第7話 怨蝶
受験生の夏は厳しいっす。辛いっす。うっす。
灰色の山を下る。山や森に詳しくない私たちは、下手に下山しようとして危険な目に遭うのを恐れていたけれど、男の後をついて行ったら難なく下山できた。
男の言う通り、山の麓には村らしき集落があり、そしてその村は四方八方を山に囲われている。
まるで山で蓋をして、閉じ込められているかのように。
細い畦道を抜ける。両脇の田んぼは小さく、収穫もされていないようで、稲が伸びきって鎌首をもたげている。少し先には背の高い柵があり、村全体を円状に囲っている。柵の奥、村は雑草だらけで、今にも崩れそうな木造建築の小屋が並ぶ。
穴の空いた屋根や壁を見て、なおさら人が住んでいないように思えた。しかし、柵の門をくぐり、村の道を歩いていると、時折、足音や声が周りから聞こえて、人がいるのはわかった。ただ、姿を見せてくれない。
「こっちだ、俺の家」
「武雄! お前、何をしておったんだ!」
男の家に案内された直後、その家の中からヒゲの長い老人が飛び出して来た。私たちを先導していた男は“武雄”と呼ばれ、老人に凄い剣幕で怒鳴り散らされている。
その光景に唖然としていると、他の家からもぞろぞろと人が現れた。恐る恐るでて来たという感じで、私たちを見るその目は決して友好的なそれではなかった。
「村長、あまり無理をすると……」
「……わかっておる。武雄、一度家の中に入れ、ここでは皆に迷惑だ」
「爺ちゃん、でも俺は」
「御託はいい。黙って来い」
武雄さんは、村長と呼ばれた老人に連れていかれた。私と傘音ちゃんは顔を見合わせ、謎の村で立ち尽くしていた。
すると。
「出ていけ!」
「この村から去れ!」
突然、少し離れたところにいた村人たちが、私たちに石を投げつけてきた。しかし、気のせいかもしれないが、この世界に来てから、動体視力が跳ね上がった気がして、というか身体能力も飛躍的に上がっている気がする私にとって、飛んでくる石を避けることくらい造作もなかった。
あんな山の道無き道を何時間も歩けるほど私は体力がないはずだったのに、下山を終えた今も、別段そこまで疲れているわけでもない。よくわからないが、人間として、生命体として“強く”なっている気がする。
それに傘音ちゃんなんて、石を避けるどころか、飛んでくる石を全て叩き割っている。「わ、すごい」と呟きながらの行動なので、おそらく傘音ちゃん自身も驚いているのだろう。こんな人間離れしたことができるなんて、むしろ少し怖いくらいだ。
そんなわけで、身体能力が気がつけば上がっていた私たちに石は1つも当たることなく、やがて村人たちはそんな私たちを恐れ始めた。
「化け物だ……」
「武雄が化け物を連れて来やがった!」
酷い言い草だ。私はともかく傘音ちゃんはこんなに可愛いのに。まぁ化け物呼ばわりされて然るべき行動だったけれどもね、さっきの私たちは。
嫌な空気になって来たと思った矢先、村長が家から出てきた。
「そこの2人、ついて来なさい。話がある」
「あ、はい」
招かれて、家の中へ。立て付けの悪い扉をゆっくり閉めた。薄汚れた椅子に座る。今にも倒れそうな本棚を漁る村長の後ろには、ふて腐れた武雄さんが座っていた。
村長は、埃をかぶった分厚い本を、埃だらけの机に強く置いた。煙のように舞う埃に、思わず顔をしかめる。
「事情は聞いた。お前さん、『神託者』なんだろう?」
「いえ、その、うぃざーど? っていうのよくわからなくて」
「しかし毒キノコを食べたこの嬢さんを神法で助けたのだろう?」
「神法……っていうのもわかりませんが、無我夢中で私はただ……」
「……何も知らぬのか?」
頷く。あの鏡の前に立って、『加護』というものを授かったということは、人間領ミミルにいた時に聞いて、知っている。しかし私がどんな加護を授かったのか、今の私にはどんなことができるのか、というのは皆目見当もつかない。
『神託者』という単語は、“神様”の言葉の中にもあったため聞き覚えはあるが、何を指す言葉かはわからない。
呆れた様子の村長がゆっくりと説明をしてくれた。
どうやら、神法というのは、大気中に含まれる神気というエネルギーを、神託者と呼ばれる神法使いが形を変えて発動するものらしい。傘音ちゃんが、「魔力を使って魔法を使うのと同じ?」と聞いたら、原理としては同じだが魔法を使えるものなど2人しかこの世界にはいないと言う。
そして『神託者』というのは、加護の1つで、神気を神法に変換する力を持つ者だと言う。比較的強力な回復神法のみを使うものを『天使』、回復神法だけでなく様々な神法を操るのが『神託者』、と、言うらしい。
「でも私たち、今日、加護を授かったばかりで、神法の使い方とかわかりませんし」
「……無我夢中で使えるものでもないと思うが……そうだな、神法詠唱の本を貸してやる」
「詠唱?」
「基本的には、この詠唱というのを唱え、最後に“加護神ベータの名の下に”という言葉を鍵に、神法を発動する。上達してくると、最後の一節だけで発動できる者もいるらしいがな」
「なるほど、これを覚えればいいんですね」
人の傷などを治す神法もいくつかある。これを私は傘音ちゃんに使ったらしい。しかし、病を治すという神法は探しても見つからない。
「病を治す神法は、回復と奇跡の2つの詠唱を合わせるものだ」
「はぁ。難しいですね」
「紗江、できそう?」
私は苦笑いを浮かべた。長い詠唱を唱えつつ、神気を集めるために精神を集中させなければならないというのは、素人が簡単にできるものではないだろう。
私が少しでも暗記しておこうと、詠唱文を睨んでいる間に、傘音ちゃんは村長と話をしていた。
「この村で流行ってる病は、神法で治せるものなの?」
「うむ、神法は神の力。たとえ正体不明の流行り病としても治せる」
「あとさっき、村の人たちに石を投げられたんだけど、ここって一般人は立ち入り禁止の村なの?」
「……呪われておるからな。我々は。部外者を巻き込むわけにはいかないんだ、通常は」
「呪い?」
「怨蝶という怪物がこの世界にはいる。気付かぬうちに怨蝶に呪われた人は全身に紫色の痣ができる」
村長が服の袖をまくると、腕には爪で引っ掻かれたような模様の痣が広がっていた。
「人間領ミミルで、怨蝶に呪われると、その者は誰も立ち入れない秘境に強制的に送られる」
「それこそ流行り病みたいに、遠ざけて、隔離してってこと?」
「うむ。その秘境というのが、この村だ。不治村という名前も、怨蝶が死なない限り治らない呪いにかかった者が集まる村にぴったりだろう」
「でも救済措置を取らないで、呪われた人たちをこの村に閉じ込めるって、対応が悪すぎるよね。怨蝶の討伐作戦とか行われなかったのかな」
「空を飛ぶからな、捕まえるのも一苦労らしい。これまでも何体か殺し、呪いから解かれた者もいるが、この村のみんなを呪った怨蝶はまだ生きている」
「じゃあ紗江が流行り病を治しても、この村の人たちはここから出られないの?」
「当然だ。私がここにお前達を招いたのは病を治してもらうためであって、この村から出たいからではない」
「……でもこんなところに閉じ込められて、嫌でしょ?」
「儂はもう何十年もここにいる。これまで何度か、我々を呪った怨蝶がこの村を訪れることもあったが、その恐ろしい姿を見るたびに、この呪いは死ぬまで解けないのだと思ったものだよ」
「……どんな呪いなの? そういえば」
「怨蝶に呪われた者と、その近くにいる者には不幸が訪れる。現にこの村では流行り病で多くの命が失われた」
「だから私たち、出ていけって言われたのか。わざわざこんな村に来るくらいだから、人の形をした“不幸”だと思われて」
「まぁ、そういうことでもあるな」
この村の話が怖すぎて詠唱文が頭に入ってこない。覚えられない。怨蝶って何? 蝶々?バタフライ的な可愛い虫とかじゃないのかな。
この村にあまり深入りするのは良くないのかも知れないけれど、流行り病だけでなく、その“呪い”もどうにかしてあげられたらいいのに。……さすがに欲張りすぎだろうか。
と、そんなことを思ってしまったからだろうか。それともこの村の呪いゆえの不幸だろうか。最悪の言葉が耳に入った。
「村長大変だ! またヤツが来た! ──怨蝶が、この村に!」
家の扉を勢いよく開けた村人の男性はそう言ってすぐに隣の家に向かった。村が騒がしくなる。
村長は外に出て叫ぶ。
「全員、地下の防蝶壕に走りなさい! 早く!」
「え、え、あの」
「君達も早く! 呪われてしまうぞ!」
真っ先に走って逃げた武雄さんに続き、村長に引っ張られて私たちは外へ。地下の防空壕ならぬ防蝶壕とやらに向かおうとした、その時。太陽に雲がかかったかのような影が頭上を覆った。
見てはいけないと思うと、少し見て見たくなる。そんな安易な興味本位で、私は少しだけ頭上を見上げる。
「──あれが、怨蝶……?」
思わず立ち止まった。隣で、傘音ちゃんも空を見上げていた。開いた口が塞がらない。私はてっきり見た目はただの蝶だと思っていた。しかし、今もこの村の上空を飛び回るそれは、まさしく──怪物。
真っ赤な目、黒い羽。紫色の、村長の腕に刻まれていた痣と似た模様が、その巨体に浮かび上がっている。羽を広げれば10メートルはある巨大さ。確かにシルエットだけなら蝶々。しかしあの巨大さとおぞましい色。明らかに危険だ。
「鱗粉に触れるな! それが呪いを生む! 走れ!」
村長の再びの怒声に引っ張られ走る。ひたすらに下を向いて走り、古いハシゴを降りて薄暗い地下の防蝶壕に逃げ込んだ。そこには怯えきった村人たちの姿。私と傘音ちゃんを見てさらに悲鳴をあげた。
そもそも流行り病に侵され、弱り切った体に鞭打ってここまで逃げて来た村人たちにとって、この状況は絶望以外の何でもないのかもしれない。
息の荒い村長が私たちに言う。
「……お前たち2人はまだ呪われていない。後生の頼みだ、神法で病だけでも治してもらえないか。終わったらこの先の地下道を通って山の方まで逃げてくれ」
「逃げ道があるんですか?」
「あぁ、いつか逃げてやろうと、作ったものだが、呪われた我々がこの村から出ても行く場所はない。どうせならお前たちが利用してくれ」
今も微かに聞こえる羽の音。怯える子供や女性を見て、私は頷いた。村長の家から持ってきた神法詠唱の本を開く。
「皆さん、私はこの村に蔓延する病のみを治します。呪いについては何の力にもなれません。どうか、許してください」
不幸中の幸い、この村の村人は今、全員この防蝶壕に集まっている。全員の病を治すのにはちょうどいい。
──地面に置いた本の詠唱を読み上げる。異常に長い詠唱。正面にかざした両手に光が集まる。気を抜くと、手のひらに集まった光が逃げてしまう感覚。読み上げるだけで汗が滲む。これは相当な練習を積んでからやるべきものだと直感できた。
明るくなった防蝶壕の中。まだ私を信用していない村人たちの視線の中、様々な動揺に心を揺さぶられないよう、深く息を吸う。
大切なのは願うこと。この人たちを助けたい。私にしかできないなら、それを成し遂げたい。祈りは届く。神様はいるのだから。
「──加護神ベータの名の下に」
5分以上の詠唱を終えた私の最後の言葉。神の言葉を聞き、神の教えを聞く『神託者』のみが司る、神への言葉。
薄い黄緑色の光の粒が、泡のように弾けて消える。その飛沫を浴びる村人たち。淡い温かさが地下空間を満たした。
「……治ったのか?」
光が消えた後、武雄さんが呟いた。村人たちも、自分の体を見て首を傾げている。
「あれ? し、失敗しちゃいましたか……?」
「いいや、体調が良くなっている。熱もない。気絶するかと思うくらいここまで走るのは辛かったけど、今は特に何ともないな」
「……よかったぁ」
武雄さんの言葉に、私も、村人たちもほっと胸をなでおろした。
達成感と喜びを分かち合おうと、傘音ちゃんの方に振り返るが、しかし。
「……傘音ちゃん?」
薄暗くても何も見えないわけではない。しかし、私の近くに傘音ちゃんの姿はなかった。
直後──轟ッッ……! という凄まじい風のなる音、そして刹那を押しつぶす破砕音。頭上、つまりは地上から轟音が響いてきた。
揺れる防蝶壕。パラパラと砂が落ち、立て続けに鳴る音に村人たちが悲鳴をあげる。私も頭を抑えてしゃがみこむ。
「な、何の音だ!」
「村は……村は無事なのか!?」
何かが吹き飛ぶ音。大破する音。地上で何が起きているかわからないが、村が無事でいるとは思えない音と振動が続く。
地震のような揺れと、恐怖心を煽る轟音は、少しして止んだ。恐る恐る顔を上げた私たち。……これも、怨蝶の呪いが起こした何らかの不幸だろうか。そう思いつつ、今にも泣き出しそうな私の隣で、武雄さんが呟いた。
「──痣が、消えてる」
自分でも何を言っているのか、何が起きているのか理解しきれていない様子の武雄さんは、その体を見回して、再度言った。
「全身の、痣が消えてる!」
立ち上がった武雄さん。村人たちも各々の体を見回す。そして、一瞬の静寂を経て。
「「「うぉおおおおッ!」」」
男たちが叫んだ。
「治った! 呪いが解けたぞ!」
「これでまた普通の生活に戻れる! こんな村に閉じ込められていた地獄みたいな生活も終わる!」
「助かったんだ! 俺たち!」
呆然と立ち尽くす私をよそに、村長を含めた村人たちは飛び跳ねて喜んだ。
ふと、私は傘音ちゃんの存在を忘れていたことを思い出し、まさかと思ってハシゴを登った。灰色の光。眩しさもそこそこに、目を開けたそこに広がっていたのは。
「村が……」
民家はぺしゃんこに潰れ、土壌はひっくり返り、田んぼはかき混ぜられたかのような有様。地面のいたるところが捲れていて、悲惨という他には言葉がなかった。
防蝶壕に傘音ちゃんの姿はなく、そして地上はこの様子。私は嫌な予感がして声を張る。
「傘音ちゃーんっ! いますかー!」
まさか、これに巻き込まれてはいないだろうかと、悪寒が走る。こんな地上にいたならば、命なんていくらあっても足りない。
「傘音ちゃぁぁあーん!」
「はいはーい」
「…………あれ?」
最悪の展開を予想し、泣きながら叫んでいた私。その隣には、何の変哲も無い無傷の傘音ちゃんが立っていた。
「どうしたの紗江。みんなの病気は? 治せた?」
「……え、あ、はい。何とか」
「さすが紗江。やったね」
「あの、傘音ちゃんは、どこで何を……?」
「ん、僕? 僕はね──」
傘音ちゃんは背後を指差す。私が振り返ると同時に言った。
「アレ、倒してた」
──捲れ上がった地面の上に、千切れた布みたく倒れ臥す漆黒の巨大な蝶の姿を見て、私は思わす、「うぇふひっ」と下手くそに笑うのだった。
ありがとうございました。
勉強の合間に少しずつ書いた話だったので、読み返して「文が意味不明だな」って自分でも思いました。
すみませんでした!