拾伍話 実は男の方がデレデレ
思いの外、ノノにゴーレムを操るスキルの伝授に手間取ってしまっているため、一人抜け出したリーブラはクラリッサスを探していた。
食堂や客間には姿がなく、私室もノックしたが返事がない。
首を傾げる彼が二階の窓から裏庭を見ると、彼女の黒髪が雪の上で舞っている姿が見えた。
どうやら格闘戦の訓練をしているらしい。
以前とは見違えるほど洗練された体の動きは素晴らしいと言わざるを得ず、特に蹴り技は補助もあって速度・威力共に並みの冒険者を凌ぐだろう。
自分が寝ている間に随分成長していた妻の姿に彼は思わず溜め息を漏らした。
「クラリス! 少し出かけないか?」
「えっ? ああ、二階ですか。良いですよ。戻って支度をするので待っていて下さい。」
汗と溶けた雪で着ているブラウスが少し透けていることに気付き、胸元を隠してキッと睨みつけたクラリッサスは早足で裏口から中に戻っていった。
窓を閉め、私室に財布を取りに戻った彼はサイドテーブルの上に置いてある首飾りを手に取る。
首飾りと言ってもシンプルな指輪をチェーンに通しただけのものだ。
かつて、王国の貧困街で治療して回っていた時、とある親子を治療した礼に貰い、紛失しないようにしたのである。
「…………あの親子元気にしてるかね……?」
リーブラはあの親子と出会ってから考え方がぼんやりと変わった。
彼らとの出会いで周囲へ共感する心を開き始めたのだ。
自身の目的を最優先に考えて行動していたならば、今頃クラリッサスと一緒にいたかさえ分からない。
全ての人間を関係ないと決めて事務的に接していれば楽だが、待ち受けるのは孤独と解消できずに積み重なる負の感情だ。
首に触れる冷たい温度に耐え、一階へ降りていく途中でクラリッサスとすれ違って居間に向かう。
廊下を進む間にリコッテが湯を張った桶とタオルを持って二階に猛進していった。
恐らくクラリッサスが体を拭うためのものだろう。
「これからギルドへ行ってくる。もし気が変わったら今晩も泊まっていけ。」
「気が変わったらね。それより僕が帰る時に馬を一頭借りてもいいかな?」
「ああ、まぁ、お前ならいいだろ。」
一人掛けのソファに腰を下ろしたリーブラは暖炉の前に寝そべっているアッシュを手招きする。
ヌゥッと巨大な影を作ったアッシュは頭を低くしてリーブラの耳打ちを聞いた。
「明日、狩りに出た先で監視してる奴らを叩く。いい加減知ってることを話せ。」
「むぅ、話すべきではない気もするが、仕方あるまい。夕餉の際に全て話そう……。」
「頼むぞ。」
厚い毛皮の上から相棒の肩を叩いたリーブラは明日の仕事を思って軽くはない息を吐いた。
別に共に戦う仲間の力に不安があるわけではない。
むしろ、総合的に見れば向かうところ敵なしと言っても過言ではない強力な四人だ。
無論、クラリッサスには教え足りないことも多く、ノノもゴーレムを使えない現状では個の戦闘力は高くない。
それでも彼とアッシュがいることで弱点はカバーでき、二人の強みが活かせる布陣だ。
ただ、男の意地のようなものがクラリッサスを戦場に連れて行くことを好ましく思わなかった。
それを言った彼は烈火の如く反論されてしまったのだが……。
「今から出かけるのだったな。私も共に行くか?」
「いや、妻と二人の時間を過ごしたいんだよ。」
「フフ、そうか。お前は意外に愛妻家になりそうだな。」
「やめてくれ。」
照れた顔を背けてアッシュを押しやった彼はこれからの生活をどういうものにするか思考を回していた。
研究を続けつつ赤が出ない程度に狩りをしていれば良いとは言え、研究の先行きが全く予想できないのだ。
大量の費用が必要になる可能性も、また別の地へ移り住まなければならなくなる可能性もある。
「(どうするべきかな。積極的に稼いでも当面のメリットは少ない気がするけど……。でも、式やら指輪やらで金は入用か。)」
「リーブラ、準備できましたよ?」
「今行く。おぉ……。」
石樹のコートを着たクラリッサスは橙のリボンに合わせたブーツを履き、白とピンクの毛糸で編んだ帽子を被っていた。
やや可愛らしいコーディネートに照れているのか、頬を色付かせる彼女は急ぎ足で出て行く。
生暖かい視線に見送られ、二人は雪の降る外に出た。
「いってらっしゃいませ、旦那様、奥様。」
「晩飯までには帰る。ブラックが帰る時は良くしてやってくれ。」
「畏まりました。」
ライカの曳いてきた馬の手綱を受け取り、身を翻して鐙に跨ったリーブラが手を差し伸べるまでもなく、クラリッサスは後ろに乗っていた。
紅の燐光に包まれた豪馬は二人を乗せて軽々と駆け出す。
残されたライカは深く腰を折ると、他の馬を世話するために馬舎へ姿を消した。
「どうしたもんかな?」
「雪原地帯の魔物は初めてですし、少し下のランクにしたら如何です?」
「別に討伐だけが俺らの仕事じゃないんだが……。」
帝国の周辺には冒険者ですら容易く踏み入ることができない秘境が多い。
それは氷雪が行く手を阻む天然の迷宮化現象と他国に比べて魔物がやや凶悪なことに起因するのだが、故に帝国を根城にする冒険者は戦闘力もさることながら、探索する――……真の意味での“冒険”者として優れていく。
逆にそちらに特化して秘境の探索で一財産築き上げようとする者も一定割合存在しているくらいだ。
「手頃な秘境の攻略でもするか。期間も長めに取れて丁度いい。」
発見された秘境のリストはギルドの受付で借りることができる。
登録証を受付に出し、秘境の報告を纏めてある冊子を開いたリーブラはまずトラップの類についての報告を読み始めた。
仲間が誰一人として罠解除や探索のスキルを持っていないため、経験則から回避できる程度の罠しか確認されていない所が好ましい。
もしくは力技で突破できる類の罠しか確認されていない場所か。
「攻略されてる秘境は二つだけか。どっちも完全なマッピングはされてないんだな。」
「あ、この秘境踏破した人知ってますよ。《冒険者》と《剣聖》と言えば王国にも名前が轟くAランクです。」
「ふーん。」
他にもうじゃうじゃいたとは言え、リーブラやブラックはAランクを超える特級だったのだ。
Aランクと聞いてもさしたる感動は浮かばない。
むしろ、内心ではその程度で二つ名があることにむず痒ささえ覚えてしまい、その踏破者の想像がナルシズム溢れる頭の悪そうな姿に固定されてしまった。
「まぁ、いいや。取り敢えず明日は秘境までの下見にしよう。そうだな……。西にある湖畔の洞窟がいいだろ。」
冊子を受付に返却して登録証を受け取ると、二人はギルドを後にして商店をブラブラと見始めた。
腕を組んで歩くのも随分と雰囲気が出るようになっている。
ふとした拍子に目線が交わる瞬間の表情や仕草に互への愛情が滲む。
思いが通ったばかりの二人にはただ歩いているだけでも充分な幸福になり得るのだ。
「…………好きだ、クラリス。」
「へ? あっ……はい……わ、私も、好きです。」
リーブラ所持金140G
アッシュ所持金510G
クラリス所持金16230G
パーティ所持金4857119G




