参話 要塞都市
「リーブラ、見えてきたぞ。」
アッシュが顔を突っ込んだせいで薄暗い幌に陽射しが入り、中にいたリーブラは目を瞬かせた。
読みかけの本を閉じて脇に置くと、伸びで背骨をバキバキと鳴らして御者台に顔を出す。
外の明るさはまた別格で、彼ははっきりと目を開けられない。
手で日除けを作ってほんの少し瞼を上げれば、石造りの壁が進路上に広がっているのが視認できた。
「あれは……。」
「帝国の砦だな。ゴーレムで建てたとか云う噂を聞いたが、確かに堅牢そうに見える。」
王国の城壁なども石造りであったりと、別に石造りが珍しい訳ではないが、帝国の砦に使われているブロックは明らかに巨大だ。
これは人力か、人外の力を用いたかの違いなのだろう。
馬車は巨大な門扉に向かっているが、ふとリーブラは首を捻った。
ビッグファングの群れなんか連れて要塞に入れて貰えるのだろうか、と。
「…………なぁ、流石に魔物連れてったら不味くねぇ?」
「む? あぁ、確かに……。」
まだ大分遠いから砦の兵士には見つかってないかも知れないが、このまま押し寄せたら攻撃されるかも知れない。
誰かが先に行って説明しなければいけないだろう。
思わぬ面倒に溜め息を吐いたリーブラは、一番事務能力に長けているクラリッサスを遣いにやろうと決めた。
「ちょっと来てくれ。頼みがある。」
幌の向こうから間延びした返事がしてから、数拍置いてクラリッサスが幕の間から顔を見せる。
リーブラを見、アッシュを見、砦に視線を移すと、得心がいったように頷いて中に戻っていった。
頭の良い彼女は肉体派の考えなどお見通しと云う訳だ。
アッシュも鎧を着けに中に入ると、御者台にポツンと残ったリーブラは頬杖を突いたまま大きな欠伸を一つした。
少し寝不足な上に魔法の気温調節で更に眠気が増したために瞼を開けてすらいられないようだ。
もう舟を漕いでいる。
「あら、涼しいわねぇ。失礼するわよぉ。」
「んう……あぁ、いかん。」
膝に上がってきたノノに唸って返して空を仰いだ彼は目元を擦ったり、首を振ったりして眠気を払おうとしている。
あまり努力の甲斐があるようには見えないのだが……。
「では、門で待つ!」
「あいよー。」
馬車を悠々と抜きさったアッシュに乗ったクラリッサスに手を振り返すと、深い溜め息が漏れた。
小走りでぐいぐい馬車を引いていく狼の背中を眺めながら、何を思うのか。
膝に入ったノノはごろごろと喉を鳴らして顔を擦り付けている。
そうしていると一見見分けがつかないが、普段見せる仕草には明らかに知性が感じられるものだ。
しかし、最も驚くべきは人間の書籍を読んで理解できるという点かも知れない。
知性は御柱の加護を授けられた時に芽生えたとはいえ、それがイコール言語理解に繋がるものではないだろう。
バリバリ
バリバリ
「おい、爪研ぎすんな。」
「あらぁ、いいじゃない。この服全く傷まないんだからぁ。」
「あのさぁ……。」
何とも器用なことに、ノノはにゅっと爪を出すと、尖り具合を見て個々の爪を研いだりしている。
確かに装備特有の防御力は猫の力程度で傷つかないが、自分の膝で爪研ぎされるのは誰でも落ち着かない。
彼女を捕まえたリーブラは膝の中でごろごろと転がして爪研ぎを妨害した。
ごろごろ。
ごろごろ。
「ちょっ……みゃ!……う、にっ!?……あぶっ……んぎゅうっ……。」
「反省したかー?」
「いやぁん! 反省した! 反省したわよぅ!」
持ち上げられるままでろーんと伸びた彼女の尻尾が力強く振り回されている姿を見るに、中々苛々しているようだ。
手を振りほどいて何とか逃れ、ボサボサに乱れた毛並みを見た彼女が悲しげに鳴いた。
「(眠い……。)」
「随分眠そうねぇ?」
「まぁな。」
ここ最近彼が眠れないのはクラリッサスのせいだった。
今までは自分からなんてはしたないと考えていたはずが、何故か積極的になった彼女は夜もくっ付いてくる為に緊張して眠れないのだ。
それを悪意ありきでやるなら対処のしようがあったかも知れないが、やたらと嬉しそうに寄ってくる女を追い返すことは彼にはできなかった。
何が原因で変わったのか……。
それも知らない彼は宿で別々の部屋になるまでひたすら耐える日々を送っている。
「(焦れったいのよねぇ)」
クラリッサスに入れ知恵して自分からガンガン行くように仕向けたのはノノである。
数多の雄猫を誑し込んで鼠や鳥を貢がせてきた手腕は伊達ではない。
夜な夜なアピールの仕方を吹き込んでいるというわけだ。
余談だが、これは後々バレて吊るし上げられるまで続いた。
「俺は寝ます。晩飯まで寝ます。起こしたら大変なことをするでしょう。とても大変なことですよ。決して起こしてはいけません。」
当然ながら入れて貰えなかったビッグファングにはしばらく自由を与え、要塞都市に入れた一行が宿を決めた直後。
そう言い放ったリーブラは引き篭もって部屋を封鎖した。
据わった目と普段は使いもしない敬語に身の危険を感じたアッシュたちの前で静かに扉は閉まった。
呆気にとられた二人と一匹は顔を見合わせ、目を丸くしたまま宿を後にした。
街並みは王都とは全く趣が異なっている。
この街は建物に様々な色で塗装がしてあり、見ている者を楽しませてくれる。
王都はタペストリーの様に布を垂らして壁面を飾っていたが、これは綺麗なものだと一行は賑やかになった。
「ほー、肉屋の看板も絵が違うのだな。」
「帝国は更に進むとぐっと気温が冷え込みますから、牛は繁殖が難しいそうですよ。」
「だから羊が書いてあるのか。」
クラリッサスの肩にいるノノが羊の肉は臭いと零したことから小競り合いが始まりかけたが、通りの先に見えた影に沈黙した。
成人男性が見上げるほど大きいアッシュでさえ仰ぎ見るサイズである。
一行が見たことのあるゴーレムより遥かに大きいそれに近付いていく。
どうやら建物に塗装をしているらしい。
多少知識があったクラリッサスは黒々とした全身から、岩石で形成したタイプなのだと分かった。
「一体あるだけで戦いが随分楽になりそうですね。」
「うむ。強力な魔術や大槌の類でなければロクな傷もつくまい。」
「面白いわねぇ。」
帝国がゴーレムの技術を磨き始めたのは大陸最北端の霊峰に、始まりのドラゴン《オルグヴァーゼ》が棲むからとされている。
全てのドラゴンの頂点に君臨すると言われるオルグヴァーゼに惹かれるのか、霊峰の周囲にはドラゴンが多い。
何かの拍子で下りてくる度に冒険者や兵をやたら殺される帝国が考えたのは、ドラゴンと戦えるゴーレムを造り出すことだった。
そういった歴史があってゴーレムが発達してきた帝国では型落ちしたものが内政事業に流用されている。
軍を引退したゴーレム使いが土木建築に転職していくことで技術が広まるメリットもあるらしい。
もちろん犯罪に使われるケースもあるが、戦場を潜り抜けてきた元軍人が紛れている市井で成功することはまず不可能であると。
「あれ、私にも使えないかしらねぇ……。」
「ノノが? ゴーレムを使う猫なんて聞いたことが……いえ、しかし、魔力もあり、詠唱もできるとなれば……」
「ゴーレムなら私の魔術に当たっても問題ないじゃなぁい? 前衛を気にせず魔術を使えるっていいと思うのよねぇ。」
実際、リーブラは彼女に戦闘をさせようとは思っていないのだが、ノノ自身が自衛のために力を欲しがっていた。
余程、聖域での戦いに無力感を感じたのだろう。
ゴーレムの足元まで来た時、頭で隠れていた操り手が奥側の肩に見えた。
薄いが、染み付いた血の臭いで、アッシュは彼が戦場にいた人種だと気付いて注視する。
野暮ったい格好だが、服の上からでも鍛え上げられた肉体だと分かるシルエットだ。
操り手は気付いていて、知らないふりをしているらしい。
もしくは慣れているのか。
ついぞ、彼が振り向くことはなかった。
過ぎ去ったゴーレムのことを三人が忘れたころ、流れる群衆の雰囲気が変わり始めていた。
防具を纏い、武器を手にした者たちが増えて研ぎ澄まされていくようだ。
冒険者だけでなく、軍人もちらほら見受けられる。
その中でなお、アッシュは注目を集めた。
ある程度の力量を持っているならば、逆にアッシュの強さを感じ取ることもできる。
クラリッサスにしても、既に弱い訳ではない。
強い存在感を放つ新顔にジロジロと興味津々の視線が突き刺さった。
「(不愉快な……。)」
「む、良い武器を持っているな。噂の御仁が鍛えたものか?」
「……ギルドが見えましたよ。よそ見してないでちゃんとついて来て下さいね。」
「おっと、済まぬ。」
今彼らが歩く道の突き当たりに見慣れたマークに織られた布を垂らす建物が見える。
首都から最も遠い都市故なのか、支所の規模は彼らが見た中でも小さい部類に入った。
流石にギルドのマークは変わらないのだな、と考えていたアッシュは亜人の多さにも驚いていた。
特に種族差別がある訳ではないが、気候が暖かい王国では亜人の出稼ぎは少ない。
王国では一割も居なかったが、ここは五割が亜人だ。
「(ん? この臭いはエルフか。)」
臭いがぐちゃぐちゃに混ざって追跡は不可能だが、確かに嗅ぎ取れる臭いにエルフのものがあった。
彼らは亜人の中でも飛び抜けて閉鎖的な種族だ。
しかし、アッシュが彼らを警戒するのは別の問題点についてである。
エルフは一般に知られる様に、非常に長命であり、魔術に深遠な理解を求める種族である。
従って、長い時を生きる彼らは必然と魔術を良く修め、同族内で婚姻に至るのが通常だ。
しかし、彼らが最も重視するのが魔力及び魔法力と知識であり、それらが高い水準にあれば他種族からも伴侶を選ぶこともある。
何故か絶世の美男美女ばかりの彼らに迫られ、着いていったら外界と隔離された里に監禁されるという話は森の住人の間では有名だ。
アッシュは以前リーブラがエルフの臭いを付けて来たこともあり、攫われてしまうのではないかと警戒していた訳である。
「(求婚を断られたエルフが睡眠魔術で相手を眠らせたまま拉致したという話もあるからな……。)」
「さっきから何故落ち着きがないのですか? らしくありませんよ。」
「少しばかり気になることがあったのだが、もう大丈夫だ。 」
「これだから“犬”は嫌なのよねぇ。優雅じゃないわぁ。 」
「あァ?」
「はっ!」
「やめて下さい。みっともない。貴きものは気高く優雅に凛としているものです。」
「私たちは粗にして野を往く冒険者なのだがな、元貴族令嬢よ。」
「心意気の問題よ!! 全く……。」
肩を怒らせてギルドに突入していったクラリッサスに慌てて続いたアッシュは、内部を見て驚きの声を上げた。
煌びやかな装飾が施され、内部の施設の充実感も今までの比ではない。
パッと見ただけでも医薬品の販売所に飲み物を提供しているカウンター、仮眠所の案内板まである。
利用者も明らかに騎士階級の者や軍人が混ざっている。
冒険者と上流階級には多少の軋轢があるのが通常だが、杯を交わす彼らからそんな様子は見受けられない。
“身を立てたいならば帝国に行け”という冒険者の間で囁かれる言葉は間違いではなかったか、と彼は開いた顎を閉じた。
「王国のギルドとはまるで……。」
「ギルドとの連携を密にしているとの噂は真だったか。素晴らしい。」
「あらぁ? ミルクも置いてるらしいわぁ。少し休憩していきましょうよぅ。」
「あっ、ノノ!?」
腕の中から飛び出して飲み物のカウンターに駆けていく彼女はスルスルと人混みを抜けた。
クラリッサスとアッシュは何とか掻き分けて追っていく。
特にアッシュは体が大きい分大変で、直ぐに諦めて流れのままに依頼書の掲示板へ向かっていった。
「あん? 誰だ、こんなとこに猫連れてきたのは?」
「まぁ、どうしたのー? 御主人様はどこかなー? ここは危ないから入ってきちゃ“めっ”よ。」
「飼われたつもりはないけど、リーブラなら宿で寝てるわぁ。それよりミルクを頂戴。一等良いやつよぉ?」
「ぶふほっ……喋ったァ!?!? 」
「えっ、えぇー? 獣人じゃないのに猫が喋るなんて聞いたことが……。」
「ああ、もう! 早速騒ぎを起こして……リーブラといい貴方といい、どうしてそうなのですか。」
ひょいとノノを抱き上げて椅子に座ったクラリッサスは、チラリと掲示板の方を見てから視線を戻した。
目を剥いているギルド職員と冒険者を手で制すと、ノノも見えるように抱いてキリッと表情を締めた。
「私たちは魔法使いリーブラを長としたパーティの一員です。私は魔術師クラリッサス、こちらは愛の師匠ノノです。」
「「え? なんて?」」
「愛の師匠ノノです。そして、あそこにいる巨躯の狼人族がアッシュといいます。」
何やら人を逆さ吊りにして揺すっているアッシュを紹介し、クラリッサスは一仕事終えたように息を吐いた。
ギルド職員と冒険者も関わる気はないのか、アッシュを視界から外して平常通りに戻っていく。
催促されてミルクを出した職員はさり気なく遠い方へ逃げ、冒険者は明後日の方角へ顔を背けてしまったが……。
「アッシュが依頼書を確認してきたら、街を観て回りましょうか。」
「どの道、夜までは起きないんだから、そうするしかないわねぇ。次の作戦のために買い出しもしたいし、丁度いいわぁ。」
「とうとう次の作戦ですね。緊張してきました。」
「いいわよぉ。緊張した雌を見ると雄は奮い立つんだから。」
「はい、師匠!」
リーブラ所持金6380G
アッシュ所持金1090G
クラリス所持金17230G
パーティ所持金69409G




