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<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

愛の責任

作者: 星吊 沙

R-15、残酷描写あり、になっておりますが、

人によってはそれ以上と感じる場合があります。ご注意ください。

 雨の日に、猫を拾った。

 ざあざあと雨粒が降り注ぎ、風もまた吹いて、

傘など意味を為さないような日に、その猫は電柱の下、段ボール箱の中で丸くなっていた。

触れてみれば外側の毛皮は雨に濡れそぼって冷たいが、

奥底はまだ温かく、とくん、とくん、と弱々しい心音が感じられる。

段ボールの中には、水も餌も置かれていた気配はなく、

ああ、この子は本当に、何の情もなく捨てられてしまったのだ、と分かった。

それが、彼女にフラれた傷心に響いたのかもしれない。

普段ならば、可哀相にと他人行儀にひと撫でして去る所だが、

私はその猫を抱きかかえて家に帰った。

 ジャケットの中に丸くなった猫をいれて、

落っこちないように、けれど潰してしまわぬように、必死に片手で支える。

走り出せば、本当に傘は意味を為さなくなって、びしょ濡れでアパートまで帰った。

上着は濡れて、雨水は下に着ていたシャツにまで染み込んでいる。

寒さに身ぶるいして、ほのかにあたたかい腹部を見下ろした。

 猫はまだ、目をつむって丸くなっている。

カタカタと、小刻みに震える体が不憫だ。

 ああ、この子の方が私よりずっと寒いのだ。

 いつからあそこにいたのだろう、ほんのわずかしかないぬくもりに不安と憤りを覚えて、

それでも今は命をつなぐことが優先だと、薄い毛布でその体をくるんだ。

 ――こんな風に命を拾うのは初めてで、どうしたらいいか分からない。

 温めるより先に体を拭いた方がいいのか、と後で気づいて、

くったりと毛布に体を預けている猫に小さく謝りながら、タオルで優しく拭いた。

電気ストーブをつけて、のぼせないであろう位置に猫を包んだ毛布を置く。

何が起こるか分からない、何があるか分からないので、

体を拭くのも着替えるのも、自分のことはすべて同室で行った。

 ……おかげで、床が水びたしだ。

 冷蔵庫から缶ビールを出して、胡坐をかいて座る。

恋人に捨てられた日に、捨て猫を拾うだなんて、

随分と私も情にほだされるようになったと言うか、ありきたりな人間になったと言うか。

 何となく膝の中に猫をいれて、その小さな体を撫でながら、ひとりむなしく酒を飲んだ。




 ――1日、2日と不安だった日々は過ぎて、猫はすっかり元気になった。

茶とらの毛並みは、短毛ながらきれいに整い、

毛づくろいを小まめにしているからか、いつも埃ひとつない。

にゃあ、にゃあ、と高い声で鳴く姿はとても可愛らしく、

初めは何となく距離を置いていたのに、今ではすっかり彼女の虜だ。

 ……そう、彼女。猫はメスだった。

 特に問題もない事柄だったが、一時だけ問題が生じたことがあった。

 それは、名前をつける時。

 生憎、私はネーミングセンスというものがない。

 と、いうか、幼少の時より名前をつけるような生物を飼ったことがなかった。

飼ったことがあるものと言えば、メダカ、金魚、カメ……。

メダカは常に5匹以上いたし、金魚も見分けのつかない同じ品種のを3匹ほど。

カメに関しては、弟がとってきて、母親が世話をしていたため、私は完全にノータッチだった。

それに弟も母親も、家族みんな、カメ、としか呼んでいなかったように記憶している。

 言ってしまえば、私は初めて、何かに名前をつけるのだ。

もし猫がオスならば、適当に決めたような気もするのだが、

何となく、メス、となると、適当な、変な名前ではいけないような、

そんな妙な緊張があって、なかなか決まらなかった。

かと言って友人に相談するのも、そんな事で悩んでいるのか、

そんな事を真面目に考えているのかと笑われそうで、結局ひとり頭を抱える。

 猫、と言って浮かぶ名前は、タマ、とかだろうか。

だがそこまでベタだと、考えなしに決めたようで何か小さな罪悪感がある。

 とすれば、ミケ? ……そもそも、彼女は三毛猫ではない。

 ならば、トラ? 可愛いメス猫にたくましい名前というのもどうなのか。

 ポチ? ――いや、それは犬か。

 グルグル悩みに悩んで結局、ハナ、という名前をつけた。 

花のように可愛らしい子、と、まあ、小恥ずかしい由来だ。

何か花の名前でもいいのではないか、とも思ったのだが、

あいにく詳しくないため、そのままストレートにつけた。

その上、浮かぶ花と言えば、アサガオ、アジサイ、ヒマワリ。

そんな名前に不向きだったり、小柄な彼女に似合わない大輪の花が多くて、

それでやめたというのもある。

まあ、何にせよ、名前はハナに落ち着いた。

今では、ハナ、と呼べば一声鳴いて私の足元にすり寄ってくる。

 ――名前とは、重要なものだと再確認した。

 自分で名前をつけて、呼んで、それに応えてくれる。

それだけで、なんと愛おしさの増すことか。

ごろごろ、と喉を鳴らすハナが可愛らしくて可愛らしくて、

失恋直後だというのに、私の心は安らいでいた。

周りにもそれは伝わったようで、もっといじけているかと思った、などとからかわれる。

そのセリフに少し沈みもするが、新しい恋人が出来たのだ、と冗談を言って、

食いつく友人に、猫だけど、と落とせばそれで話も流れていった。

 ある意味、ハナとはあの日、運命の出会いだったと言っても良い気がする。

 捨てられた者同士仲良くしよう、などと、苦笑まじりに彼女に話すこともあるくらいだ。

あの日でなければ私は彼女を見捨てただろうし、

あの日からだったからこそ私は彼女をこんなにも愛しているのだろう。

 それに、帰ると誰かが待っていてくれる、それはとても嬉しいことだった。

 おかえりなさい、と言うように高く鳴くハナを抱きあげれば、

いつも決まってぺろりと鼻先を舐めてくれる。

 ハナは食い意地もはらず、食事はふたりして床に座って、

私はテーブルの上の食事を、彼女は床に置かれた皿の上のキャットフードを並んで食べた。

いつも彼女の方が先に食べ終えて、その後はそっと私の膝もとに寄り添って丸くなる。

 本当に、愛らしい。

 勿論それは家族愛でも恋愛でもないが、私は確かにハナを愛していた。

彼女も私を好いてくれているのだと、しっかりと感じとれる距離だった。

 ――だというのに。

 共に暮らすようになって2年目が経とうとする頃、ハナの様子がおかしくなった。

 調子が悪いわけではない。食事も水分もいつもと同じくらい摂る。

おかえりなさい、と鳴いてくれるし、遊んで、と私にすり寄ってくる。

元々大人しい子ではあるが変わらず元気はあるし、異変と見られる体調はない。

 けれどいつも通り、おかえりなさい、そう鳴く彼女の足元に、

最近は、虫やらトカゲやらが転がっているのだ。

 ……私は、ハナを外に出したことがない。

 窓もドアもすべて閉めて外出する。私が家にいる間、彼女は外に出ない。出れない筈だ。

締めっきりとは言え、夏はエアコンを入れていくし、

問題も、彼女が外に出れる場所も、ないはずだ。

けれどハナがとってくる獲物は、必ず、セミやトカゲなど大きな獲物。

私が住んているのはアパートの2階、ベランダはない。

――どこからとってくるのだろう、と思いつつも、

獣医にこの行動について尋ねれば、愛情表現のようなものですよ、と朗らかに苦笑された。

猫が飼い主に獲物を渡すのは、愛情表現だとか、

養っているつもり、だとかそういう風に言われているらしく、獣医が苦笑したのはこのためだろう。

 愛情表現。

 養っているつもりだとしても、そこに愛があることには変わりはない。

だとすればこの行動も嬉しいが、知らない内にハナが外に出ているのでは、と思うと心配になった。

厳重に戸締りをする、帰ってきてから確認してもどこもカギは開いていない、

だというのに、彼女は今日も獲物をとってくる。

 セミ。

 トカゲ。

 カマキリ。

 大きなガ。

 大きなクモ。

 流石にガやクモの時は動揺してしまった。女郎グモ、とでも言うのか。

長い脚をまだピクピクと動かしながらハナの足に踏まれるその姿に、ぞっ、と鳥肌がたった。

今は慣れてしまったが、トカゲの時も驚いた。

セミやカマキリと、そう大きさは変わらないのに、

血が流れている、それだけでこうも不気味なものか。

 そして徐々に、獲物は大きくなっていく。

 ネズミ。

 鳥のヒナ。

 スズメ。

 びちゃ、と玄関に血を撒き散らして、

引きずられた跡さえ残しながら、それらはいつも横たわっていた。

獲物が虫から動物に変わった時、吐き気がした。

これは猫の狩猟本能なのだと、自然では当たり前のことなのだと、

何か理由をつけて、目の前の死に納得しようとする。

それでもとれた首が、折れた羽が、潰れた腹が。

 ハナには何度も、言って聞かせる。

 いらないよ。

 もうしないでくれ。

 これは、やっちゃいけないことなんだ。

 彼女は賢い。いつも優しく咎めれば、分かってくれた。

 トイレの場所も。

 テーブルの上には乗ってはいけないことも。

 壁や柱で爪を研いではいけないことも。

 ドアを開けてはいけないことも。

 タンスをこじ開けて中をほっくり返してはいけないことも。

 たった一度、その目をじっと見て、ダメだ、と言うだけで分かってくれていたのに。

 野生の世界ならば、これらをとることは自然の摂理だし咎められることではないのかもしれない。

彼女の野生の本能がこの行動に繋がっているのなら、言って聞かせてもムダなのかもしれない。

それでも帰る度に出来る玄関の血だまりに、無残な生物の姿に、

私は日に日にドアを開けるのが億劫になっていた。

 今日は帰らなくても……。

 一日くらい、平気だろう……。

 何度もそう思った。

 けれどその度、あの段ボールの中で震えるハナが思い出されて、

何の苦痛もないように私に別れを告げた彼女が思い出されて。

彼女を捨ててしまったら、私も彼らと同じじゃないか、と、

罪悪感に責め立てられて、結局はドアを開けることになる。

 みゃあ、と高い声。

 自慢げな、嬉しそうな声の下には、いつも死骸が転がっている。

 そして獲物は、大きくなっていく。

 初めは虫だった。

 それが、鳥になりネズミになり。

 ――そして彼女は今日、子猫を殺して持ってきた。

 思わず持っていたカバンを落とす。

まだ毛も長くなりきっていないような、あどけない小さな体。

白黒まだらの、尻尾の短い――、首のない子猫。

切断部から細い骨が見えて、生々しいそこからはまだ血が流れている。

そこに添えられた、繋がっていたはずの頭はいやに綺麗で、

眠っているかのような表情で、床に転がっていた。

 ハナが鳴く。

 にゃあ。にゃあ。

 高い声で。

 ぞくぞくと心臓が凍りついて、体の震えが止まらない。

ハナを咎めるのすら忘れて、家の奥へ駆け込んだ。

窓をすべて確認する。カギはちゃんとかかっている。後から取り付けたロックも外されていない。

絨毯をめくる。タンスをどかす。抜け出せるような穴はない。

今日だってちゃんと、鍵を開けて私は帰宅したのだ。

どこにも、どこにも、出口なんてないのに。

 にゃあ、にゃあ。

 ハナが私の足元にすり寄ってきた。思わずビクリと体を震わせる。

見て見て、褒めて、と言うように、ことりと彼女は、子猫の首を口から落とした。

「――やめてくれ!! 何度も言ってるだろ! こんなことしないでくれっ!」

 思わず、彼女に叫んだ。

 ハナは、みゃあ、といつもより高く鳴いた。




 ドアを開けるのが、恐ろしくなった。

ためらわれるのではない。嫌なのではない。――怖いのだ。

錆びついたような色の、時間の経った血の跡が。

ごろりと転がる死体が。まだ血の滲む、傷痕が。

 見たくない。見たくない。

 もういやだ!!

 どうしたら分かってくれるんだ。

 自宅のドアの前でしゃがみ込む。

獣医にそれとなく、どうやったら止めさせられるのか聞いてみたりもした。

けれどあの男は笑うばかりで、虫やネズミなら害虫を退治してくれたと思えば良いんですよ、などと言う。

 ――子猫を殺してきたのだとは、言えなかった。

 しかも、1匹や2匹ではない。このごろは猫の出産時期なのか、まだ目も開いていないような子まで、ハナは。

アパートの裏手の小さな庭、近所の公園の森、私は何度、死体を埋めに行けばいい?

 震える足で立ち上がる。

 手が震えて、カギ穴にカギが入らない。

 ガチャガチャと鳴るその音すら怖くて、怖くて、逃げだしたくなる。

 けれどその意思を察したように、薄いドアの奥から声がした。

 にゃあん……。

 カギを開ける。

 ドアを開ける。

 目に入ったのは、――人の腕だった。

「……っ」

 声も出ない。

 逃げ場を塞ぐように、ドアが閉まった。

 血だまりがある。

 赤茶色に変色した血だまりがある。

 肘から下の、腕がある。

 噛みちぎったような不格好な切断部、骨が見える。

 とく、とく、と、まだ血が流れている。

 右腕か、左腕かは分からない。

 ただ、中指に、見覚えのある指輪がはまっていた。

 ズルズルと、その場にしゃがみ込んだ。

8月の誕生石、ペリドットで出来た四つ葉のクローバーがついた銀の指輪。

 知っている。

 知っている。

 アレは彼女の指輪だ!

 私にそっけなく、さようならを言って去っていった、彼女の指輪だ。

 私が、2年前の8月に誕生日プレゼントとしてあげた、指輪だ。

 彼女に幸福が訪れますように、と、そう、願って……。

 みゃあ。

 ハナが鳴く。その声に体が縮みあがった。

 みゃあん。

 鳴く、鳴く。甘えるような高い声。

 耳を塞ぐ。それでもなお、頭に響く高い声。

 その声を発する口が、落ちている腕の、指輪のはまっている中指を舐めた。

ざりざりとした舌が、指輪と指の付け根のはざまを舐める。

さり、さり、とヤスリをかけるような音がして、ごり、と骨を噛む音がした。

「ひ……っ」

 悲鳴は声にならず、ただ甲高い息だけがもれた。

ごり、ごり、と鋭い牙が骨を断つ音がする。

 やめろ。

 やめろ。

 やめてくれ!

 止めなくては、そう思うのに体が動かない。

無様に床に腰をついて、逃げだすことも目を離すことも出来ない。

低い低い、骨を削っていく音が聞こえる。

恐怖に涙が流れて、いくら耳を塞いでもその音は指の隙間をすり抜けて、脳髄を痺れさせた。

 血が、流れていく。滲んでいく。

 綺麗だったハナの毛並みに、口元に、赤い赤い色が広がっていく。

 やがて、ガチン、とその牙が噛み合わさる音がした。

ハナに噛みつかれ少し浮いていた腕が、ぼたりと落ちる。

彼女は口も開けずに、にぃ、と鳴いて、私の元へ寄って来た。

私の太腿に前足を載せて、顔を近づける。

ぱくり、と開けた口の中には、噛みちぎった、

指輪のはまった指の一部が転がっていた。

だらだらと、唾液と血液が混じったものが滴って、私の手に落ちる。

 にゃおん……。

 私の首元に擦り寄って、甘えた声で鳴いた。

言葉は分からないのに何かに促されて、ハナの口元に両手を差し出す。

そこにぽとりと、指の破片が落とされた。

なまあたたかい温度、濡れそぼったそれに体の震えが増す。

上がり、浅くなる息に、ハナが私の口元を舐めた。

 笑うように、その目が細められる。

 にゃあん。

 ゆらり、意味ありげに揺らされた尻尾。

考える暇も考えられる余裕もなく、それに命令されたように、

私はその指輪をハナの尻尾にはめた。

するりと尾の付け根までそれは下りて、上機嫌そうに彼女は尻尾を揺らす。

ごろごろと喉を鳴らして、いつもよりも強く、私の胸に体をすりつけた。

 ――愛情表現。

 転がった腕と、まとわりつく温度にその言葉を思い出す。

 愛情? これが?

 こんな、歪んだ血みどろのものが、愛情?

 自分に甘えてくるハナを見下ろす。 

 ならば、捨ててしまおうか。

 私を捨てたあの日の彼女のように、私も……。

 ――私も、ああなるのか。

 飼い主の責任、そんな言葉が思い浮かんで、捨てられていたハナを思い出す。

さようなら、もう会わないわ、冷たく突きつけられた言葉を思い出す。

 愛情表現、またその言葉が浮かんで、噛みちぎられた腕が目に入った。

 捨ててはいけない。

 そんなこと、してはいけない。

 それは責任から逃れることだ。目をつぶることだ。

 震える手で、ハナを抱きかかえる。

ごろごろ、甘える声、踊る尻尾に、応える手も声もない。

 ――台所の引き出しから、包丁を取り出した。

捨てるくらいなら責任とって殺してよ、という、

話を書こうとしたら色々脱線しました。

 鳥、魚、動物、虫…の死を、人間と同等くらいに、

残酷で重々しい感じに描けるようになりたいです。

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