、親に無断で外泊するような感じには見えなかった。

「ありがとうございます。それでは、こちらは塔子さんを探す際に参考にさせてもらいます」

 その後、真理亜さんは青崎さんから塔子さんに関する色々な情報を聞き出す。交友関係、成績、部活動、通学路など。細かい情報が後に重要になってくることも多い。真理亜さんは話を聞いては何かをメモにつけていた。

「よろしくお願いします」

 おおよそ一時間ほど話をした後、青崎さんは深々と頭を下げた。

「大丈夫ですよ。塔子さんは必ず私が見つけ出して見せますよ」

 真理亜さんは一体どこから湧いてくるのか、自信満々だった。



 青崎さんが帰ると、真理亜さんは自分の席に戻り、大きく息を吐いた。

「あ~しんどかった。やっぱ知らない人と話すのは疲れるよね」

 真理亜さんは椅子に座ったまま大きく伸びをした。

「疲れたなあ。探すのは明日じゃダメかな」

「ダメに決まってるでしょ。さあ、探しましょう。もし本当に連続殺人事件にかかわっているのならば、一刻の猶予もありませんよ」

「それなんだけどね」

 真理亜さんは青崎さんから手に入れた写真をこちらに見せた。

「どう思う?」

「どうって……」

 普通の写真だ。別に不審なところなどどこにもない。

「いや、だからさ。この塔子って女の子。かなり地味でしょ」

「まあ、そうですね」

「例の連続殺人事件の被害者のこと、純は覚えてる?」

 僕は被害者の三人を思い出してみる。名前などは正直なところあやふやなのだが、顔などはニュースでも何度も放送していたから覚えていた。

「覚えてますよ」

「どんな感じだった?」

「明るい感じでしたね。言い方は悪いかもしれないですけど、遊んでいる感じというか」

 そこまで言って僕は、真理亜さんが言わんとしていることが分かる。

「被害者の女の子達と青崎塔子は雰囲気が全然違いますね」

「そう、そこなんだよね。今までの犯行を考えると、犯人は明らかに被害者の女の子を選んで殺している。被害者の三人みたいな子が、たぶん犯人の好みなんだろうね」

 真理亜さんは改めて写真を見た。

「青崎塔子は犯人の狙うタイプではない」

「つまり、塔子さんは事件に巻き込まれたわけではない、ということですか」

「その可能性は高いと思うね」

 真理亜さんは立ち上がるとドアへと歩く。

「疲れているけど仕方がない。仕事は仕事だ。でもその前に、どこかでお昼でも食べよう。探すのはそれからね」

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