捌話 我らに、断てぬものなしッ!
「あー……これは……。」
「売り主様も諦めていたのか、随分と長く手を入れていないようですね。」
役場でも物件に詳しいという役人だったが、直に見るのは久しいのか、難しい顔になっていた。
二階建ての割合大きい家だが、幽霊屋敷か何かのように寂れてしまっている建物を前にリーブラは仲間を振り返る。
アッシュは気にしている様子はない。
お世辞にも綺麗好きとは言えないだろうと思っていたし、一人でいた時は路上で寝起きしていたのだから、屋根があるだけいいだろう。
ノノにしても最近まで森で野良猫だった。
問題は我らがお嬢である。
「そんな顔すんなよ。別に世界は滅びゃしないぜ。」
「私の世界は確かに一つ壊れました……。」
泣きそうなクラリッサスは確かに哀れではあるが、これも皆で決めた選択であるからには、涙を呑んで貰う他ない。
ノノに後を任せて敷地に入ると、彼は真っ先に裏を確認しに姿を消した。
金銭が足りない貧乏な暮らしをしたせいか、加速度的にケチ臭くなっている彼のことだ。
相応の値段でなければ財布の口は開けないだろう。
それは確かにいいことなのだが、それにしたってこんなはずではなかった、とクラリッサスは肩を落とした。
実家の屋敷とはいかずとも、綺麗で趣きのある家にロマンティックな家庭を築く夢を描いていたのである。
雪の降りしきる中、二人で夜の散歩から慌ただしく帰ると、互いの温もりを分かちながら暖炉の前に座り込むのだ。
橙の灯りに照らされ、リーブラの腕に抱えられた彼女は力強い鼓動を聞きながら彼を見上げる。
溢れんばかりに愛を湛えた瞳で見詰め返す彼に眼鏡を外されて、霞む瞳は至近の彼に釘付けにされてしまう。
不意に額へ唇を落とされ、次は閉じた瞼に……。
ぽつり、ぽつりと落とされる接吻は顎を過ぎ、首に華を残し……。
「キャーーー!! そこはまだダメーッ!!」
「何やってんだ、お前。」
「ハッ!?」
独りで妄想をはかどらせた挙句にくねくねと悶えていた彼女を軽蔑の眼差しで刺したリーブラはボロ屋敷へ踏み込んでいった。
慌てて追った彼女は扉の開閉で舞い上がった埃に二の足を踏むも、眼鏡を外して怖ず怖ずと敷居を跨ぐ。
暗い中で大雑把にしか見えない視界では部屋を覗いても然程役に立たないが、取り敢えず酷い荒れ様だということは確かだった。
カサカサと何か小さいものが蠢く音も聞こえないと念じ、先を行く彼の腕を捕まえに行く。
「リーブラ、大分傷んでるでしょうし、ここはよして他を見に行きませんか?」
「ませんねぇ。部屋多いし、大通りは近い。そのくせ、近くに人は住んでなくて静かに暮らせる。最高じゃないか。」
「しかし、管理が杜撰だったせいで汚い上に竜災の補修すら……ひぃっ!?」
「うへぇ、でけぇ蜘蛛だな。ほら、あっち行け……。掃除すりゃいい話だし、破損してるから売却で増改築自由だって聞いたろ?」
そう。実はこの家、竜峰に面した帝都の北区に位置しているのだ。
必然、最も防備が厚いとは言えども竜災の被害を一手に受けてきた地区であり、危険性や修復にかかる費用などで特別不人気になっていった。
安心して住むことができないが、税は普通にかかるというために北区の住居は少々赤が出ても安く売りに出される。
故に、腕に覚えのある冒険者や他に買う余裕のない国民がまばらに住んでいるというわけだ。
特にリーブラたちが目をつけたこの家は最北端と言ってもいいくらいで、売り主の商家も諦めて放置していたのだろう。
家具もそれなりのものが残されているというのに、込みで捨て値だ。
余った金で掃除や修復をすれば立派な家に違いないのだが、実に嘆かわしい事態である。
「どうせ明日の内に人雇って綺麗にするんだから……。そりゃ改修はしばらく先になるが。」
「ここで一晩過ごすなんて……。」
「あっ…………ちょっと野暮用ができたわぁ……。」
「え、ノノ? また勝手に。」
「ほっとけ。」
身を低くして他の部屋へ消えたノノを見れば何をしに行ったのか嫌でも分かる。
猫をよく知らないクラリッサスは不思議そうにしているが、本で学ばなかったのだろうか。
フシャッンオーシャギャフシャガー
キィーッキィッギギッ
「あの……。」
「…………。」
タッタッタッタッ
「見なふぁい! なはなは大物はっはわぁ!」
「嫌ァァァアアァァァァァァッッッ!?!?」
「やれやれだぜ。」
「何だかんだ言っても貴族の娘だったということだな。」
結局、家が綺麗になるまでクラリッサスだけ宿に泊まることで落ち着き、彼女も乗った役所の馬車を見送ると、野郎二人は雪が降る空を見上げた。
今日の雲は随分厚いため、早く暗くなるだろうから気をつけた方がいいと役人が言っていたのを思い出したのだ。
確かに薄暗くなっている。
流石は商家と言えば良いのか、四頭分の馬舎があったのは役人も驚いていた。
後は馬車から残りの荷物を運び出さなければならない。
「後は何だ? 食料と……何だ、その箱?」
「アレだ。ワイヴァーンの……。」
「あぁ〜、はいはい。てか、まだ平気か?」
「処理はしてある上に竜種の皮だ。問題ないだろう。」
幾つか木箱を積んで手早く運び込んでしまった二人は、纏う雰囲気を鋭く張り詰めたものへと変容させた。
アッシュは使い込まれた籠手と兜を身に付け、リーブラはスキルを始動させて戦闘モードに入る。
二人は自身の感知スキルで捉えた敵意を放つ“客”を出迎えに雪の中に進み出た。
控えめに評価しても身なりが整っているとは言えない男が五人と獣人が二人。
勝手に敷地の中まで踏み込まれて機嫌をいたく損ねたリーブラがドスの利いた声音で唸った。
「引っ越しの挨拶にしても早過ぎるんじゃねぇの?」
「随分良い車ぁ転がしてきたみてぇだからよ。荷解きでも手伝ってやろうって親切心よ。」
「……引っ込んでていいぜ、アッシュ。俺が蹴散らしてやらァ。」
鼻を鳴らして拒否したアッシュは部位によって物が違う革の防具を着けた狼人族を睨み付けていた。
先祖返りの彼と違って毛深い男に耳が生えたような風体だが、とても巨躯である。
同族が強盗や死体漁りをして種族の誇りを穢していることが許せないのだろう。
怒気と筋肉の隆起で鎧が軋む。
見比べて与し易いと判断したか、黒い毛皮なだけで種族が分からない獣人がリーブラに斬りかかった。
脚の良い種族ではあるのだろう。
並の魔術師では目で追えもしない走りで正面から剣を突き出した獣人は障壁がないと分かって笑みを歪めた。
粗い我流ながら悪くはない突撃ではあったものの、悲しいかな相手が悪すぎた。
心臓を貫く軌道の剣が、マントに阻まれ、鍔元で真っ二つにへし折れる。
驚く間もなく、剣と交差して伸びた右手が首を鷲掴みにして獣人を引き倒した。
「ガッ!? ーーーッッ!!」
魔術師如き、と振り払おうとした獣人の全身が弓形に撓んだ。
首を引きちぎらんばかりに絞めあげる力を逃がそうと肉体が反射的に動いてしまったのだ。
割と小さめの手のはずが、太く鍛えられた首をガッチリと掴んで離さない。
「(何て眼で見やがる……ちく、しょう……。)」
感慨もなく、ただ観察するために見下げている敵の底が見えない瞳孔に悪態を吐くと、獣人は泡を吹いて気絶した。
しかし、抵抗の意思を狩りとった程度で手を緩めるつもりなどリーブラにはない。
この手の連中に改心や学習といった進歩が期待できないと経験から知っていたし、始末についても慣れたものだ。
メキメキと仲間の首が悲鳴を上げ、彼が折ると確信した野盗は慌てて動き出す。
中でも最も戦闘力に優れる狼人族はリーブラへ襲いかかる前に、割り込んだアッシュの拳で打ち落とされた。
雪の上を転げ回ってのびた狼人族とアッシュを見比べて漸く戦力差を理解したらしい。
一斉に背を向けて逃げ出した。
しかし まわりこまれてしまった
「アッシュを見て逃げ出したのが賢いと言うべきか、それとも逃げられると思ったことを愚かと言うべきか……。」
「盗賊なぞになった事情は知らんが、私たちを狙ったことが運の尽きであったな。」
「た、頼む! 見逃してくれ。な?」
「二度とあんたらには近付かねぇと約束する!」
「仲間の仇を討とうって気概もねぇのかよ。アッシュ、まだ仲間がいるかも知れん。一人は生け捕りにするぞ。」
事切れた獣人を放り捨てたリーブラが野盗に指先を突き付けた。
ただただ困惑して固まる者。
言いなりになって生き延びようとする者。
野盗が注視するリーブラから魔力が放出され、一番近い一人が拘束された。
最も低級な拘束魔術だ。
「ぐあぁ!?」
「げふっ……!」
二人がアッシュの爪にかかり、残る二人は注意を外した瞬間に風の刃で首を失った。
真白い地面に赤い華が四輪咲いた。
騒ぎが収まったことで静寂が戻り、リーブラの欠伸が響く。
「あー、さみっ。こいつら燃すから外に出しちまってくれ。」
敷地の外で死体にファイアで火をつけたリーブラは、ポンポンと放り出される死体も火にくべていった。
魔炎は火種の燃えにくさを問題にせず炭にしていく。
死して魔法力を失った生物の肉体など物の数ではないと、そう言わんばかりに煌々と燃え盛る炎を背にした彼は生け捕りにした野盗を振り返った。
ザクザクと雪を踏み締めて歩み寄った彼は野盗の前に立って頭を杖で小突いた。
今、野盗に見えているリーブラは血肉を持たない生きた骸骨に見えている。
《威圧》で恐慌状態になった野盗が死神のイメージを持ったからであり、血で錆びた鎌で頭を突つかれた野盗は正に死に瀕していると感じていた。
「おい、他の仲間と根城の場所は?」
「ヒィッ!? 殺さないでくれぇっ……殺さないでくれぇぇ……。」
「……無駄口叩くな! さみーっつってんだろ!!」
「ぇえあああぁぁぁぁっ!! 仲間はもういねぇっ。塒は近くの宿だ……扉に鐘が吊るされてる……。助けてくれっ……。」
「今更根性見せても無駄だ。見張ってる奴の気配には気付いてる。」
「はぇぇっ? 本当にいねぇんだよ! 俺たちとは関係ねぇっ……。信じてくれぇぇ……関係ねぇんだっ……。」
野盗の言葉を信じるかどうか決めあぐねたリーブラは視線を感じる方を睨み付けた。
帝都に入ってからずっと感じているのだ。
アッシュもそれには気付いていたが、二人は敢えて無視して出方を伺っていたのである。
そこで野盗の襲来があって返り討ちにした訳だが、仲間なら全滅させられて、まだ張り付いているのは理屈に合わない。
二人は顔を見合わせた。
「どう思う?」
「正直、此奴にまだ仲間を庇い立てできるような根性があるとは思えぬ。追っ手の気配も野盗とは異なるようにも感じるしな。」
「確かにこれだけ長いこと追っていながら、今のがアタックってのはお粗末だわな……。」
「「うーむ……。」」
この時、クラリッサスさえいてくれたならば、面倒事は背負い込まずに済んだのだが……。
今の彼らには知る由もなかった。
「やるぞ!」
「応よ!」
「俺の求めに応えろ、盟友!」
「私の名前を叫べよ、盟友!」
渦を巻く炎が周囲を取り巻き、天に吼える二人の姿を隠した。
「千里を駆ける神なる狼の王よ!」
「千の敵を薙ぎ払う魔導の王よ!」
地響きを立てて円柱状に隆起した大地がリーブラを飛ばし、アッシュは垂直の壁を駆け上っていく。
「共に駆け!」
「共に逝こう!」
虚空から顕現した無数の鎖がアッシュの鎧とリーブラを繋留すると、リーブラが中空で騎乗した。
「「魔狼天技・血風波濤!!」」
炎の壁を突き抜けて姿を現した二人は視線の元に向かって凄まじい速度で疾駆していく。
リーブラの付与魔法を受けて碧い流星と化したアッシュは一足の距離が広がり、走行を超え、跳躍を超え、飛行に至る。
降り積もった雪を突風で巻き上げ、家々を風圧で軋ませる彼らから逃れる術などない。
視線の主を捕捉した。
「私は急に止まれない!!」
気付くと、そこは雪原だった。
リーブラ所持金6020G
アッシュ所持金510G
クラリス所持金16230G
パーティ所持金6447119G




