第壱話 《恋われた月の銀車輪》 part3 【不穏】
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帝國と皇国が和平を結び、此処《高天原》が和平親善領として、特別行政区の自治権を得てから、近代化を促す土地開発を推進した。
新世界歴一〇〇〇を目処に提出された《千年都市化計画》は、《帝國ツルギ》の西南西に位置している、面積約三千平方㎞のこの島に、五つの都市と各都市に五つの区画を設ける国家事業だ。
北東に位置する第一都市《草薙》。
南東に位置する第二都市《天照》。
南西に位置する第三都市《月弓》。
北西に位置する第四都市《鳴尊》。
中央に位置する第五都市《龍宮》。
各都市には[A・B・C・D・E]の区画が、更に細かな番地で分けられており、道路も公共の交通機関と個人が所有する車両とで、《法人内周区》と《個人外周区》に分かれている。
五つの区画には夫々《それぞれ》、通名が用意されており、それは区の在り方を共有認識化するものであった。
A《住宅区》、B《学制区》、C《観光区》、D《商業区》、E《生産区》。
勿論、此の名称は徹底されるほど絶対のものではなく、現に観光区には商業目的の宿泊施設が数多く建っている。
例えばそう、《1‐C‐7》。
高天原第一都市《草薙》の観光区・第七番地には、昼を四季折々の花壇で彩り、夜を投光器や電飾で彩った、優雅な夜景を楽しめる高級宿泊施設が在る。美しい左右対称の双子塔建築は、圧倒的な存在感で訪れた観光客を魅了する建物だった。
地上約百mの二十八階建て。その最上階には洋十六帖の広々とした間取りに、最高級の家具を揃えた優待室が設けられている。
市民の平均月給が一泊で無くなるその部屋に、試験を通過した彼等三人の男は居た。
椅子に腰掛けて分厚い本を読むのは、紳士服の上から白衣を羽織った初老の男。
寝台ほどに大きいソファで寝ているのは、髑髏柄の私服を着た体格の良い若者。
壁に背を預けて爪を磨いているのは、神父の服に身を包んだ長身痩躯の三十代。
恰好こそ不調和だったが、共通して彼等は悠然と構えていた。それぞれの性格と日常が伺えるような過ごし方は、けれど微塵も隙が見当たらない。
此れから報酬《100,000,000$》の依頼について説明があるというのに、誰一人として気負った様子はなかった。
流石は試験を突破した猛者達だ。
燕尾服と黒い絹帽を着用して、右目に単眼鏡を掛けた老紳士は、頼もしい面々に此度の作戦の成功を確信していた。
無理もない話だ。此の面子に《フォルカー=クラウ》が加われば、高天原の政府中枢に喧嘩を売っても勝てる可能性さえある。
正直、過剰戦力だろう。
獲物の素性を考えれば、確かに報酬金額の高さは頷ける。しかし情報によると《彼女》の味方は、たった一人だと聞く。
彼女の《血》を知れば納得出来る話だが、やはり兎狩りに獅子四頭は、気が引けないといえば嘘になる。
相方はその一人を随分と警戒しているようだが、所詮は多勢に無勢だろう。
犯罪仲介組織に身を置き三十余年。帥仙でも古株の彼は、白い髭を撫でながら窓の外を見た。眼下に広がる街並みが、此れから狩場へと変貌する。哀れな兎は、決して逃げ延びることが出来ないだろう。
神よ。傍観者である自分を赦し賜え。
そっと目を閉じた男は、心の中で十字架を切り冥福を祈る。
不意に背後から声が掛かったのは、彼の懺悔が終わった頃だ。
「終わりましたよ。《梟》さん」
「御苦労さまです。《鼠》さん」
気が付けば後ろに立っている反っ歯男に、《梟》と呼ばれた同業の老紳士は眉一つ動かさない。歳こそ離れているものの、《鼠》とは仕事上の相方として、彼此れ二年近くの付き合いがある為、突飛な出現にも慣れていた。
周囲の面子も気にしていない。何処吹く風で思い思いの趣味に興じている。
が、流石に《鼠》の放った次の言葉には、反応せずには居られなかった。
「皆様。四人目の仲間が決まりました。甲級資格の万屋《沢角景時》を倒したのは、トゥーレ師団の大隊長《フォルカー=クラウ》様です」
有名な傑物の参加に、集った者達は静かな驚きを見せる。
全員、その道では名の知れた者ばかりだったが、有名であり勇名という点に於いて、フォルカーの名は群を抜いていた。
「では、此れで面子を確定させて頂きます。今から依頼を承諾するか否かの、最終確認を行いますので、承諾される方は名前を呼ばれたときに、返答をお願いします。尚、依頼内容の説明は、承諾後とさせて頂くことを、御了承下さい」
そこで一旦話を区切った《鼠》は、三人の顔を確認しながら言葉を続けた。
「《斎馬師門》様」
「引き受けよう」
読書をしていた白衣姿の男が答える。
「《杞堂亮臥》様」
「ああ。任せろ」
空寝をしていた私服姿の男が答えた。
「《来栖礼司》様」
「勿論、受けます」
爪を磨いていた神父姿の男が答えた。
元より断られる可能性は考えていなかった《鼠》だが、改めて全員の同意を得れたことで、少しだけ安心していた。
彼は《梟》と違い、今回の面子を『過剰戦力』とは考えていなかったからだ。
此の四人ならば、作戦の成功は確実。しかし油断すれば失敗も十分に有り得る。
相手は警戒はしてもし足りない存在。
その辺りの情報も含めたうえで、彼等三人に依頼内容を説明するため、《鼠》は懐から黒い封筒を取り出すと、封入されていた一枚の写真を取り出した。
「有難う御座います。それでは皆様、此方の写真を御覧下さい」
立体映像ソフトを起動させた携帯端末を机の上に置き、更にその上から写真を置くと、光学的な映像がその場に立体化された。
長く伸ばした桜色の髪と、真ん丸に澄んだ空色の瞳。十歳前後の可愛らしい少女が、白いドレスに儚げな印象の表情で、痩せた笑みを見せていた。
「彼女が今回の獲物。名前は《アルカーシャ=セイクレッドギアン》。皇国の第三皇女と言えば、依頼人と報酬の大きさが理解されると思います」
犯罪仲介屋の原則として、依頼人を明言することは出来ないが、流石に此ればかりは知らせておかなければならない。皇族の血筋に手を出すということは、帝國と皇国との和平調停に、亀裂を入れる行為だからだ。
そのような真似を、一体誰が肯定してくれるのか。
『第三皇女』という部分が重要だ。
依頼人が帝國側ならば、狙うべきは第一皇女か第二皇女のどちらかだ。何故ならば、血統が違う。第三皇女の母親は側室であることは、政治に詳しい者ならば常識である。
故に三年前まで、第三皇女はその存在を、皇国より秘されていたのだ。
皇国にとって都合の悪い存在。
ならば依頼人は十中八九、皇国に於いて高い身分を持つ者だ。
そのことを《鼠》は、含みのある言い方で暗に伝えた。
「二つほど、訊いても良いかな」
「どうぞ。師門様」
小さく手を挙げて《鼠》に質問するのは、本を片手に話を聞いていた師門だ。
「つい最近まで、三人目の皇女に関する情報は、皇国より秘匿とされていた。やはり都合の悪い部分があったのだろうが……それでも年齢と生誕日は明かされている。私の記憶違いでなければ、十日後の《元日》で第三皇女様は、十五歳と成られるはずだが」
写真の少女はどう見ても、聞いた歳より五つは若い。
「おいおい、偽者かよ」
遠慮のない口調は亮臥の言葉だ。そのように稚拙な不手際を、帥仙の代理人が行うわけはないのだが、彼からしてみれば関係のないことだった。
しかし亮臥もまさか、否定されないとは思わなかっただろう。
「かも知れません」
「あ?」
笑顔で告げる《鼠》に、亮臥は眉を顰めた。
が、続く礼司の言葉を聞いて、納得の表情を見せる。
「それはつまり、彼女の《担当》が、我々四人という事ですね」
「御明察です。礼司様」
そう。写真の彼女が偽者でも本物でも構わない。第三皇女を殺す目的で動いているのは、自分たちだけでないことを、三人共が理解した――ところで、師門が口を開く。
「では、最後にもう一つ。此れだけの面子を揃えた真意を、是非教えて頂きたい」
「確かにな。《フォルカー=クラウ》まで誘ったなら、向こうも相当な化け物たちを雇っているんだろう。でなけりゃ、依頼人は臆病者の玉無し野郎だ」
師門の問いに同意する亮臥は、しかし本当に口が悪い。
とはいえ、黙っている礼司や質問した師門にも、同様の思いがあった。
少女を手に掛けるという罪悪感は全くないが、今日まで犯罪に手を染めて、生き残ってきたという自負がある。
例え報酬が高くとも、それが獲物の立場によるものならば、己が出向く意味が無いではないか。狩人が四人もいるとなれば尚更だ。
自分の実力を軽んじられている。
抱いたその思考が間違いであることを、彼等は質問に答えで理解した。
「此方で掴んだ情報によりますと、第三皇女の護衛はたった一人。ですが、その一人が厄介極まりない……有名ですので、皆様御存知であられるかと思います。
――《九衛鈴鹿》。化猫の異名を持つ《特級資格》の万屋です」
ざわっ。
彼等の間に響動めきが走る。
当然だろう。戦場での勇名は扠置いて、知名度でいえばあの《フォルカー=クラウ》ですら足元にも及ばない。
《特別高等依頼請負人》。
仰々しい正式名称は、仲介役に万屋協会ではなく、高天原政府を通さなければならないためだ。それも原則的な協会とは違い、此方の制約は絶対的にである。
特級資格の彼等が安易に動く真似を、国が禁止しているのだ。
故に万屋でありながらも、彼等の扱いは公務員だ。例え何もしなくとも、毎月国から高額の給料が支払われる者達なのである。
実力は勿論折り紙付き、だが、過去に関わった案件や経歴、登録された神威の記録に至るまで、全てを抹消・極秘とされた為、彼等六人の力を本当の意味で知るものは少ない。
即ち、相手にとって不足はなかった。
「「――――!」」
眼の色が変わる。兎狩りに興じる野良犬の目から、強敵に挑む獅子の目に。
誰一人気負いはない。頼もしい限りである。
「ところで《鼠》さん。フォルカー様は今何方へ」
「生存者の確認をすると、海上列車の中を散策していましたが。時間的にも、此方へ向かっているのではないかと思われます」
「ふむ。念のため観ておきましょうか」
左目を閉じた《梟》は、神威を発動する。単眼鏡に現れる『視』を示す神咒。其れを通した彼の右目は、神威力に応じて世界の全てを可視化する事が出来た。
神威【広目太虚】。
定めた方位と距離に、意識が吸い寄せられてゆく。間に在る物を全て透過して、《梟》の瞳は目的地を捉えた。
海上に敷かれた線路の上で、炎に包まれる列車は殆ど残骸に近い。周囲の線路も粉々で、どうにか原型を留めている状態だ。
恐らく乗客に生存者は皆無だろうが。
様子がおかしいと、彼は直ぐに気づいた。
フォルカーが神威を使用する旨は予め聞いている。乗客は皆殺しだろうとは、《梟》も予測していた。しかし【煌竜爆裂】の火力ならば、神威の行使は一度で良いはず。
沢角景時の神威【石眼呪縛】の効果を鑑みても、結論は同じだろう。
にも拘らず、列車の破壊状況からは、最低でも三回以上の神威が行使されたことが伺えた。
戦闘の痕跡だ。
恐らくフォルカーは《鼠》と別れた後で、何者かと戦ったのだろう。
そして、その結果は。
目を凝らして、列車の残骸を見渡す彼は、遂にそれを見つけてしまう。
「……馬鹿な」
溢れた驚愕の声とともに、ゆっくりと後退する足は制御できない。
背後の壁に凭れ掛かるようになった《梟》は、震える口唇で己が見た現実を告げた。
「――《フォルカー=クラウ》が……死んだ」