陸話 要塞都市からの離脱
「私はこっちを持ちますから、あとお願いしますね?」
「相分かった。」
妙齢の子女と図抜けて巨躯の狼人族が朝早くから買い出しで慌ただしく駆け回る。
開店早々にやたらと強面の狼人族に大量の買い付けをされた店主は泡を食って商品を集めて回るはめになり、静かな朝の街がにわかに騒がしくなった。
とまぁ、善良な一般市民の皆々様に多大な迷惑をかけているのはクラリッサスとアッシュな訳だが……。
干し肉、漬けた果実、エトセトラ。
日持ちする食料を買って、いかにもこれから長旅ですよ、と言わんばかりの二人の後には大勢の子供がついてまわっていた。
ワイヴァーン討伐。
たった三人でそれを成したことになっている彼らは帰還して話が広まると、英雄扱いだった。
一目見ようとする野次馬が群がり、憧憬を抱く子供に追いかけられ……。
休む間もない彼らは自然と悟ったのである。
揺れるし、床堅いけど、馬車の方がいい。
「ん〜〜〜〜〜〜…………っ私が引き取りにいきますから、馬車の見張りをお願いします。」
「任された!」
アッシュが壁を蹴って屋根に登ると、そちらが目的の子供たちは奇声を上げて追いかけていく。
朝っぱらから元気にまとわりついて来る小さな軍隊に些かしんどくなった彼は、大きく突き放す跳躍を繰り返して最寄の門へ向かった。
今、馬車にはノノが残っている。
個人的に、というよりは種族的な意味で反りの合わないものの、そこいらの盗賊なら軽く追い返せる魔法力を持った彼女のことは、彼もそれなりに信頼している。
故に、馬車の見張りはノノが担う場合が多い。
特に―――……。
「仲間が一人欠けた状態では、な。」
自身の言葉で生じた動揺が伝わるかの様に、着地した際の力みで建物が微かに震えた。
微かに聞こえた悲鳴を後に石造りの屋根を蹴る。
再度跳躍し、宙に身を投げ出したアッシュは己の不甲斐なさに歯噛みした。
「錯乱しようと共に戦って果てるならまだしも、凍りつき庇われたまま傍観するとはッ…………何と不様な畜生か!!」
数日が過ぎ、混乱から立ち直ったアッシュの胸を荒れ狂う怒りはいよいよ収まりがつかなくなっていた。
戦士たれと生きてきた彼にとって、恐怖に屈してしまったことは耐え難い汚辱。
筋肉が膨れた腕の中の籠がメキッと悲鳴を上げる。
一族の中でも桁違いの才能を持って生まれた彼は、幼少期の訓練で大人に負けたことはあれど、それ以外に敗北の経験は無かった。
まして、敵に恐怖を感じるなど、初めてだ。
今まで心の何処かで、竜種だろうと戦えると思っていた。
その慢心が先の戦いで露になり、無自覚に伸びていた鼻っ柱がへし折られたわけである。
三日眠れぬ夜を過ごし、自害すら考えた彼を押し留めたのが、深い眠りから覚めなくなった友の言葉だった。
―――……しばらく頼む。
最後にそう言って眠りについたリーブラは、ワイヴァーンを討伐した日からずっと眠ったままだ。
死にゆく彼を救った“奇跡”がまだ脳裏に焼き付いていた。
雷の如く荒野を駆け、馬車を置いた地点まで帰ったアッシュはすぐさま鞭を打った。
何かただならぬ事が起こったのだと察したノノも騒々しい移動に文句を言わず行き先に視線をじっと向けている。
ポツポツと暗い紫の植物が生えている以外に何の目印もない道を、迷いなく馬車は進んでいく。
一瞬の間も惜しい。
そう言わんばかりに馬を駆けさせた。
大分歩きはしたが、所詮は徒歩で探索をしつつだ。
ぐんぐんと新しい臭いに変わり、焼けたものとむせ返るほどの血が香った。
ノノも前足で鼻腔を隠す。
「まだかっ……まだかっ……。」
「ちょっと、何があったらこんな臭いがするのよっ……。戦争でも始めたってわけ?」
間延びした喋りが引っ込んで真剣味を帯びたノノが幌の中へ逃げ込んだ。
石を踏んでガタガタと崩壊するかというほど跳ね回る馬車の上で立ち上がったアッシュが目を凝らす。
獣の犬や狼と違い、獣人族の犬族や狼族の視界は色彩を持ち、非常に遠くまで見えるのだ。
人間とは一線も二線も画す感覚に死角はない。
彼の目が、仲間の姿を捉えた。
「戻ったぞ!! いまっ……何だ!?!?」
世界が白亜の光に塗り潰される。
半拍後に棒立ちの肉体を豪風が叩き付けた。
その烈風が純粋な魔力の奔流だとすら判断つけられず、アッシュは地に転がされ、幌は据ぎ取られた。
魔物を死に至らしめることすら可能な咆哮が、掻き消されて自身の耳にすら届かない。
訳の分からない中、必死に這い蹲る。
たっぷり十分は荒れ狂っていたと感じた五秒と少し。
ようやく風が収まってきたと感じた彼が顔を上げた前に、深い蒼が広がっていた。
高く聳える蒼穹の塔は、畏怖に震え上がらせるほど清らかな魔力の塊だった。
そうせざるを得ないと。
それ以外に選択肢がないと。
本能が告げるに従って、その蒼い塔に跪き、敬意を捧げていた。
それは馬車にしがみ付いていたノノも同じだった。
どれだけ平伏していただろうか。
リーブラの元へ行かなければならないと思いながらも、アッシュの肉体は縫い止められたように動かない。
野生の本能がそれ以上魔力の源へ近付くことを許してくれなかった。
やがて、魔力が薄くなり、その残滓を感じるばかりとなった頃に肉体の自由は返ってきた。
困惑は未だ収まらないが、彼は仲間の元へ駆け寄る。
確かに、二人は今起こった“何か”の中心にいたはず。
「大丈夫か!? 一体今のは……?」
「…………アッシュ。」
「リーブラ! 気付いたのか!」
「時間が、ない。ワイヴァーンを……翼と尾、頭、爪……馬車に積めるだけ積んで帰れ。」
「何を馬鹿な! そんなことより早くお前を医者か白魔術師に診て貰わねば。」
不機嫌そうに唸ったリーブラの手が遠慮なくアッシュの鼻面を鷲掴みにする。
多少マシになったが、顔面蒼白で隈もくっきりと見えているせいで異様な凄みがあるリーブラの眼光が光った。
まるで力の入っていない手と違い、凄まじい迫力を醸している。
「ゥグッ…………俺は回復のためにしばらく眠る。クラリッサスはまだ経験不足、だから……討伐は控えることに……。」
「リー……。」
「―――……しばらく、頼む……。」
あれから、言葉通りに彼は眠り続けている。
今でこそ容態は落ち着いているが、初日は魘されて苦悶するリーブラから一分たりとも目が離せなかった。
魔力の枯渇にできる処置がなく、座して見ているしかないことが何より精神を削ったと言えよう。
ワイヴァーンから据ぎ取った部位から仲間で使うものを分け、残りをギルドで一括売却するためにアッシュは離れたが、クラリッサスは頑として腰を上げなかった。
正直、彼は自ら残ると譲らなかった彼女に感謝した。
とてもではないが、あのうわ言を聞いていられない……。
思い溜め息を吐きながら、重力任せに飛び降りた彼は馬車の隣に着地する。
猫と違って重い音を響かせて着地した彼に胡乱な視線を向けるノノの尾が苛立たしそうに床板を叩いた。
「やっと掛かったわねぇ。」
「開いたばかりの店に買い付けたのだ。これでも随分急がせた。」
両腕一杯に抱えた荷物をドサドサと積み込み、御者台に上がった彼は馬車の脇に転がされた人間を一瞥して馬車を出した。
ギルドや国軍、同業者まで、ここ数日は勧誘が引っ切りなしに来ている。
つい昨日、リーブラの眠る部屋にまで押し掛けてきた連中を見せしめにしてからは減ったが、それでも二時間に一回は来ているのだ。
ボロ雑巾にされた挙句、全裸で街の中心部に吊るされた連中を見て怯まないと、打つ手に困っていた。
「これから二人を回収しにいく。」
馬はワイヴァーンの身体を売った金で立派な個体を三頭揃えた。
これで魔物を繋いで牽かせるなんて暴挙に出ずとも快適な旅ができるというもの。
車輪が石を踏む度にゆらゆらと揺られながら、まだ人通りの少ない道を進んでいく。
「問題ないか?」
「待って下さい。下に毛布を足して……ノノ、そちらを……ありがとう。これで大丈夫です。」
「よし。では、帝都に向けて出発!」
ピシッと手綱を振れば、それなりに荷を積んだ馬車が力強く動き出した。
これから概算八日の旅が始まる。
帝都への旅が殊更困難であると言われるが、主な理由は竜の山脈が北に控えている点とほぼ年中雪が降り続ける豪雪地帯だという点だ。
魔物に関しては危険性が少ない。
質量共に大陸一の冒険者が行き来するおかげで都市間の討伐は充分に成されている。
余程、外周りを取らなければ襲われないだろう。
荷台に寝かされたリーブラの毛布に潜り込んだノノは頭だけ出して仲間たちを見遣る。
良いか悪いかを別として、二人の顔付きはここ数日でガラリと変わった。
これからどういう変化を遂げるか想像が着かないが、根本的にはどこか受動的だった二人が自発的に変わろうとしている姿は頼もしいものである。
「(後は貴方が目覚めたら言う事なしなのだけどねぇ?)」
顔色を見る分には快方へ向かっているようで、魔力も随分と蓄えられている。
二、三日で意識の回復くらいはするのではないかとノノは内心で目星をつけていたが、それは安易に言い出せずにいた。
魔術系の基礎スキルはクラリッサスより所有している彼女にだけ見えるものもあったからだ。
リーブラには、正体不明な古代の呪いが掛けられていた。
リーブラ所持金6020G
アッシュ所持金510G
クラリス所持金16980G
パーティ所持金6451309G




