XIX 石風の山 2
石風の山にいた者は地獄絵図に背を向けて一心不乱に逃げていた。脇目も振らず逃走を。
剣聖ギルフォードの一閃から始まった闘争は戦闘狂の類に属する連中にすら尻尾を巻かせるほど明確に人知を超えていた。まず山をざっくり斬るという開幕の一撃からして常軌を逸していたが、その後それは増した。
竜太子のものと思われる魔力の奔流により辺りは昼間のように明るくなり、天からは石風の山にも匹敵する巨大な岩石が落ちてきたのだ。青い閃光に砕かれたものの、降り注いだ岩石によって地形は既に見る影もなく変わっている。
遠目に逃げ去るクラスタスを確認しながら山を振り返ったクラリッサスは天地鳴動する戦いの圧迫感に知らず激しい呼吸を繰り返した。
「奥様っ!! 脇見をしてはなりません!」
「え、ええ!」
突如燃え上がった山を背に一行は馬を走らせる。胸の谷間に収めたノノがライカの背中とに挟まれて苦言を漏らしていたが、誰も耳を傾けはしなかった。
『その名は疫病の邪神
彼の指は万物を枯死に至らしめ
彼の足は踏みゆく土を腐らせる
彼の意思にて生命は喘ぎ悶え
彼の存在こそが万世の終焉となる』
「跳ぶぞ、リーブラ!」
「チィッ!」
アッシュが跳躍して脱した領域が圧壊した。竜太子の純魔力掌握による“握り潰し”だ。
低空を弾丸のように飛ぶ二人に深い蒼に輝く者が迫る。剣と盾を極めた時に至る攻防一体の奥義を展開した《冒険者》ライだ。
「てぇえええぇぇい!!」
「斬る……!!」
白銀の剣がライと拮抗。
何故だかリーブラに味方するように戦う剣聖はライのシールドバッシュを柄尻で打ち据えると、羽のように頭上へ跳んでライの首を狩りに行く。
反応したライの片手剣とロングソードが鬩ぎ合い、両者は再び離れた。
『彼の名を恐れ、讚えよ
いあ! いあ!』
「唱えさせるものか。」
「竜太子ッ……リリース《レヴァルティカノン》!」
馬鹿げたサイズの大剣を両手に二振り持った竜太子を朱色の火線が迎えた。
しかし、それがざっくりと斬り別けられる。攻撃魔法の魔力自体を容易く斬り捨てて見せる神域の荒業にリーブラの顔が苦々しく顰められた。
アッシュの機動力で逃げられたものの、今のままではリーブラは劣勢一方だ。後一歩の所まで唱えた上級魔法も途切れてしまった。
「そもそも何でこんなことになってんだ、畜生めぇ……!!」
初級とはいえ混乱に乗じて放ったメテオ系の魔法がまさか破壊され、攻撃魔法を斬り捨てる技まで登場するとは夢にも思うまい。
正に悪夢と言うべき悪状況だ。今は味方のようである剣聖も実は魔法を斬ることができると知ったらリーブラは泡を噴いて卒倒することだろう。
「我が臣下に物も言わず魔術を撃ち掛けてきたのは汝であろう。」
「クラスタス見てテイムされてるかもなんか考えねぇよ!! 死ね、バァーカ!!!」
「無礼な奴め。」
弾丸系の初級魔術による絨毯爆撃を逃れたエルランディードは剣を数度振って刃を飛ばすが、魔法使いを乗せた狼人族は歩を細かく刻むことで残像を残して避けた。
素晴らしい、と零した竜太子は危険を察知して背後から迫る刺突を剣の腹で受ける。どういう技法か力の点が巧みに動く。
防御をすり抜けてきた突きを大きく跳び退いて逃げた竜太子は久しい冷や汗を流した。
「……以前より鋭い。片腕落とされて尚強くなるか。」
「腕なら生えた。」
淡々と言い放つ剣聖の右肩からは煌々と銀に輝く腕が伸びている。魔力を支配するエルランディードはそれを構成するのが魔力の変質したもので、肌を鋭く叩く圧力から剣気と魔力の混ざりものと察していた。
そして、以前剣を交えた時と得物が違うことにも気付く。世に何振りあるかという業物だったが、鍛え直されたのか強力な魔力を放っている。
「埒があかないな。」
青く輝き続けるライは狼人族に跨る魔法使いとその前に立ち塞がる剣聖を見て剣を納めた。これ以上の戦闘継続に利益はないと判断したからだろう。
ゆっくりと後退するライを見て戦意を収めた残りの者の終戦の意思によって軋んでいた空気が緩んでいく。
「やめだ、やめ。僕は降りる。」
「……退け、魔導師。」
「魔法使いだ。戻るぞ、アッシュ。」
ライとアッシュが森の中に消え、剣聖と残ったエルランディードは笑みを崩さないまま静かに背を向けた。
やがて全ての気配が遠ざかるまで動かなかったギルフォードも剣を納めて歩き出す。森は焼け、山は断裂し、隕石が新たな山となって地形がまるで変わった戦場を見撫でた彼が何を思考したかは定かではない。
踏めば岩を砕く脚を深く曲げた彼は風のようにラゴス・カヌイの方向へ駆けていった。
「どうだ?」
「分からん。ここを離れたようだが。」
左輪側がごっそり抉り取られた馬車を検分していたリーブラたちは表情を曇らせて辺りを見渡した。
あまり荒れてはいないが、どうやら斬撃が飛んできたらしく深々と大地が裂けている。馬車もその時に巻き込まれたらしい。
荷物も滑落したのか見当たらず、残った仲間の姿はないが、微かに残った匂いが脇道に消えていた。
「ブラックがいてみすみすやられたってことはないはずだけど……。」
「うむ、ん? 誰だ!?」
鼻をひくつかせたアッシュが視線を向けた茂みからガサガサと出てきたのは、二人も良く知るメイドだった。
エプロンから葉を払ったリコッテは二人に膝を折る。
「御無事何よりです。奥様方はラゴス・カヌイに向かっておられます。」
「……こんなとこによく残ったな。」
開いた口が塞がらない様子のリーブラたちはリコッテの報せに胸を撫で下ろした。
バランスが崩れたのか馬車がバキバキと車体を二分三分しながら裂け目の底へ落ちていく。見送った三人はそこにいても仕方ないとアッシュの背に二人を乗せて走り始めた。
道中、戦いの余波に巻き込まれた魔物の死骸が転がっていたが、素材を集める暇があるはずもなく捨て置き駆け抜ける。
山腹は未だ炎に包まれて天を紅蓮に照らしており、舞い上がった粉塵でその光はベールの様に象られていた。
後日、ゆらゆらと揺れる天幕は付近の都市からも目撃されて凶兆と騒がれる。そして、奇しくもそれを裏付けるように災禍の足音が迫ってくるのだった。
リーブラ所持金0G
アッシュ所持金0G
クラリス所持金0G
パーティ所持金0G




