第12話 “私の初めてもらってください”
お久しぶりです。こんにちは。
2週間ほどお休みしていたのですが、テストも終わり、現時点で返ってきたものも結構いい感じでした。
そんなわけで、また執筆スタートです( ´ ▽ ` )ノ
「ラン、わ、たしの、はじめ、て。もらっ、て、くだ、さ、い……?」
“私の初めてもらってください”
小ぶりな唇が動いて、それが1つの楽器のような美麗な声が喉を震わせ。熱を帯びた頬は、健康的な赤に染まり、対象に、不安を示す細い指は、病的とさえ言えるほどに白く透き通り。
そうして放たれたアマルティアの言葉は、俺の鼓膜を焼いて、体の奥の奥、そのまたずーっと奥の、芯の、核の部分を、熱く、煌びやかに燃やした。
あまりの衝撃に。あまりの感動に。耐え切れない興奮に。荒く汚い息を、努めて深く吐いては鼻の穴を広げて冷静な空気を取り込む。
そんな些細な努力も虚しく。昂った感情は、犇めき合う本心は。脳を渦巻く煩悩が。視界を焦がす激情が。喉を震わせ外気を突き刺す欲情が、言葉となって零れ落ちる。
「んはぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!」
頭を抱えて仰け反る俺を、心配そうに、はたまた驚いたように見ているアマルティア。視界の端が捉えたその表情は、ついに。
この天下のラノベ主人公千葉蘭の、理性の枷を喰い千切った。
……何故、アマルティアは、“初めてをもらって”と頼み、頬を赤らめているのか。何故主人公である俺が、かつてない至福の御言葉をいただき、えび反りの体を、心を、震わせているのか。
時は、昨日の夜に遡る。
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「と、そんなわけで、ランは、人間たちと会話をしていたように見えたのだ」
始祖じいの部屋にて。無駄に大きな椅子にちょこんと座ったアマルティアは、俺を指差しながら、明るい緑褐色の肌をした、気品あるゴブリン、始祖じいにそう言っては繰り返した。
「……き、きき、気のせいだよきっと、ティア。疲れてんのさ、お前」
止まらない汗が脇の下を冷やし始めた俺は、自由に泳ぎ回る目を制御できず、加えて表情筋の使い方が記憶の引き出しから忽然と消失し、歪んだ笑顔を顔面に貼り付けていた。
そもそも。仮に俺が人間語を話せるとして、彼らゴブリンは信じるのか?生まれてまだ5年。アマルティア以外の人間と会ったのは、件のリム湖での一度きり。
それゆえ、当たり前だが、俺が人間語をすでに習得している、とは誰1人考え及ばないはずである。アマルティアは、俺が人間と言い合っているのを、もっと言えば俺の言葉に人間が反応し、返事をして、会話らしきものが成り立っていた現場に居合わせていたので、どう考えても俺が人間語を話せるのだと信じて疑わない。
始祖じいは難しそうな顔をしていた。そりゃそうだ。未だ先日の興奮や混乱の余韻が残り、アマルティアはデタラメな事を必死に話しているのではないか。そう思えるほどに荒唐無稽かつ非現実的な話題なのだ。
箱入り息子的立場の5歳児が、他種族語を使いこなしていた。
意味不明だ。ありえない。……俺じゃなければ、な。
しかし始祖じいは。俺の持つ未知なる可能性には、まだまだ底が無いと常々思っているらしく、そんな心情もあって。
「……そうだな。ランが人間語を……。なるほど。これはまた、いつもいつもお前は我々を驚かせて飽きさせんものだ」
「そうではない、始祖様。ランが凄いという話ではなく、一体どういうことなのだと問うているのだ、私は」
「な、なぁ。やめてあげなよティア…、そんなに責めてやるなよ、始祖じいも涙目だぜ…?」
「誰が涙目だ。……しかし、嘘をつくのが絶望的に下手なランがこの様子なら、それは事実のようだな」
「だから最初からそうだと言っているだろう」
「何の話だ?俺は何も知らないぜ?ここはどこ?俺はどこのイケメン?」
「……イケメン、とは何かわからないが。ラン。アマルティア。そろそろお前たちには“ある事”をさせようと考えていたのだ」
そう言って机の引き出しを開けて、何かの書類の束をあさり始める始祖じい。顔を見合わせた俺とアマルティアは、同時に首を傾げて、とりあえず、正面を向いた。
「特に、アマルティア。お前だ」
ドサッと。大きな本を4、5冊机に叩きつけるように置いた始祖じい。その後、数枚の紙も添えて、続けた。
「お前は、もうわかっている通り、人間だ」
「……っ」
ピクリと。アマルティアの肩が動いたのを見た。表情は変わらないが、真一文字に結んだ口の中で、歯を噛み締めているのが、強張った頬から伺える。
少し、強く握りしめられたアマルティアの手を一瞥して、始祖じいは続ける。
「……で、あるからして。お前には、そろそろ『人間語』を、覚えてもらおうと考えていたのだ」
少しの静寂の後。アマルティアは心底不思議そうに首を傾げて、俺を見る。俺は、肩を竦めて目を閉じつつ、首を左右に軽く振る。「俺にはわからん、わからん」とでも言いたげに。
「まぁ、お前自身、このパトリダから出る気は、今のところはないのかもしれんが。そういうことではない。お前が外に。外の世界に。出たいだとか否だとかでなく、否が応でもお前が人間として生まれたからには。今後、絶対的に、お前の人生において人間語を必要とする時が訪れる」
「……私は。人間であることを、恥ずかしく思っている。このパトリダで、自分1人が異種で、異端で、違和であることに、ある種の嫌悪感さえ覚えるほどに。そんな私の心を知っていて、尚。始祖様は私に、“人に染まれ”と?」
「あぁ。そうだ。人に生まれたのなら、いつまでも、どこまでも、“人であれ”、アマルティア」
「…………しかし」
「しかしもクソもねぇよ、ティア。始祖じいは、お前の未来を確実に緻密に見据えて、その上でお前に言ってるんだ。人間の言葉を習得しろ、と。そんなの俺でもわかる。重ねて、俺も同意見だ。お前は、ティアがティアでいる限り、人間語はいずれ話せるようにならないといけない」
蒼い目を微かに細めて、白く細い指を胸の前で組み合わせたアマルティアは、可愛らしいため息の後、諦めたように口角を上げて、椅子に座り直した。
「……まぁ、いい。そうだな。私はいつかこの身が人のものであることに起因した何らかのトラブルに巻き込まれるのは火を見るよりも明らか。それに対して効果や意味があるのかはともかくとして、覚えてもいいかしれない、人間の言葉を」
決断の早さに関しては目を見張るものがあるアマルティア。即決即断。俺と始祖じいが自分のために必要だと言ってくれているのだから、ここで断るという選択肢は悪手だと確信したらしい。
安心したように深く息を吐く始祖じいは、流し目で俺を見て、嫌ったらしく口角を上げた。
「そ、こ、で、だ。ラン。ずっと、忙しい合間を縫って、アマルティアに人間語を教えようと思っていたが、その手間が省けた。この意味がわかるな?」
「………ん?ってことは、始祖じいも、人間語を話せるのか?教えるつもりだったんだろ?」
「ああ、無論だ。そうだな、こんな風に。『この言葉が聞き取れているなら、お前はアマルティアに人間語を教える資格があるようだな』……どうだ?」
「おおー。すげぇ」
「……全く何を言っていたのかわからなかったぞ?始祖様はデタラメに何か喋っていたのか?」
「いやいや、そんなことはない。ちゃんと言ってたぜ?『アマルティアとランは仲良しだから、いつか結婚するんじゃなかろうか』ってな」
「……けっ、こん?」
アマルティアはその小さく形のいい唇に細い人差し指を添えて、軽く首を傾げた。可愛いすぎる。
実は、このパトリダにおいて、結婚という制度は存在しないが、それに酷似したものは存在している。愛し合った者同士は、それぞれの“血”を酌み交わして、血縁を誓い、絶対に自宅以外のどこかで繁殖行動及び生命の営みを行う。
正直ゴブリンのベッドシーンってどうなの?とも思わなくないのでその辺の描写や表現は控えるが、そんな風に、人間とある程度似た流れで、愛を誓い合う。
まぁ結婚と言えば、結婚、かな。
その辺、アマルティアは興味がないらしく、詳しく知らないので、“そっち方面”の話にはとことん疎い。というか『結婚』という言葉が存在しないのに俺がその言葉を使った時点で始祖じいに人間語を使えることがバレたし、アマルティアに何も伝わらなかった。
わからないが、別にどうでもいいといった風に、アマルティアは椅子を押し下げて立ち上がる。
「まぁ、よくわからないが。とりあえず。早速教えてくれないか?ラン。早く話せるようになって、次に人間に会った時には意思の疎通をしてみようではないか」
「その意気だ。……じゃあ、始祖じい。俺らは部屋に戻るよ。これから毎日、寝る前とかに教えてあげてれば、そのうち話せるようになるだろう」
「そうだな、任せたぞ」
始祖じいは、せっかく出した分厚い本と紙の束を今一度引き出しや本棚にしまい直して、机に向かって何か仕事を始めた。
そして、部屋に戻って、まず始めに教えた言葉が。
“私の初めてもらってください”
ちなみに意味は教えてない。
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「な、なぁ。ラン。今のは一体全体どういった意味の言葉なのだ?私は今お前に何を言ったのだ?どうしてそんなに興奮しているのだ?」
俺の肩をもって、上手く発音できていたか不安なのと、少しの恥ずかしさで顔を赤くしたアマルティアは、そう言ってくる。
でも、こんなときに肩なんてもたれたら。あたし、あたし……!
おかしくなっちゃうううううん!!!
……はい。まぁ、そろそろ真面目にいきましょう。
「まぁ、うん。そうだな、今みたいな言葉は、誰かと結婚するときにとっておけ……ん?あ、ティアって男じゃん」
1人でぶつぶつと声を漏らし思案する俺に、アマルティアは。
「ん、そういえば。ラン。今も言ったが、その、『けっこん』というのは、なんだ?」
「ああ。結婚ってのはな、この人と、ずっと一緒にいたいなって、この人が自分の中で、本当に大事で特別で、この人が好きだと、そう思った人同士が、するもんだ。……中々いいだろ?」
「……なるほど。しかしそれならば、私はランと、けっこん?とやらをしてもいいぞ。私はお前とずっといたいし、お前が好きだぞ?」
男前すぎやしませんか。惚れるわ。
いやぁ。前回の異世界?であるラブコメの世界では、好きな女の子に囲まれて見事なハーレムラノベ主人公してたけど、もう、あれだな。ダメかも。男を好きになりそう。
「……あ、ありがと。俺も好きだぜ、ティアのこと」
いやいや。違うから。これはLikeでLoveではないというか。親愛みたいな、なんかさ、ね?読者様?読者様ー?
「……ふ、ふふっ」
小ぶりな口を手で押さえて、アマルティアは笑い出す。
「ど、どどどしたの?」
「いやぁ、何だか不思議だなと。面白いなと思ったんだ。こうして、好きだと、思っていることを伝え合うだけで、こんなにもココがあったかくなる。こんなにも安心する」
アマルティアは、“ココ”と言いながら、俺の胸に手を当てる。やばい。何がやばいって、ほら、やばい。
「……随分と胸が暴れているようだが、どうかしたか?」
「あ、あはは。まぁ、好きな人と一緒だと、ドキドキするもんなんだ」
首を傾げていたアマルティアは、その言葉を聞いて、今度は俺の手をとる。そしてゆっくりと自分の胸に、俺の手を当てて、前のめりになって。至近距離で、整った顔立ちの美少年が、穢れを知らぬ純白の目線を俺に注ぎながら。
「……どうだ?」
と。訊いてくる。
まぁ、こうしてアマルティアの胸に手を当ててる俺の方がドキドキしすぎて、手のひらの感覚がねぇ。したがってアマルティアの胸の鼓動はうまく感じられないが、とても貴重で喜ばしい経験になった。ありがたい。
結局。この日は俺の精神状態が荒波だった、というか、理性的にキツかったので人間語授業はおしまい。不服そうなアマルティアを横目に、そそくさと寝床に入って、目を閉じた。
なかなか、眠れなかった。
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翌朝。しとしと、と。小雨の降る、肌寒い日だった。
湿気でベタつき、額や頬に張り付く蒼く長い髪を、嫌そうにどけるアマルティア。今度、ヘアゴムの代わりになるものを作って、髪の結び方を教えてやろうかな、なんて思った。
俺らは、やけに静かな空気に言いようのない不安と違和感を感じ、とりあえず始祖じいの部屋に向かった。
中庭、王宮の周り。どちらも不気味な静寂を放っていて、無意識に俺たちは急ぎ足になっていた。
始祖じいの部屋に近づくにつれて、ささやかに聞こえてくる動揺を孕んだ色とりどりの声。
ドアの前に立ち、確信する。どうやら想像以上に多くのゴブリンが始祖じいの部屋に集まっているようだ。何を話しているのかわからないが、時折空気を震わす怒鳴り声や泣きそうな声。
罵声や悲鳴は含まれず、ドア越しに伝わるのは純粋な混乱と焦り。
一体、何が起こってる?
と、俺が色々と考えている間に、勝手にアマルティアはドアを開ける。しかもタチが悪いのが、少しだけ開けて覗いてやがる。
アマルティアは純粋で誠実な人間だが、以外にもイタズラ好きで、こういう姑息なことも躊躇わない。子供らしい一面をしっかり持ってる。
そんなアマルティアは、依然、絶賛沈思黙考中の俺の上着の袖を引く。どきりとして、顔を合わせると、視線で部屋の中に入るよう促される。
そろーりと、部屋に入ると、勢揃いした幹部ゴブリンに囲まれて、机に肘を立てて手に顎を乗せた始祖じいと目が合う。咄嗟に、ピズマが口を開くが、始祖じいは片手を上げてそれを制する。
「案ずるなピズマ。……私も、彼らに対して残酷な判断を下すつもりは毛頭ない。……が、しかし、現状必要な“戦力”として、彼らは信頼に値する。お前もわかっているだろう?」
「……し、しかし」
「今は、そんな場合じゃないだろう。現に──仲間が殺された」
それでも食い下がるピズマに、眉間に深い溝を作った始祖じいが言う。ピズマも俯き、一歩下がる。
そして、始祖じいは俺とアマルティアに強く、しかしどこか後悔の念を残した視線を送りつつ、厳かとはかけ離れた、どうしようもなく頼りない細い声で、言った。
「戦争が、始まった」
読みに来てくださって本当にありがとうございました。次話からも、よろしくお願いします。