第弐話 《竹藪焼けた籠の鳥》 part2 【円卓】
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高天原では一般的に住宅区以外で、個人が家を持つのは難しい。
他区で生活する者は、寄宿舎や住み込みなどが殆どだが、けれども本当の富裕層な特権階級には、家を持つ裏道が存在している。
あまり知られてはいないが、観光区に建つ巨大な泊施設の多くには、昇降機に表示されている階よりも、下が存在していた。
他区における《地下住宅》の所持は、特権階級の裏社会的象徴である。
今日、斎馬師門、来栖礼司、杞堂亮臥、の三人は、依頼人の招きにより、その地下住宅へと訪れていた。
扉を開けて左右の脇へと退いた、《鼠》と《梟》の二人は、彼等が入室したのを待って、静かに扉を閉めた。
来客を感知して自動で灯るのは、天井から吊るされた豪華な装飾電灯。部屋の中央には円卓があり、椅子が四脚用意されていた。
最も豪華な椅子には等身大の人形が座っており、喉に巻かれたチョーカー型音波装置から、若い男の声が発せられた。
「掛けてくれ」
尋常ではない圧力を音源越しに感じる。
心臓を鷲掴みにされた感覚は、己の生殺与奪を掌握された感覚だ。
だというのに、表情を崩さない面々は、やはり潜り抜けてきた修羅場の数が違うのだろう。
「察している者もいるだろう。私が君達の依頼人だ」
若くとも支配者の資質を感じる気配は、流石にお国柄といったところか。
師門よりは年下だろうが、亮臥よりも年上だろう。恐らくは礼司と同年代ではないかと思われる。
人間の倍以上生きると言われている、彼等の存在を思えばこそ、声から想像できる年齢に違和感はなかった。
「では、誰か説明を頼めるかい?」
三人が席につくと、早速人形が彼等に訊ねた。
向こうの質問は、時計塔で止めを刺さなかったことへの追求だろう。
手を抜いたのではないのか、と向こうは質問しているのだ。
説明役に最も相応しい者は、やはり作戦を立案した彼。
礼司と亮臥の視線が師門に向けられる。
「時計塔の件ならば、単に時間的な問題だよ。長引かせれば、公安や軍部も顔を出すだろうからね」
「君達三人ならば、楽勝だろう」
「冗談を言っちゃいけないな。フォルカー=クラウを破った可能性のある人物だ。九衛鈴鹿の行方も分かっていない。確実を期すなら退くべきだ」
もしかすると三対二、最悪三対三となった可能性もある。
石橋を叩いて渡る心構えで行かなければ、と師門は説明した。
「先ずは下調べが肝心。折角此方には優秀な《目》があるのだから、ね」
そう言って師門は扉の方に視線を向ける。
すると《梟》が恭しく頭を下げた。
彼の千里眼ならば、久瀬龍也が何者なのか、周囲に協力者がいるのか、全て知れる。
「成程。では、戦い方について訊こう。一騎打ちの形をとった理由は?」
「牽制だよ。というか、九衛鈴鹿対策だ。あれを相手にするのならば、纏って闘うのは得策じゃない。一網打尽にされるのがオチだからな」
警戒するべき相手は結局の所唯一人。フォルカーを倒した何者かも十分に要注意だが、情報のない者を警戒しすぎてもしょうがない。
実のところ師門の中では、久瀬龍也への興味が大半を占めていた。しかしそれを語るわけにもいかないので、建前的には鈴鹿への警戒を理由としている。
「特級の【神威】を把握したのか。優秀な男だ」
「優秀だとも」
幸いにも、気付かれた様子はない。
嘘は言っていないので、気付かれるわけもないが。
すると依頼人は話を変えた。
「フォルカーが敗れた話も聞いているよ。重篤だが、命は助かったらしいね」
「彼が目を覚ませば、姿の見えない敵の姿が判るかもしれないな」
「くっく」
冗談めかすように師門が言うと、人形越しに愉快そうな声が聞こえた。
師門の言い回しで気になる部分があったのだろう。
「『姿が見えない』。確か帝國の噂で似たようなのがあったか」
「……姿無き帝國の英雄……」
今まで沈黙していた礼司の呟きには、何か執念めいた響きを感じる。
眉を動かした亮臥にも、また思うところがあるようで、興味なさげだった瞳にギラつく光が灯っていた。
「そう、それだ。可能性としては、どうなんだい?」
依頼人として、最悪の事態を彼らがどこまで考えているのか、それが気になっているのだろう。
「在り得ませんね」
即断したのも礼司である。三人の中で最も反応の強かった男が、依頼人の質問に否を突きつけた。
忌々しげな表情は、過去を思い出しているのか。
理由を訊ねる周囲の雰囲気を察して、礼司は言葉を続けた。
「大きく理由は二つ。そもそも奴は存在しません。帝國政府が作り上げた偶像ですから。そして最後の一つですが、今こうして私達が生きていることが、何よりの証拠でしょう」
「ほう。その心は」
興味深げな依頼人の声。
目を閉じた礼司は、椅子に凭れ掛かりながら呟いた。
「――仮に敵対したのならば、私達が束となっても、十分持たないでしょうから」
「それはそれは。随分と高い評価だな」
「評価しているのは《教団》に対してです」
帝國を滅亡寸前まで追い詰めた、世界最大の反政府組織。《逆十字に巻き付く九頭の蛇》が紋章は、今尚帝國中の人間に恐れられている、最凶最悪の象徴だ。
「《聖十字剣教会》か。確かに、彼の組織が壊滅した事は、今でも信じられない。お陰で私は賭けに負けてしまったよ。大損だ」
他人事な依頼人の言葉は、とても帝國の人間が口にする類のものではない。
帝國と教団の熾烈を極めた戦いは、自国民ならば茶化すことのできない話だ。
疑いを残していた三人の中で、依頼人の国籍が確定した瞬間だった。
気に入らない。
視線と態度に心情が表れていたのは、礼司と亮臥の二人だけだ。郷土愛など微塵も持ち合わせていない、研究者気質の師門だけが、表情を変えずにいた。
「それで、戦う順番は如何に考えている?」
話は再び変わる。
機嫌の悪くなっていない、師門が答えた。
「九衛鈴鹿に対して、最も相性が良いのが私です。先鋒と次鋒は譲りますよ」
牽制役の自分は最後に回ると、師門は残り二人を見た。
此れは既に話していた内容であり、彼等に驚いた様子はない。
寧ろ、さっさと会話を終わらせたいと、考えているようだった。
だからこそ、先鋒の男は立ち上がる。
猛々しくギラついた野獣の瞳で。