三話 スピアラビットの草原ソース煮込み
「やっと寝れるーっ……。」
俺は寝不足で気怠い身体をベッドの上に投げ出した。そこまで上等ではないにしろ、確かに身体を沈められる布の海の安心感に瞼が下がる。
これもゴブリンのお陰だ。ありがとう。
逃げる奴まで狩ったのはやり過ぎだったかも知れないけど、俺も耳を集めるなんて気持ち悪いこと我慢したんだ。許せ。
あぁ、もう、認めるよ。認める。
これ現実。魔物消えない。素材剥ぐ。異世界大変。だから寝る。
――……三時間半前。
ゴブリン退治の依頼を受けた俺は群れの巣があると言われた森林へ来ていた。
ゴブリンは食料の積んである隊商を襲うため、依頼主は平原に出ている個体を退治して欲しいらしい。
甘い甘い。
元を絶たねば次が来るし、何より平原にいるのをちまちま退治なんて時間が掛かるし、何より儲からない。
「あれか……。中々立派な巣穴じゃないか。」
森林の中でもやや盛り上がった所に巣穴は拵えてあった。立派と判断したのは入口のサイズと数である。
立派な巣穴であるほど、入口のサイズと数が増える、という設定だったからだ。
俺は金の成る木が大樹であったことにほくそ笑んで、三つある入口の内の二つに《ファイアウォール》を唱えた。
思うに、この時既に俺は此処が元居た場所でないことを悟っていたのだろう。
何せ、ゲームなら自慢の水魔法で巣穴を沈めていたはずだ。そうすれば、後は待っているだけで溺死したゴブリンは爆散してドロップと経験値は得られていた。
しかし、此処でそんなことすれば死骸は回収できず、俺は収入0でめでたく平原行きである。
「ほぅら、出てこーい、小鬼ちゃーん。」
《ファイアウォール》は解除するまで永続するタイプだ。
つまり、俺は無事な入口の上に待ち構えていれば、酸欠か蒸し焼きから逃げてきたゴブリンを狙い撃ち出来る算段である。
そして、それは見事にハマった。
わらわらとゴブリンが巣穴から駆け出してくる。
『エアロ・リッパー』
先頭の数匹を見逃した後は風属性の初級魔法を乱れ撃ちし、無防備な背中に風の刃を向かわせる。
何と言うか……出来の悪い戦争映画を見ているような不快感が頭をピリつかせた。
ハリウッド映画の特殊効果よりリアルなはずのそれに、奇妙な“遠さ”を感じる自分が少し怖い。
『サンク・クレイ』
思いの外殺到して回転率が追い付かなそうになって、反射的に土属性の魔法で入口の目の前を陥没させて落とし穴を作った。
ボトボトと穴に落ちていくゴブリンは積み重なり、蠢く山になっていく。
その光景をぼんやりと眺める俺は、重そうだなぁ、と調子の外れた感想を抱いていた。
『ファン・エッジ』
指定した一点を起点に周囲を回転する風で刻む範囲魔法だ。
攻撃範囲は落とし穴の内部を充分覆える。
ぶわっと膨らんだ攻撃範囲の中から鮮やかな赤の飛沫が降り注いだ。
疾風に乗ったそれが俺の足元まで届いたせいで、鼻には生臭さしか伝わらない。
その内に逃がした個体が外に居た群れを連れて戻ってきたので同じ手法で駆逐する。
これで七十七匹の戦果を獲得した。15400Gだ。よく吐かなかったと思うが、睡眠不足でハイになってたんだろう。耳を切り取って袋に詰める作業の方が大変だった。
そうして、俺は帰ってきた。
次に目覚めた時は既に日が落ちていた。少し自宅のベッドで起きることを期待したが、800Gする宿だった。
汗でベタベタしている体に我慢成らず、宿の主に聞けばやっぱり風呂がある。向こうにあったからこっちにも、と思っていたが、正解だ。
流石に石鹸やらの品質は悪いが、まぁ、無いより遥かにマシだろう。
「あー、腹減った。飯はあるか?」
「おう、奥に行きな。」
宿の店主に教えて貰った廊下を進むと、ガヤガヤと大勢が会話している独特の喧しさが聞こえてきた。
俺が扉から入った時に気が付いた連中から視線が来たが、無視して片隅に座る頃には無くなっていた。
帽子に掛かっている《隠蔽》をアクティブにしてあるからだろう。
「注文はどうするのかね?」
それらしい動きをしている奴がいないか観察していると、若い冒険者が厨房に立つ女性に鍵を見せながら料理名を言っているのを見付けた。
なるほど。鍵は宿泊客の証明書代わりになるのか。
頭良い。
食堂だけの利用客は金を手渡しって感じにしてるんだろう。商売上手と見た。
《隠蔽》が掛かったままだと注文出来ないから、三角帽子を脱いで小脇に挟み、カウンターから厨房を覗く。
宿の店主の妻君であろう中年の女性と、顔立ちが似ている娘が働いていた。
「お姉さん方、注文をいいかな?」
「おや、見ない顔だね! 新しい冒険者かい? やだよ、こんなオバサンに向かってお姉さんだなんて。」
「ははは、一番自慢の奴を頼むよ、ご婦人。」
「あいよ、待ってな。メイル! スピラビの煮込みだ! 一等良い肉を取ってやんな!」
「はーい。」
パタパタと娘が奥に消え、残った母親は腰に手を当てて額の汗を袖で拭った。
丁度波が静かになった所だったのかも知れない。良心的な価格の宿なら客も多くて忙しいはずだが、今は皆落ち着いて会話の花を咲かせている。
母親を俺の格好を見ると、したり顔で頷いた。
「あんた、一人かい? 黒魔導師でも一人は厳しいだろうに。」
「慣れればそうでもないさ。むしろ、一人の方がやり易いこともある。」
「ははーん? お前さん、さては噂のゴブリン狩りの魔導師だね?」
これは参った……。
確かに少し派手になったが、ここまで知れ渡ってるとは思わなかったな。
所詮はランクフリーの依頼と好き放題が過ぎたかも。今考えたらゴブリンとは言え、巣穴を単独で潰せるのは一握りかも知れない。
「内緒で頼むよ。あんまり注目を浴びたくない。」
「分かってるよ。訳ありなんだね。顔見りゃ分かるよ。」
「恩に着る。」
ぼそぼそと内緒話をしていると、何やら怪しげなブツが盛られた皿を娘さんが運んできた。
……待て待て、何だ、それ?
見覚えあんぞ?
「スピアラビットの草原ソース煮込み、です。」
大腿部だろうか? 肉の沢山付いた部位に細長い部位がくっ付いているパーツが二つ。各切りの肉が一つ。
まぁ、サイズからして普通の兎の何倍もある種類だし、このくらいは採れるだろう。
問題はこれだ。この皿の真ん中に鎮座するこれ。
「…………これは?」
「? ……頭ですよ。」
「…………頭、か……。」
「はい。お肉は少ないんですが、とても美味しいですよ。」
口をあんぐり開けたスピアラビットと目を合わせる。いや、正確には眼球があった眼孔なんだけど。
角も取られてるから穴は三つだ。
緑色のソースを額の穴と眼孔からゴポゴポと溢れさせている兎の生首は今にも怨嗟の叫びを上げそうで。
めっちゃ怖い。
朝方適当に狩ってしまったから尚更怨まれている気がしてならない。
「…………魔物だからって首だけで動いたりしないよな?」
「ぷっ、あっはは、そんなことある訳ないじゃないですか。面白い人。」
「ああ……うん。」
文化の違いに挫けそうだ。
しかし、此処で辞退しては男が廃る。礼を言って皿を手にすると、俺は元の席に歩き出す。
しかし、俺が獲ったのじゃあるまいな……。
……こっち見んな。
反対に向けとこう。
「(担がれてないよな?)」
若干の不安を残しつつ、テーブルに皿を下ろして、明後日の方を見る頭、ではなく角煮から手を付ける。
テーブルに置いてある箱からフォークを取って肉へ突き刺す。
おー……柔らかい。
草原ソース? とやらを絡ませて口へ運ぶ。
「(なん……だと……?)」
口へ入れる直前に香る匂いは正に草原ソースと呼ぶに相応しい。春風がもたらす大平原の香りの中には秘めたる野生の強さがあるが、不快な青臭さはまるで無い。
味は塩味寄りだ。バジルだろうか? 様々な香草を利かせてあり、ほうれん草の様な味の野菜をペーストしたソースに一癖持たせてある。
しかし、これだけの要素がありながら、ソースは完全に調和し、“草”の旨みを高めている。
神よ……このソースは汝らの領域に到達している!
そして、肉。
ソースによって閉じられた肉の中では大地を踏みしめて鍛え上げられた命が肉汁になり、噛み裂いた途端に溢れ出す。
その味の何と勇猛なことか。
脂身のほとんど無い引き締まった筋繊維は柔らかく解れて肉汁を吸い、未だ強く生きている。
あまりにシンプルな“草”と“肉”のデュエットは互いに支え、高めながら、一片の隙も無く融合している。
最早、発すべき言葉は一つしかない。
エクセレント!
「……ッ……エクセレンッ……。」
不作法にもガツガツ食べてしまった。頭もひっくり返して肉を削ぎ落としてまで貪った。見た目なんかどうでも良くなるくらい美味かった。
食べた直後に寝ると豚になるらしいが、この満足感に勝てん。
少し食べ過ぎて腹が痛い。
「げふっ……。」
喉が渇いたんだが、コップを借りられるだろうか。水はまぁ貴重だけど、魔法使いは自前で用意出来るから問題無い。
ただ、今日は日用品を買ってる余裕まで無かったから、俺はまだこの身一つなのだ。ああ、財布代わりの袋と金は手に入れたっけ……。
のろのろと立ち上がって部屋から食堂に移動する。
「明日はどうするかな……。旅支度整えたら他の都市にも行った方がいいだろうし、ロックスコルピオの依頼受けたいんだよな。」
そういえば、まだ此処が何処だか分かってないわ。世界も丸々同じなのかと思ったけど、似ているだけで多分違うんだよな。
草原フィールドがあってスピアラビットとロックスコルピオが出るってことは南の王国領のはずだけど、王国のエンブレムが無い。
決めつけるのも如何なものかと思うけど、やったらめったら設定作り込んであったから、何処か違うと直ぐに分かるはず。
この同じとも違うとも言い切れない微妙な差異は何なのか。
情報が少な過ぎる。
「あれ……まだ誰か起きてるのか?」
中でまだ松明が灯っているため、食堂への扉が光で縁取られて暗闇に浮かび上がっていた。
明日の仕込みでもしているのだろう。
丁度いい。こそこそ漁らなくてもコップを借りられそうだ。
「夜遅くにすまないが、コップを……。」
「え……?」
メイルさんが兎の頭を齧ってました。
グルメ小説ではありません
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