聖夜の前日
――いつも見慣れた景色が私には痛かった。
どいつもこいつもそうだ。楽しげで、いつも以上に笑顔だ。
私も胸が高鳴り、なんていう一種の聖夜病にかかった時期があった。
一年ぶりに地元へと戻ると、私は”それ”に吐き気を覚えた。
改札口出るまで、そのなんとなくの流れの感覚に私は旧来の携帯、ガラケーを開いて下を向いたままだった。いや、うつむいたが正しいのか、考えるのがめんどくさいほど、気分は落ちていた。
クイズ番組で正解すると恒例のあの音が鳴るのは知っていた。
まさかの改札口で鳴るとは予想だにせず、私はとおせんぼをする紺色のカバーを無理強いで突破する。
周りの目なんて気にしない。
こんだけ人いればバレないし、どっちみちイライラは収まらないのだ。
駅に着き、人ごみに身を任せ、緩い傾斜の階段を昇った。
改札口出るとバターの香ばしい匂いが鼻を刺激した。
気持ち、視線を上げるとパン屋のくせにカフェ屋もまざって、THE聖夜の飾り付けが大袈裟にされている。そして馬鹿の一つ覚えのように店前ケーキ販売。
私はとことん気分が陥っていたのか、交通量の多い場所で足を止め深いため息。後ろからは禿げたおっさんからのカバンアタック後、舌打ち。
何舌打ちしてんだよ禿げ、とでも吐き捨ててやろうかと思ったがやーめった。関わりがめんどくさい。
また、ため息。まるでRPGのボスクラスの溜め息。
鼻からも口からも、肩を落として息を吐くと白いもやが蒸発していく。
真っ黒のスーツにキャラメルのような色合いのダッフルコートの私が、カフェの隣のメガネ屋の鏡に映る。
我ながらつまらなさそうな薄化粧女の顔だな、と悲観した。
心のモヤモヤを取ろうとロングブレス。
カフェの店前ケーキ販売の真っ正面にベンチがある。
一心不乱に掛けより、椅子に着席。
「はぁ」
と、ショートブレス。少しだけ天を仰いだ。
自分でも分からないのだ。
このモヤモヤが。
心の中で何かが私を苦しめている。
それは去年交通事故でなくなった彼氏のせいだ、と思ってはいた。
死者を恨んでも釣り銭すら出やしない。
年末の事件をきっかけに逃げるように都内に上京し、就職して一年の四分の三が過ぎていた。
独り暮らし後、初となる実家に戸惑いは隠せない。
そんな両親も気を使ったりとお互い様だろうと思うが。
十八年間暮らしてきて彼氏なんて初めての聖夜だったのに、なんて去年の年末は思っていた。
今になっては馬鹿らしい。
どうしてこんなにも”私は恵まれていない”のだろうか。
負の連鎖に陥ってる私の右肩に温もりを感じて振り返る。
香ばしいバターの匂いとは違って、鼻を痛めるほど刺激するメンズ物の香水が漂う。
プリン? とも思わせる脱色気味の頭髪が一番最初に視界で捉えた。
なぞるように視界を落とすと下地が水色で白の水玉の柄のYシャツにねずみ色のカーディガン。そしてジーパン。
ふむふむ。誰だ?
「よっ久しぶり」
笑顔でそういわれて私は愛想笑いをして、
「久しぶりだね」
と、偽善者になった。
カラカラっと笑い、彼は私のすぐ隣へと腰を落とす。
ガラケーはダッフルコートの外ポケットにと吸いこまれて、私は彼と視線を合わせるかのように人間観察が始まる。
「結衣ちゃんすっかり社会人だね」
「そ、そうかな?」
垂れ目。童顔。細身。恐らく私の名前を呼ぶって事は学校同じか、あるいはバイト先で一緒だった人か。
まぁ、残念ながらバイトなんざしたことないが。
「俺なんてしがない大学生でさ、今年もこのクリスマスはバイトでさ」
「大変ですね、お疲れ様です」
大学生の友達なんかいないわよ、私。
そしてこんな香水プリン男知らない。誰なんですかね。
でもどこかで会ったような。
「結衣ちゃん」
「はい?」
いきなり立ち上がり彼は私と同じロングブレスを吐きだした後に頬を右手の人差指で掻き、
「俺の事覚えてないでしょ」
とのこと。衝撃だった。
『以外にバレない私の嘘』という本を出版しだすところまで嘘は上手だったこの私の嘘があっさりバレた。貴方様は能力者か。
「……すいません」
バレたら仕方ない。
ふ○ばし刑事物の犯人の崖上、動機披露を実践して同情誘いを試みようと言葉を紡ごうとすると、彼が先にクスクスと笑い、
「結衣ちゃん去年の卒業式も同じことしたからね」
なんて仰る。私の記憶の欠片って奴が少し過去を持ってきた――
――「今年のクリスマスは楽しみだよー! お母さん赤飯ね!」
田舎県田舎町といえば県民にフルボッコされるから何もいわないが、私の家の周辺は田んぼ、田んぼ、田んぼ。
県下一田んぼで溢れている町だと錯覚するぐらい田んぼだ。
そんな私の町にクリスマス前日、雪が降り聖夜”らしさ”を感じた。
私は団地で家族と暮らしていて、大好きなお母さんが居て、足臭いお父さんの三人家族。
クリスマス前夜のお父さんは仕事に明け暮れて帰ってきて、私の家恒例の前夜鍋パーティがお母さんの手によって催されていた。
だが今年だけは違う。
私に十八年間待ちに待った初彼氏が爆誕したのだ。
「はいはい分かってるよー」
お母さんの背中からは黄色のエプロンを着て、一緒に喜んでくれている雰囲気を感じ取っていた。
彼氏と付き合って八カ月。苦楽を共に歩んできて両親に見せびらかして半年。
お母さんと、あの足臭くて風呂のカビ並に頑固なお父さんも応援してくれている環境で私は幸せをかみしめていた。
時々喧嘩だってするけど次の日は仲直りしている。
最近は一秒一秒が大切でどうしようもないくらい彼に恋していた。
居間で寛ぎ昼食の準備をしているお母さんを尻目にコタツの上で振動する携帯電話。
着信相手は彼だ。
私は高鳴る胸を抑えて、平常心、平常心と深呼吸をして携帯電話をとる。
「尋? ど、どうしたの?」
電話の相手は私の彼、尋であった。嬉しさが身体の奥底から湧きあがってきて言葉に詰まる。
「結衣大丈夫?」
「べ、別に?」
クスクス、と笑う声が電話越しに聞こえる。
え? 私何かしましたか!?
「なら、良いんだ」
「いくない!」
わんっと吠えて食い下がる犬のように私は尋に食い下がる。
「でさ、夕方結衣の家に行く前にさ、良かったら俺の家に来ない?」
食い下がりもあっさり流された。これが三つ上の流し技なのか、と思う余裕はない私の心臓は彼の声を聞いただけで破裂寸前だった。
家ですか!?
「そう、家だよ」
「えっ!?」
心の声が漏えいしてたのか!? 訴えるぞ私。
「なんつーか、さ」
尋の声で分かる。妙に照れている。そういうことなのか。
「覚悟できている!」
そういうことが初めてだけど、薄いのはダメってお母さんが教えてくれた。
技はいらない。
手があれば十分。むしろ十二分ってお母さんが。
「ありがと! 助かる! これで両親や兄ちゃんに会わせられる!」
私は自然と耳が熱を帯びているのを感じていた。
今にも死にそう。穴があれば穴にこもりたい。
「結衣?」
「……なんでもない」
「まぁおやつの時間に迎え行くから待ってて――」
「うん」
「あのね、俺は結衣を全力で守ってやるから、他の男見るなよ!」
「え?」
「じゃっ――」
これが私と尋の最後の電話だと思わずは予想なんてできるわけがなく切ったのだ――
尋は交通事故で亡くなった、当然の訃報は彼の兄、からであったのだ。
私の家に兄が来て、そう告げられて、家に居たお母さんも泣いてくれた。
どうして私には涙が出ないのだろうか。
ただ彼との思い出が蘇ってくるだけで涙と言うのは出ていない。
こういうことって普通、涙でたりするはずだ。
私は私を疑った。
本当は愛していなかったのだろうか、と疑心暗鬼に。
「結衣ちゃん久しぶり」
瓜二つとは断然かけ離れていた。尋のほうがイケメンで対になる兄は太っていた。
最初はデブが私に何か用? とか口が滑りそうだった。
肌は綺麗で黒縁めがねも中々に似合う。
そんな人間観察より重要な事が尋のことだ。
私の家の居間のコタツで向かい合い座り、大学生あるあるのモノクロ風デザインのYシャツを着ているのがデブ、じゃなくて尋の兄だ。
私の心は乱れているのは確かなはずなのに冷静に口火を切った。
「本当に尋は……尋さんはなくなったんですね」
こんなの私の本心が聞きたいことじゃない。
いつも素直なほど愚問を重ねるわね、なんてお母さんに言われているが素直に聞きたいことが聞き出せないでいる。
自分でもなんでこんなことになったのかさえも。
私は兄の言葉がやはり素直に入ってくるわけが無かった。
頭がぼーっとしてただ時間が過ぎていって、結局分かったのは……。
『私の彼、尋はトラックとの衝突で車体が乗り上げてきてそのまま潰されて、即死。トラックの運転手も意識不明の重体で生存率はわずか』
私は聖夜の前日を呪った。
なんで、こんな辛い思いをしなくてはいけないのか。
なんとも惨めな気分になり、すべてをなげだしたくなった。
それでも学校は就職のために通い詰めた。
最初の一週間は吐き気と下痢、トラックをみるだけで身体が痙攣をおこして何回も搬送された。
精神科で精神状態の不安とだけ診断されてリハビリを指示された。
私を繋ぎとめてくれたのは高校卒業後の一本の電話であった。
尋の兄からの電話だ。
「近所のカフェに行こう」
私の頭には自分の兄への回答は思い出せないが言葉だけが今も頭に鮮明に残っている。
――「久しぶりだね結衣ちゃん」
「すっかり高校卒業しました顔だね」
「俺はしがない大学生だから今年の冬休みはバイトでさ」
「俺の事覚えてないでしょ」
「いいよ、謝らなくて。尋の大事にしていた写真よかったら預かっていて貰えないかな」
少しでも尋の欠片を貰えた私はどうしようもない感情が、モヤが少し、取れた気がしたのだ。
「――結衣ちゃん?」
耳元の声に私はうつむいていた顔を上げた。
夢のように流された淡い感情にまた心が苦しくなった。
そして目の前に居るのは私の亡くなった彼、尋の兄であることに気付いた。
少しばかりの目もとの涙をダッフルコートで拭い、
「すいません」
と切ない気持を抑えて謝る。
「尋はさ、馬鹿だね」
そのあきらかに痩せた彼の兄は、またカラカラと笑いながらとんでもないことを切りだして、私は思わず歯を喰いしばれと思わざるおえなかった。
どんな爆弾を切りだすのだこの人は。
何を思ってこの人は居なくなった人を馬鹿に出来るのか、といら立ちを覚えたがすぐ消えた。
「だってさ、ほら」
俺も知らなかったんだ、と付け足して、私の前にぐちゃぐちゃに丸めてあったのかしわくちゃなハガキサイズの紙を差し出してきた。
そこには『結衣へ』と大きく書かれていた。
最後まで目で追い、彼は元々ガンであり、実の兄にも私にも秘密にしていて、いつ亡くなるか分からず彼は遺書を書いていたのだ。
「これって……」
「そう思ってる通りだよ。俺も知らなかった。知ってたのは俺の両親だけで、なんで知らせなかったんだ、なんて愚問は切り出せなかった。弟はさ、だから馬鹿だよ。他人の幸せしか願えない大バカ者だ」
兄の表情は曇っていて、今にも崩れそうだ。私も同じ気持ちだ。
どんなに好きでいても、それは永続的ではない。
いつもどんなことがあるのか分からない。
告白の時こんな言葉で私は付き合いを決めた。
『俺はお前がガンだろうが足がなくなろうが顔が無くなろうが、絶対傍に居て最後まで守ってあげたいと思ったんだ』
最初は馬鹿にしてたりしたが、一年八カ月が過ぎようとするこんな真冬にやっと意味が、分かった。
私にはそこまで堅い決意が無かったことに、悔し涙があふれた。
――帰り道、駅から出ると日は沈み、薄暗くなっていた。
そして去年と同じ雪が降っていた。
彼を忘れようとする気持ち。
彼を恨む気持ち。
馬鹿馬鹿しいって思ってきた感情達が今、私の心を抉る。
兄と別れて尋の遺書を片手に私は実家へと帰路に着く。
駅構内で花屋さんで贈る花を買い、私は彼の交通事故の現場へと初めて足を運んだ。
忘れられているこの交通事故に私は少し寂しさを感じながら現場の樹木に花を添えて、彼の好きな黒の炭酸を一緒に置いてあとにする。
――その日の夜。深夜十二時を回る時だ。
お母さんとお父さんと二年ぶりの鍋パーティを終えて、私の彼の話題に触れられることも無く終焉を迎え、自室に戻る私。
部屋のドアノブに見覚えの無い赤い靴下が紐でぶら下がっていた。
中身をさぐるとシルバーでかなり高級とは言い難いが指輪が一つでてきた。
そこには『T・ゆい』と打ち回りに掘られていた。
そして、なんとなく手を赤い靴下に入れる私。
勘があたったのか一枚の紙が出てきた。
私は久しぶりにクスっと笑い慌てん坊の尋の姿を想像した。
その紙には、
『メリークリスマス! 結衣、好きがはやまってこんなことしたサンタクロースを許して下さい。俺は結衣が大好きなサンタクロースです。
今年残りわずかで来年も素直でぶきっちょな結衣の彼氏でいさせてください。』
と記されていた。
私は初めて聖夜の前日に恥ずかしいような温まるような嬉しさ感情が湧きあがったのは言うまでも無い。例えそれが誰からのでも私は幸せなひと時を味わえたのは事実であるから……。