第16話 新ヒロイン丸眼鏡ちゃん
※書式を修正しました。
──お兄ちゃん、起きて、ほら。
遠くで瑞樹の声が聞こえる。微かに開いた目にはボヤけた景色が映り込む。
ああ。朝、なのか。今日も朝から最愛の妹である瑞樹が優しく起こしてぶへえぇぇえぇええ!!??
「ぶへえぇぇえぇええ!!??」
声に出た。
「な、なんだ!?空襲か!?」
飛び起きると、制服の上にエプロンを纏った天使……間違えた、いや、間違えてはいないが、瑞樹がいた。
「空襲って……いつの時代の話?いいからさっさと起きて」
呆れた、といった風に瑞樹が言う。
腹が痛い。どうやら腹を殴られたらしい。もう、乱暴なんだから。
というか、いつの時代の話って……戦争が繰り広げられてた時代って、そんなに昔の話ではない気がするけどな。人それぞれか。
「いつも起こしてくれてありがとう、世界一の瑞樹よ」
感謝を込めてそう言いつつ、立ち上がって部屋を出る。
「世界一の瑞樹って……そんなに瑞樹って名前の人沢山いるかな」
なんかぶつくさ瑞樹が言っているが、とりあえず無視してリビングへ。
「あ、そうだ」
俺はケータイを手に取って、紗江と紀伊ちゃんにメールを送る。
『すまん、また寝坊した。先に行っててくれ。俺は瑞樹とラブモーニング。』
よし、これでいいだろう。完璧だ。
──あ、そうだ。読者の皆さんこんにちは、千葉蘭です。
えっとですね、前話の終わりに、瑞樹の部屋に侵入した俺が見てはいけない感じのものを見て、兄妹の間に、悪いというか、暗い雰囲気が流れているのではないのか、とお考えの方もいらっしゃったと思います。
確かに、昨日の夜はひどかったですよ〜。何を言っても、瑞樹は何故か落ち込んでますし、笑ってはくれるのですが、明らさまな作り笑いでしたし。あーあ、関係にヒビが入っちゃったかな?なんて思ったりもしましたよ。
しかしながら、こんなに可愛い妹がいるのに仲良くできないなんてそんな洒落にならないことにはなりたくない、そんな思いで、ある行動に出たんです。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
──前夜
「今日も美味しいご飯をありがとう瑞樹。将来、俺と結婚してくれないか?」
先ほどの一件は、気に留めないではいられないものではあったが、引きずっていても仕方がないので、自分なりに切り替えて瑞樹と接することにした。
「……うん。……そうだね」
瑞樹はそう答えた。やったぁぁ!!!結婚だぁ!!プロポーズ大成功!……なんて、ここで思えるほど俺もイカれた野郎じゃあない。
目に見えて他のことを考えている。そもそも目も合わせてくれない。文字通り俺なんて眼中にない。
恐らく、“それどころではない”のだろう。言い方を変えるならば、俺に構っている場合ではない。のだろう。
無視するならきちんと無視してもらわないとしつこく攻めていく俺みたいなタイプはどんどんめんどくさくなるぞ。
「瑞樹ー、瑞樹ちゃーん、家はどこに建てましょう?やっぱり海の見えるところが良いわよね〜?」
「うん……」
ダメだ。全然構ってくれない。寂しい。
結局、夕食が終わっても瑞樹は常に何かを考えている様子で、たまに「うーん」とか唸りながら悩んでいたり。
俺には瑞樹が何を考えて何に悩んでいるのかが想像もつかつかないんだけれど。
やっぱり、強行手段だな。もうこれしかない。むしろ、“考え事なんてしてる場合ではない”と思わせる行動に出よう。
俺は、瑞樹は風呂に入っているとき、鍵を閉めないことを知っている。そこまではさすがにしないだろうと、俺への警戒を解いているのだ。そう、さすがに風呂場には入ってこないだろう、と。
……そんなわけなーいじゃーん!!もう、いつ突入してやろうか、と。毎晩考えていた。
といっても今までにそこに至らなかったのは、本気で軽蔑されてしまったら、俺は積極的に自害しかねないので、手を出せずにいた、というのが現状だったからなのだが。
しかーし!今日の瑞樹はもう傍から見れば、茫然自失といった風で、周りが見えていない。それならば。むしろそれだからこそ。今日がその日だろう。
もし、俺が風呂場に突入して、まだ瑞樹が俺を気にも留めないようならば、もうセクハラ街道直線コース。身体を素手で洗ってやろう。
あるいは、俺の行動により、瑞樹が正気を取り戻す、というか我に帰る。
そうした場合俺がどんな仕打ちを受けるかはもう想像するだけで俺の初号機が縮こまるので止めておくが、まぁ、どんな目にあっても仕方がない。
それなりのリスクを負わねば。瑞樹の意識は取り戻せないだろう。
虎穴に入らずんば虎子を得ず、というか、風呂場に入らずんば瑞樹を得ず。という感じ。
さぁ行こう!夢の彼方へ(白目)!
シャワーの音が止んだ。今瑞樹は湯船に浸かっているのだろう。よし。作戦開始。
ゆっくりと、忍び足でお風呂場へ。風呂場のドアをあえて勢いよく開ける。
「どーん!おっと、誰か風呂場に入ってきたぞ?誰だ?俺だぁー!!」
瑞樹を見ながら言う。しかし残念なことに瑞樹は俺に背中を向けた状態で湯船に浸かっていた。
「いやぁ、瑞樹ちゃーん。今日はなんか暗いからねぇ。お兄ちゃんが世間一般的にも認められた健全なコミュニケーションという名目で慰めてあげよう」
言いながら、俺が風呂場に一歩足を踏み入れた瞬間。
バッシャァーン!
轟音、同時に天井まで届くか否かまで高く昇る水飛沫。
視界の端で立ち昇った水柱に、視線を、意識を、奪われる。
思わず瑞樹を見失う。……見失う?こんな狭い場所で?
おそらく、瑞樹は俺が入ってきたその瞬間に水面を思いっきり叩き、大袈裟に水飛沫をあげた。そして俺はまんまとそれに意識を持っていかれて、その隙に瑞樹が浴槽から消えていることに気づかなかった。
今、こうして考えているのも、おそらく1秒〜2秒の間のできごとだ。
なぜだろう、こんなに短い時間で色々なことが考えられる。例えば、子供の頃の思い出とか。なにこれ、走馬灯?
俺が脳みそフル回転で思考しつつ、水飛沫から意識を、視界をそらして、正面に向き直る頃には、瑞樹の掌底打ちが俺の顎を捉えていた。
──起きた。
脱衣所に倒れていた俺は、不自然に股間に掛けられたタオルを見て、察する。
ああ、作戦は、どうなっただろうか。俺が気絶したということは、瑞樹が考え事をやめて俺には対処したという事実に他ならないから、作戦として、目的の1つ。俺に意識を向ける、というのは成功か?
ならば、あとはあの暗い雰囲気を拭い取ってやればいいだけのこと。
俺は立ち上がる。顎が痛い……。くぅ〜、やるなぁ、瑞樹。ほんとに格闘家目指せば世界を狙えるんじゃなかろうか。
俺は着替えてから、リビングに行くと。
「……起きたんだ。お兄ちゃん、何?さっきのは。いくらなんでも、警察呼ぼうか迷うレベルの行動だったよ」
不機嫌そうな瑞樹が、ジト目で言ってくる。いちいち可愛いのがずるい。
「何って。瑞樹が元気ないから、励ますというか、慰めようとしたんだ。他意はない」
胸を張って言う。しかし瑞樹は。
「……嘘だ。この前、私の裸見たいって言ってたじゃん」
……言ったけど。素直なのも考えものだな。
「それとこれとは違うぞ。一緒にお風呂に入りたいっていうのは本当だ。でも今日の荒業はあくまでお前を思っての行動だ」
「私を思っての行動が、妹のいる風呂場に裸で突入することなら、こっちから願い下げだよ。やめてよそんな気遣い。変態の所業だよ」
「変態の所業じゃない、恋愛の衝動だ。」
「妹相手に恋愛とか気持ち悪い、やめて」
「俺が好きなのは妹じゃなくて、瑞樹だから」
「真顔で言わないで、身の危険を感じる」
「本気だからな」
「やめて。 」
「瑞樹は俺のこと嫌いなのか?」
「……別に嫌いじゃないけど」
「そうか、じゃあ結婚しよう」
「……はぁ。……なんかバカらしくなってきた。色々悩んでたの。もういいや、なるようになればいいし」
「ん?ああ、もういいのか?いつもの瑞樹に戻ってくれるか?」
「別に今日もいつもの私だったつもりだけど……確かに、誰かさんが私の部屋に入ってくれたおかげで色々と考えなきゃいけないことが増えて大変だったのは事実だね」
「……悪かったよ、でも、本当なら寝てるお前にセクハラするつもりだったのに、部屋に侵入してベッドに飛び込むくらいで済んだんだから。マシだと思ってくれ」
「何それ気持ち悪い」
……みたいな会話をしているうちに、いつもの調子に戻っていた。
──そして今現在に戻る。
瑞樹に起されて、急いでご飯を食べる。今日も本当に美味しい。
時間がもうやばい。ほぼアウトだが、走っていけばどうにかなる。……緊急用の自転車を買おうかな。
「じゃあ行ってくる、瑞樹は今日は学校午後からなんだっけ。午前中とかに絶対部屋に男とか呼ぶなよ!そいつを間違って殺してしまうかもしれないからな!」
「はいはい、そんなことしませんよー。行ってらっしゃい」
俺は家を飛び出す。全力疾走。
走る。走る。走る。はし……え?
いつもの十字路が見えてきたのだが。
女の子がいる。1人で。
ん?おかしいな、紀伊ちゃんと紗江には先に行っていいと知らせたし……。
よく見ると、その子は紗江でも紀伊ちゃんでも無かった。
黒髪ショートのその子は丸眼鏡を落としてしまったのだろう。足元にある丸眼鏡に気づかず、オロオロしている。
何より特徴的なのは、スカートの中である。いや、決してパンツが見えたわけではない。というか見えるわけがないのだ。
そう、スパッツ、といえばいいだろうか。膝上まである長いスパッツを履いている。これはこれで昂ぶるものがある。いいな。
足元に散らばっているのは丸眼鏡と、何冊かの本だ。大方、あの子も急いでいたのだろう。そして本を落として拾おうとしたら今度は眼鏡が落ちた、といった感じだな。
俺は十字路で立ち止まる。多少上がった息を抑えて、落ちている本を拾う。その子は俺を見上げている。
「ほら、遅刻するぞ、早く」
俺も急いでいるので、急かすようにそう言った。
「う、うん」
その子は近くにある本を拾って鞄に入れていた。おれも拾ってあげた本を渡して、最後に丸眼鏡を拾う。
「行くぞ、もう眼鏡も拾ったからっ。……もう間に合わないか?いや、まだ走れば……」
「あ、あの、ありが……」
俺はかなり焦っていた。遅刻にはかなり厳しいのだ、担任が。怒られたくない。
もうかなり平静を保てていなかった俺は、お礼を言おうとするその子を抱き上げて走り出す。
入学式の日に紗江にやったのと同じく、お姫様抱っこだ。
あのときは、スカートの短い紗江をお姫様抱っこして、道行くサラリーマンたちに紗江の太ももを晒しながら登校しよう、という裏の意図もあったのだが。
今抱きかかえているこの子は長いスパッツを履いているので恥ずかしい思いはしないだろう。
「わ、わわっ。あのっ、ひゃっ……!」
眼鏡もない上、見知らぬ男に抱えられて運ばれているんだ、混乱するのもわからないでもない。
走る、走る。
結局、俺たちはチャイムと同時に教室に駆け込んだ。
下駄箱で大急ぎで履き替えるとき、眼鏡を渡したら、その子も2組の並びから上履きを出していたので、同じクラスなら丁度良い、と思って、またお姫様抱っこをして階段を駆け上がった。
そして、そのまま教室に駆け込んだ。ああー。入学式の日を思い出す。
丸眼鏡ちゃんは、顔を真っ赤にして、俺の胸に顔を埋めている。どうやらかなり恥ずかしいらしい。なんかごめんなさい。
クラス中の視線が集まる中、丸眼鏡ちゃんを下ろして、席に着く。
予想はしていたが、やはり。丸眼鏡ちゃんは隣の席に座るよう、先生に言われていた。
まだ息が荒々しいまま、紗江と紀伊ちゃんを一瞥すると。
「蘭くん、今朝は瑞樹ちゃんとラブモーニングじゃなかったんですか?」
「なんで女の子をお姫様抱っこで連れてくるんだ。らんらん」
2人とも冷たい目でそう言ったので。
「……なんかごめん」