第22話 騒がしい日常、再び。
デート編より短く、普段より長いという微妙な文字数です。今回は。
「蘭くん、連休明けでなおさらキツイのもわかりますが、紀伊ちゃんと傘音ちゃんを待たせてますから、ほら!」
声が聞こえる。霞んだ意識を誰かが呼ぶ。でも。多分、というか、確実に。俺を呼ぶその本人も。俺を見ていた、いや、読んでいた読者様も。その両方が想像しているより、何倍も。俺は、元気がない。
テンションダダ下がりである。正直もう学校なんて気分じゃあない。
「蘭くん!いい加減にしてください!」
「ぎゃぁぁぁあっっ!!」
悲鳴は上げたが別段、暴力を振るわれたわけではない。普通に掛け布団を取り上げられた。
4月とはいえ、まだまだ春の陽気、なんて言えるほどの温かさは実感していない。
俺が思うに、春って、冬の余韻を残していて、春全体をみてみれば、寒い割合が多いのではないかと思う。秋は風も強ければ、ほぼ冬みたいな気温だし、やはり寒い。冬は議論するまでもなく寒い。そう考えると、四季のうち、三季は寒いのではなかろうか。
そんな話はどうでもいい。
朝の寒さに凄まじい嫌悪感を覚えつつ。俺は制服にエプロンの紗江の後ろをついていく。リビングに下りて、用意された美味しそうな朝食に、幾分か目が覚めた頃には、事の重大さに気がついた。
本当に遅刻するかもしれん。時間がない。俺は着替えながら朝食を貪るという果てしなく行儀の悪い粗悪な姿を披露しつつ、時計の秒針と不毛な戦いを繰り広げていた。
昨夜、良い雰囲気になったことなど、既に覚えていないのか、あるいはあえてそう見えるよう演じているのか、紗江は、昨日の話を持ちかけてはこなかった。単に忙しそうな俺に気を遣っただけかもしれないが。
しかしながらやはり。俺としては一世一代の大勝負くらいのつもりで臨んだ夜だったというのに、お預けどころの騒ぎじゃない終わり方をしたため、未だ胸の奥に悔しさや悲しみがはびこっている。
歯を磨き終わる頃には、紗江はもう玄関にいて、俺は大きめの声で先に行くよう言った。走って追いつくから、と。
大体にして往々、この台詞(追いつくから先に行け)を言い放った者は追いつくことなくただ遅れて登場するか、みんなの心の中で生き続けるという結果になるのだけれど。
そうして。最低限の自分の持ち物の整理をして、玄関に走る。驚いたことに、この世界では、寝癖がつかない。さすがライトノベル。セットしなくともそれっぽい髪型に留まる自分の不可思議な髪の毛に混乱することもしばしばあったが、今はその恩恵におんぶに抱っこだ。
こういう細かい主人公補正が、主人公らしさや格好良さを支えているのだろう。
逆に。逆にというか、一方、で言えば。こんな話をするのは失礼というか、広い視点で言えばセクハラになりかねないし、本来言うべきでないかもしれないが。
あえてラノベ主人公が口に出そうじゃないか。
鍛えてもいないのにある程度見栄えの良い身体を保ち続ける俺のように、いや、それとは少し違うが、女の子のキャラも。
……ムダ毛とか、生えないじゃん?
いや、わかってる、みなまで言うな。こんなこと、口に出さないのが礼儀であって、ましてやハーレムの渦中にいるやつがそういう方向に思考をもっていくのも良くないのは重々承知している。
けどさ、ね?あんなスベスベの肌が1年中続くとか本当に人間かよ、って、思う女性の方もいると思うんだ。少なからず、男である俺でさえ疑問だったから。
昔、アイドルだからトイレには行かないみたいなふざけたこと言い張る方々がいましたけど、そういう次元じゃなくて。
なんだか下世話な話になってきて、俺の好感度が地面に突き刺さってそろそろ地盤に到達しそうなほどだとは察しているが、もう少し言わせてくれ。
あいつら、風呂とか実際いらねぇんだよ。だっておかしいじゃん、汗すっごいかいてるのに、髪の毛が顔に張り付いたりしてないし。汗の役割どうしたよ。
風が吹いてるなかで話していると、髪の毛が口に入って、何か髪の毛食べてるみたいに見えることもない。
そういった、現実の、ちょっとかっこ悪い現象が、起きないんだ。あやつら女子キャラには。……なんかムダ毛とか髪の毛とか毛の話みたいになってるけど。
俺もさ、現実世界にいた頃はさ、すね毛とか生えてましたよ?普通に。あの、わかるでしょ、サッカー部の男子みたいな、あんな感じまではいかないけど、しかしながらちゃんと男の足って感じの。
でも、今の俺には、男が使う言葉かはわからないが、ムダ毛が一切ない。ワキ毛もない。そしてさらにトンデモなのが、どんな不摂生な生活だろうと、ニキビができない。どういうことだ。おい。
こういった、“リアルとの差”って、やはり実際に体験してみないと、凄さにイマイチ気づかないのではなかろうか。
閑話休題。
玄関で靴を履いた俺が勢いよく外に出ると。果たしてそこには紗江がいた。
曰く。
「ドアの鍵閉めなきゃいけないじゃないですか、私が」
とのこと。ですよね、そりゃあ。
鍵を閉めた紗江と小走りで十字路に向かう。昨日も思ったが、やはり別の道を通れば通学時間を大幅に短縮できる。わざわざ一度十字路に行くのは、無論俺たちに会うためだろう。
身勝手にも、もうこのまま十字路に行かずに学校に直行してやろうかな、とか最低な思考を巡らす頃には、十字路に着いた。
下を向きつつも、いつも俺の来る方向をチラチラ見ている傘音と、ソワソワしながら手で顔を、頬を、グニグニしている紀伊ちゃんに。
「ごめんっ!また遅れた!本当にいつもごめん!」
謝りつつ。
「そして、重ねて申し訳ないけど、急ごう!」
登校を促した。自分で遅刻しておいてこれだから俺はクソ人間なのだが、それが許されてしまうこのラノベ主人公という立場は、もはや甘やかしに他ならない。
「え!?何でまた紗江っちと一緒なの!?しかも今回は紗江っちの家の方向から来たし!」
「ら、蘭!一体何があったらこうなるのさ!」
2人がなんか言ってるがとりあえず遅刻はしないようにしようぜ。入学式の日に怒られてから、つまりは高校初日から、俺と紗江には厳しいんだよ、担任の先生。
歩くのは遅いのに走るのは速い紀伊ちゃんを先頭に、俺たちは学校へと再び走り出した。
入学式の朝にも思ったが、紗江は胸がバカでかいくせして、走るのが得意なのだろうか、かなり速い。普通は大きな胸は運動の妨げになるはずなのに。しかも傘音も速かった。
お恥ずかしいことに1番足が遅かったのは俺だった。
いや別に、俺だって足が遅い方じゃないはずなんだ、なにせ現役高校生の身体だからな。しかし、体の使い方を知らないからどうしても上手く走れない。
ちくしょおおお!とか叫びながら最後尾で必死に走り、なんとか学校到着。
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午前中の授業も紀伊ちゃんの走りくらい早く終わった。
これもラノベ世界特有の時間の流れなのか、本当に早い。授業、といった、“物語に関与しない”時間は、時間の流れが現実のそれと比べものにならない。
昼休み。チャイムと同時に立ち上がったヒロイン3人がそれぞれ異なる面持ちで俺の前に並び出た。
怒り心頭紀伊ちゃんは。
「私は頭が冴える方ではないけれど、さすがにわかるよ!らんらん!紗江っちの家にお泊まりでもしたんだろう!けしからん!」
紀伊ちゃんの様に怒りたいところだがどうしても照れてしまい微妙な顔の傘音は。
「3日連続デートっていう名目上、僕たちは正々堂々と各々でアピールしてきたのに、まさか、紗江とあんなことやこんなことをしてくるなんて……」
ニコニコ笑顔の紗江は。
「今日は瑞樹ちゃんからのお弁当がないと知っていましたので、ちゃんと私が用意しておきました、さあ、食べましょう!蘭くん!」
真顔で俺は。
「3人同時に話しかけられても話が入ってこねぇよ……常人ならな!俺はしっかり聞き分けたぞ。その上で答えよう。まず紀伊ちゃん、君の推測通りだ、俺は紗江の家に泊まった。しかしけしからんと糾弾される謂れはない」
次に傘音と紗江を見て続ける。
「そして傘音、確かにデートなのにお泊まりはどうかという意見もその通りだけれど、しかしそこはお家デートってことで許してはくれないか?そしてまず紗江とあんなことやこんなことはしていない。最後に紗江、お弁当、ありがとう。いただくよ」
「おいおい、らんらん。誤魔化したって無駄だぜ。紗江っちがらんらんの家に泊まったときは紗江っちがらんらんのベッドで寝たんだろう?それならどうせ今回はらんらんが紗江っちのベッドで寝たに決まってる!」
「僕は、そういうのはまだ早いと思うんだ!男同士ならともかく!」
全然納得してねぇよ、2人とも。傘音もちょっとおかしいし。
「よし、そうだな。2人にはキチンと真実を話そう。……昨夜の悲劇を」
「悲劇、ですか?」
紗江が首を傾げる。……やはり覚えてないのか。
「ああ。昨夜、俺は紗江と同じベッドで寝た」
「ほらやっぱり!らんらんめ、紗江っちにえっちなことをしたな!」
「落ち着け。そうではないから悲劇なんだ。……確かに、凄く良い雰囲気にはなったんだ。紗江は両手で俺の頬を触れながら、こう言った。『蘭くん……私を……』と」
「蘭!やっぱり僕の言った通りじゃないか!男同士ならまだしも、紗江にそんなことを……不純だ!」
「お前はなおさら落ち着け。俺だってそのときは覚悟を決めてしまうくらいの気持ちだったさ。しかし、そこで悲劇が起きた……」
「……私、何かしましたっけ?」
「むしろ、何もしてくれなかったんだ!……紗江が……寝ちゃったんだ!」
「え?」
「紗江が、紗江が……!これから本番だろうってときに!急に!可愛らしい寝息を立てて寝てしまったんだどういうことだ説明してくれおおい!」
「わ、私、あの後すぐに寝たんですか?」
「寝たよ!ふざけんな!俺だって男なんだ!こう、色々と大変なことになってたのに!良いところでお前は!」
「らんらん君こそ落ち着け!今君はえっちなことをさせてもらえなくて怒ってるのか!?そ、そんな男だったっけ!?」
「うるせぇ!俺は怒ってるんだ!だって、だって…2日連続で、紀伊ちゃんと、傘音とキスして、それで、テンションも絶好調で!」
「待って、蘭!なんで言うのさ!」
「傘音っちもしたのかい!?そんな!私は一歩リードしたと思ってたのに!」
「……私も蘭くんにキスされましたよ?」
「紗江、そこで対抗するようならばなぜ昨日はその先にいかなかったんだ!」
「らんらん!もう、なんていうか!セクハラだよ!?」
「いいじゃん、両思いだし!この3人!」
「なんて堂々とした三股宣言……」
「おい傘音、人聞きが悪い。別に三股してるわけじゃない。俺は、紀伊ちゃんが好きで、傘音が好きで、紗江が好きなだけで、別にそれぞれに浮気してるような最低な男じゃない!」
「どうでしょう……怪しいラインだと思いますが……」
「怪しいというかアウトだらんらん!これはさすがにアウトだ!」
「じゃあどうすればいいんだ!ハーレム主人公はどうすれば正解なんだ!?」
「ハーレム主人公って、ラノベじゃないんだから、蘭」
「事実だろう!」
「否定はしませんけどね」
「事実上確かにハーレムだと思うけど……それを口に出すのか、らんらん!?」
「……もう勢いに任せて言っちゃうからな!ずっと思ってたこと!」
「蘭がハーレム主人公なら、僕はどの位置にいるんだろう……まだ3番目ヒロインなのかな……」
「俺は!3人とも!大好きです!どうすればいいですか!?」
「「「………」」」
「おい!!」
3人とも解決策は思い浮かばないようです。顔を赤らめて俺から目をそらさないで何か言ってくれ。
「まぁ、解決策が無いわけじゃないんだけれど、その前に。紗江っち。君、『蘭くん……私を……』って言ったってことは……君はそういうつもりだったのかい?」
紀伊ちゃんが紗江に尋ねる。紗江は一歩後ずさると、斜め下に俯きながら、小さな声で言う。
「ま、まぁ。そういうことを蘭くんとしたくなかったと言えば、嘘になりますけれど……」
「アウトー!紗江っち!デートなんだよ!この3日間、私たちが競ってたのはデートなんだ!その、え、えっちなことじゃないんだ!」
「僕だって色仕掛け有りなら作戦を変えてたよ!」
「え、そうなの?」
「蘭は黙ってて!」
「いやぁ、別に色仕掛けというか……」
「往生際が悪いぞ紗江っち。素直に認めて謝るならば今回は許してやろう。さもなくばらんらんを惑わせたその大きなおっぱいを揉みしだく!」
「いいぞもっとやれ」
「蘭!そういう流れじゃないよ!」
「……うぅっ。み、認めます……。私は、わざと薄い生地のパジャマを着て……ボタンをわざと1つ多めに開けて……やたら近い距離で蘭くんをその気にさせるようなことを囁いて……あわよくば……せっ」
「そこまで言わなくていいけど!!認めたね!」
「はい……ごめんなさい……」
「なぁ、またやり直さないか?昨日の夜くらいから」
「蘭……急に笑顔にならないでくれ……」
「けしからん……。もう、このふしだらなハーレムを終わらせるには、1つしかないよ、らんらん」
「お、あるのか、解決策。重婚か?」
「違うわい!……決めるんだよ」
ついに紀伊ちゃんが、禁断の解決策を口にした。
「──誰か1人だけを!」




