XIV じゃぶじゃぶ進むよ船の上
「さ、上に行きましょう? 風が気持ち良いですよ。」
「……ママ。パパ、いない。」
「ああ、ちょっと待っていて下さいね。あなたー? ちょっと!」
大河を渡る船の上、甲板に娘を連れ出そうとしていたクラリッサスは船倉の中へ呼びかけた。
昨夜は急いで宿を移ったりと慌ただしかった上、男衆は寝ずの番から渡し船の確保で眠れず、揃って昼寝中だ。
しかも、アッシュ以外は昼食も食べずに寝ているくらいだ。
もうそれなりに睡眠時間は確保したとは言え、起きてくるかどうか。
少し待ってクラリッサスが無理かと諦めかけた頃にようやく船倉からリーブラがのっそり出て来た。
無理な体勢で寝ていたのかバキバキと首を鳴らして欠伸した彼はすかさず手を握った娘の頭を撫でてほんのり笑みを浮かべた。
「パパ。」
「はいはい。どういう状況? くぁぁ……。」
「上で風に当たろうとしたらあなたがいないと嫌だーって。」
「ああ、なるほど。」
「……おーかみいない?」
「アッシュはまだ熟睡してっから、俺たちでな。」
手を繋いで歩き出した三人は時折傾く船内をのんびり歩いていく。
この船はただの漁船でそれほど大きい船じゃないため、船倉と船員用の船室があるだけだ。
本来なら運びはしないが、金を握らせて乗り込んだのである。
階段を上がって扉を開け、強い日差しを手で遮りながら甲板に出たリーブラは既に大分近い対岸を見て頬を緩めた。
「水上というのは風が気持ちいいものですね。」
「そうだなぁ。よし掴まれ。よっと!」
娘を抱き上げたリーブラは対岸や川の上下流の方へ向きを変えてみせた。
柔らかな微笑みを浮かべて後を追うクラリッサスはその度にあっちにはどういう都市があるか、どういう歴史があるかということを話した。
ぼんやりした表情のまま動かない娘は時折小さく頷く。
その無表情な仮面の下で何を思っているのか知ることはできない
「ほら、羽を広げてみろよ。折角風が吹いてるんだ。」
「…………。」
まだまだ子供の小さな羽を広げた娘は押し返してくる風の強さに驚いたように、パタパタと翼を撃って畳んだ。
まだまだ風と一つに成れないこの娘も、いつか高く飛ぶのだろうと思いを馳せた夫婦は目を細めた。
それが嬉しいのか、寂しいのか、子供を持ったばかりの彼らには分からない。
しばらく親子水いらずで戯れていた三人をニコニコと笑って見守っていたリコッテは後ろで云々唸っているライカを振り返った。
船が苦手なライカはずっと首を外に突き出してへたり込んでいる。
「昔はライカちゃんもあんな風に抱っこしてあげたものです。」
「リコッテ、子供の頃の話はうえええぇぇぇぇ…………。」
「全くまだまだ未熟ですね。」
へりに腰掛けてノノに櫛を通しているリコッテは溜まった毛を風に流した。
気持ち良さそうに喉を鳴らしているノノをひっくり返し、また櫛を入れた彼女は海面の輝きに目を細める。
長らく帝国で使用人をしていたため、船は久しぶりである。
「最後に乗った船は貴女と帝都に向かう大船でしたか。あと少しで港に着くというところで槌魚の群れと当たって沈んでしまって大変だった覚えが。」
一つ一つ辿るように思い出話をしながら、ライカに水をくれたリコッテの角に朱色の小鳥が停まった。
まあ、と彼女が滅多に聞けない驚きの声を上げた。
この小鳥はテサと言い、どういう訳か人前に姿を見せることは少ないため
幸運を運ぶ鳥として人々に愛されている。
リコッテもこうして間近にするのは初めてのことだった。
「ここまでは色々ありましたが、良い旅になりそうですね。」
いつもの笑顔に戻った彼女は再び大空に飛び立った小鳥を見送って立ち上がった。
毛繕いが終わったノノを角に干し、荷物諸々を置いている船倉へ向かう。
どうやら陸地が近いらしい。船員たちが動き出している。
今の内に起こしておかなければアッシュとブラックはごたごたしている時に目覚めるはめになってしまうだろう。
ひんやりとした船内に入ったリコッテは角をぶつけないように気を付けながら階段を降りていく。
成人男性が問題なく通られるように設計されてはいるものの、彼女は角まで含めると成人男性の頭をゆうに超えてしまう。
ノノを落とさないように前屈みになって進む彼女は困ったように笑って船倉の扉を開けた。
鼻を擽る生臭さと埃の臭いでふつふつと熱くなるメイド魂を抑え、奥で荷物を枕にして寝ているブラックと平然と床で寝ているアッシュに歩み寄った彼女は二人の肩を叩いた。
深く眠っていたはずだが、アッシュは直ぐに頭を上げて大きく欠伸をして起き上がり、ブラックはしばらく促されてからようやく目覚めた。
「 お は よ う ご ざ い ま す !」
「あ、はい。」
「 間 も な く 到 着 で す ! 下 船 の 用 意 を 致 し ま し ょ う !」
「はい。はい、分かりました。下船。下船……。」
寝ぼけ眼のブラックは前後に揺れながら船倉をぼんやり見渡していた。
自分がどこに居るのか頭から抜けていたのか、そうかそうかと頻りに呟いては顔を擦っている。
「あれ、皆は……?」
「上で気分転換されてらっしゃいます。ブラック様も陽や風を浴びてはいかがですか?」
「んー、そうだなぁ。僕もそうするよ……。」
まだ気が抜けている彼は硬い床の上で寝たせいで変に固まった身体を伸ばしながら船倉を出ていった。
少し足元が心配な彼を見えなくなるまで見送って、一人船倉に残った彼女は荷物をまとめ始めた。
それぞれの鞄に、木箱が二つ。ここまでの道で減った分もあるためこれだけだ。
足りない物は対岸の都市で買い足せばいい。
「これがブラック様ので、こっちがアッシュ様の鞄。旦那様のは……これですね。」
背中に三つの鞄を背負い、残りを積んだ木箱を持ち上げたリコッテの足元が悲鳴を上げた。
これでは自分の体重が重いようではないか。
憤慨して頬を膨らませた彼女は足早に船倉を立ち去った。
しかし、二つとはいえ中身が一杯詰まった木箱の重量を女物の靴程度の面に掛けてしまえば当然の結果である。
なるべく脆そうな床板を避けて進み、途中すれ違った船員に会釈して甲板まで抜けると、船の先にはもう港が来ていた。
どうやら追い風の機嫌が良かったらしく、いつの間にか縮帆して船を止める準備をしている。
というより、転回が始まっているようで景色が徐々に変わっていた。
へりでシーツのように二つ折りになっているライカに溜め息を漏らし、船体の傾きが収まるまで荷物は抱えたまま待つ。
「そういえば何故船は水に沈まないのだろうか?」
「あー、簡単に言うと中身が空だからですね。」
「なるほど。」
「……本当に分かりました?」
「もちろん。重いと沈むということでしょう?」
「うーーーーーーーーーーーーーん…………。」
何か凄い葛藤に苛まれているブラックとすっきりした様子のアッシュの方から顔をずらした拍子に降りて来たノノの尻尾を目で追ったリコッテは左舷の川面を注視した。
船の波に紛れて人魚が遊んでいたのだ。
青白い肌とそれより更に濃厚な蒼の髪。
ちなみに、半魚の亜人と人魚は別物だ。人の因子を持った魚―――……厳密には水棲の亜人には甲殻類の者もいるので魚には限定されない――と水の精霊の眷属という全く異なる存在である。
恋人か兄弟か、うら若い男女の人魚は悪戯を好みそうな笑みを浮かべて遊んでいる。
幸運を運ぶ鳥に続いて航海の安全を齎す人魚。
航海はもうすぐ終わってしまうが、一生目にすることがないようなものを二つも立て続けに見たリコッテは少し眉尻を下げた。
あまり幸運なことが起こりすぎると反動でとんでもなく悪いことも降ってきそうな気がするものだ。
リーブラ所持金-1520G
アッシュ所持金-2840G
クラリス所持金50860G
パーティ所持金456280G(+4360)




