壱話 平原での戦いⅠ
ガタガタと不規則に揺れる幌馬車の中、クラリッサスが険悪な面持ちで外を眺めていた。
流れる景色をぼんやりと見送りながら、彼女は自身の中では婚約者である青年の声を待っている。
些細なことから始まった喧嘩だが、こういう時は男から歩み寄って欲しい。
それが彼女の望みであった。
故に、こうして特別怒っているふりをしている訳だ。
彼がしたことを、もっと甘い言葉を囁いて大事にしてくれてもいいはず。彼は冷たい。
というのが、彼女の主張である。
まぁ、実際に誘拐された挙句に散々恥を晒して帰され、仕事を首にされて実家に幽閉させられそうになったのだ。
妥当であるとも言える。
「(それをリーブラときたらっ……抱き寄せて慰めるでもなく無かった様にして!!)」
彼が距離を縮めてこないために丁寧な喋りを止められないのも少しストレスとなっているかも知れない。
一方、肝心のリーブラは書庫から盗んできた魔術の本を読んでいた。
彼女が気になってチラチラと見てはいるが、こういう時にどうしたらいいか分からないのだ。
女遊びなんぞしたこともないし、恋愛経験も片手で数えられる程度しかない。
歯の浮く台詞の一つや二つも軽く口にできれば機嫌が取れたものを。
「(初な連中ねぇ……。)」
リーブラの膝で面白がっているノノはともかく、パーティの雰囲気は悪くなっているのは頂けない。
何せ早々に馬車を引く側に逃げた者がいるくらいだ。
これで魔物との戦闘でもあればストレスが発散されたのかも知れなかったが……。
ビッグファングに引かれた馬車を襲うくらい強い魔物がそこらにいる訳もなく。
むしろ、アッシュに率いられて狩りに行き、食料を納めにくるものだからやることがない。
「(これだから女ってのは面倒臭い。)」
リーブラの名誉のために補足すれば、彼は既に謝ってはいる。
ただ、クラリッサスからすれば物足りなかったというか、我慢の限界がきたということだ。
だからリーブラもどうしていいのか分からない。
怒っている女と拗ねている女の違いは彼にはまだ早過ぎた。
数時間走り続けた馬車が減速し始めたことを感じ、リーブラは御者台から頭を出して周囲を見渡した。
別段何があるでもない。
狼が腹を減らしたのだろうかとも思ったが、いつもはもっと長いこと走っているはずだ。
「アッシュ? どこ行ったんだ?」
「すまない。ここだ。」
「!? ……何で止まった?」
「あぁ、それなんだが、右手の丘の向こうから戦闘の気配がするのでな。」
いくらリーブラとて、探査系の魔法を使わない限りはヒューマンと同じ感覚しか持たない。
大分離れた場所の戦闘なんかは確認のしようがないのだ。
アッシュの指した方を見て曖昧な返事をすると、どうでも良さそうな顔で続きを待っている。
彼としては息も切らさないビッグファングのスペックが気になるようだった。
「助けに行こうとは思わんのか?」
「商人の馬車でも護衛くらいいるだろ。よほどの雑魚じゃなけりゃここいらの魔物くらい倒せるから平気だって。」
「いや、襲っている魔物からは強い臭いがするのだ。もしやはぐれ者かも知れん。」
ふーん、とぼんやりした返答に焦れたアッシュに首根っこを掴まれたリーブラは観念した様に溜息を漏らした。
支援魔法を重ねれば分からないが、力では敵わない。
外に引きずり出された彼は馬車から杖を取って寄り掛かった。
暑苦しい太陽を忌々しそうに睨み、フル装備の二人が出てくるまで御者台の下に潜る。
「あ、こら……暑いだろうが。入ってくんなよ。」
どうやら同じく涼を取りに来た狼達のせいで、馬車の影になっているところも暑くなってきていた。
ぞろぞろと集まってからあっという間に隅の方に追いやられてしまい、彼は仕方なさそうにぼそぼそと呪文を唱える。
極力規模を小さく《クールゾーン》を使ったが、太陽光線は防げない。
ジリジリと熱を持つ装備のせいで否応なしに汗が滲んだ。
「死ぬ。死ぬわ。俺きっと戦闘とかじゃなくて暑さで死ぬわ。」
「本当に軟弱だな。クラリッサスだって我慢しているというのに。」
「うっせぇ。インドアなめんな。」
「いんどあ? まぁ、いい。早く乗れ。」
ノロノロと這い出てきた彼の前で四足になったアッシュは軽銀の鎧を纏っていた。
四足で人を乗せることを考慮して、鐙の様に細工がされている。
そこに彼が跨り、後ろからクラリッサスが抱き着くように座って高速モード完成。
「では、行くぞ。」
『ゲイル』
アッシュと六頭に速度上昇の支援魔法が行き渡ると、三人と一匹と六頭は矢の様に動き出した。
流れる景色は速過ぎて判別が難しい。
対物障壁で防いでいるが、本来なら風は装備を引っ剥がすほど強い。
一行はあっという間に丘を駆け登っていく。
「血の匂いが濃い。何人か殺られたようだ。」
「魔物の臭いじゃないのか?」
「嗅ぎ間違えたりはせんさ。」
丘の頂上に近付いて速度を落としたアッシュが跳躍して一気に丘を越えた。
障害がなくなって視界が開けた三人は戦場を確認する。
丘の麓から少し行った辺りだろう。
馬車を守るようにして四人のヒューマンが魔物と戦っている。
その周囲に赤い点が五つ。
内二つは魔物の物だ。
「ハウンドが五、アレは……タロンか?」
タロンとは魔物の系統であり、ハウンド系やファング系と違って、モデルが単一の獣ではない強力なタイプだ。
手足は熊で、体は狼、頭は何だか分からないが、醜くて巨大な角が二本生えている。
しっかりしたタンクが居れば狩り易く、居なければまぁまぁ危険な魔物。
やたらと大きい鈎爪と角は斬撃と貫通属性がある。
「俺がタロンを足止めするから周りのハウンドを十秒で蹴散らして来い。」
「分かった。」
「いいでしょう。」
直に接敵するタイミングでアッシュが《咆哮》で戦場を揺らした。
ハウンドは力の差から萎縮し、タロンは警戒意識を彼に全て向ける。
戦場に一瞬の空白が生まれた瞬間、狩人が雪崩込んだ。
アッシュの牙で首を捥ぎ取られたのが一、クラリッサスに頭を蹴り砕かれたのも一。
ファーストアタックで二頭死に、何とか逃れた三頭もファングの牙で血塗れにされていた。
「んっんー、どうするかな。縛り付けてから二人にスキルで嬲らせてもいいんだが……。」
魔物にそういった感情があるかは不明だが、タロンは無遠慮に値踏みしてくるヒューマンに困惑しているように見えた。
怯えるか闘争心剥き出しで向かってくるかだったが、何もせずジロジロ見てくる者などいなかったからだろうか。
しかし、そんなものも直ぐに魔物の本能に飲まれてしまう。
殺戮衝動に突き動かされるままに右腕を振るい、タロンは宙を舞った。
「!? ???」
もんどり打って背中を強かに打ったタロンは素早く立ち上がってヒューマンを見、辺りを見渡した。
他の増援はハウンドを狩っていて、元からいたのは棒立ちになっている。
タロンと戦闘状態でいるのは目の前のヒューマンだけだった。
元からヒューマンを越していた巨体が二足で立ち上がった。
ゲームでは体力を大幅に削ってから発動する、所謂“マジギレ”だったが、現実的では正に機嫌次第だったらしい。
「バアァウッ!」
リーブラの三、四倍はあろうかという高さから振り落ろされた鈎爪が対物障壁を掻いた。
斬撃属性の青白い燐光が五本。
障壁にギャリッと弾かれた右腕を引き戻す前に、左の肩を強かに殴られたタロンが転げ回る。
「頭が高ぇんだよ、オラァ!!」
今度は立ち上がることすらできずにタロンは無理矢理地面に這い蹲らされた。
どれだけ力を込めても己の身体が悲鳴を上げるだけだったが、魔物は無我夢中で足掻き続ける。
二度打ち据え、今も哀れな魔物を押さえ付けているのはただの対物障壁だった。
しかし、たかが障壁と思うことなかれ。
操作自由、強度は魔法力次第の障壁は近接距離における魔法使いの最大の武器なのだから。
リーブラ自身が発見し、見つかった当初はノックバック無効を利用した、障壁二枚で挟む“壁プッチン”が物議を醸した。
何せステータス差がどれだけあろうと障壁二枚あれば必殺できるのだから洒落にならない。
即日で修正が入ったが……。
「ジュウビョウとやらには間に合ったか?」
「さぁ。数えてないし。」
チラリと辺りを見渡したリーブラは輪切りや黒焦げになったハウンドを見て視線を戻した。
どうしたものか、と考える。
彼の中で最終的に殺すのは決まっているが、そこに至るまではどうするのが効率がいいかが問題だった。
うんうんと唸る彼は頭の中で様々なパターンを思い描いては消す作業を繰り返す。
適度に攻撃が脅威で耐久性もバッチリな魔物を見て、彼の人種特有の勿体無い精神が発揮されているのだ。
「何を悩んでいるのだ?」
「んー? いやさ、折角いい感じの獲物を捕まえたんだから、上手く活用して訓練に使えねーかなー、と。」
「…………確かに万全の状態でこのクラスの魔物相手に戦闘ができるのは魅力的だな……。」
「今までは中型の魔物までしか遭遇しなかったからなぁ。そろっと大型の狩り方も………………あっ。」
何を思い付いたのか、彼はジロジロとクラリッサスを値踏みする。
然りげ無く胸や尻を隠した彼女から視線を外し、前にしゃがみ込んだ彼を見た魔物が、明らかに怯えを見せた。
「喜べ。寿命が延びたぞ。」
杖から現れた鎖がジャラジャラと擦れる音が、見ている者にはタロンに逃れえぬ運命を告げている様だと思わせた。
足首に巻き付いた鎖が障壁の解除と同時にタロンを持ち上げる。
逆さ吊りにされたタロンは半狂乱になって暴れ回るが、鎖はビクともしない。
「くひっ、ひ、ひ、ひひ、ひひひひ……。」
「(私も逃げたい……。)」
「(魔物に憐れみを感じるとはな。……リーブラといると飽きん。)」
リーブラ所持金8520G
アッシュ所持金4090G
クラリス所持金19030G
パーティ所持金73409G




