第五話 誘い
「イジスタさんが取り込まれました!現在行方不明です」
「・・・何だと?」
7月8日、午後6時47分。セイント・ラヴィエル隊長は泡を食った。
顔を真っ青にしたアデルが騎兵隊長室のドアを乱暴に開けて、助けを求めに来たのだ。
ラヴィエルが眉を吊り上げて何事かと問い詰めても、アデルはとにかく来てくださいの一点張りで全く要領を得なかった。
訳もわからぬまま腕を引っ掴まれ、事務所本館を飛び出て正面門に引っ立てられた。
そこにはついさっき小規模なテロを無事鎮圧して戻ったはずの2班の男たちが、何故かオロオロした様子で突っ立っていた。
アデルの手を振りほどき、ラヴィエルは駆け寄った。
「何だお前たち?リベルとサンディはどうした?」
ギムサ、ピエット、リゼックの3人は顔を見合わせ、何と言ったらよいか分からずまごついていた。
煮え切らない部下たちを隊長がひと睨みし、はやく言えと一喝するとギムサが素早く答えた。
「イジスタさんが取り込まれました!現在行方不明です」
「・・・何だと?」
ラヴィエルは目を見開いた。想定していた中で最悪のパターンだった。
何て事だ。昨日の今日でこんな事になるなんて。
「メルアか?」
「はい。他にも数名居ましたが、メルアはイジスタさんを盾に逃げました。他は淘汰しましたが」
「そうか・・・ややこしい事になったな。それで、サンディは?あいつをなだめているのか?」
「そうです。もう僕らはどうしたらいいのか・・・」
「わかった。お前らは状況をまとめてハンスに報告しろ。
ここでお前達ができる事は、すまないが無い。アデルはサンディと一緒に付いていてやれ。多少は落ち着くはずだ」
大急ぎで事務所に戻ろうとすると、アデルが甲高く叫んだ。
「待ってください!ラヴィエル隊長はどうするんですか?!」
アデルの金切り声に仰天し、思わず急停止した。
「何だよ?!どうって、まず所長と役所に連絡しないと」
「受付の人じゃダメなんですか?班長に説明してもらいましょうよ!」
「他の隊員達にも伝えないといけないだろう。各部屋の内線番号は隊長室にあるから、どのみち・・・」
「この際、館内放送でいいじゃないですか!
とにかく隊長じゃないとダメなんです!僕と姐さんじゃ・・無理です!!」
数秒、見合った。
何の事を言っているのかようやく理解し、ラヴィエルの困惑は更に広がった。
「な・・・何言ってるんだアデル?!お前たちで無理なら俺でもダメに決まってるだろ!」
「そんな事ありません!イジスタさんが居ない今は、もう隊長しか・・・」
「ハンスに頼め!イジスタさんとお前達以外にも友人はたくさん居るだろ?!」
「隊長がいいんです!お願いします!」
「いや、そんなことは無い!だって俺は・・お前らみたいに四六時中リベルと喋ってる訳じゃないんだし、それに・・」
ラヴィエルの及び腰に耐えかねたアデルが、真っ直ぐに紺青の眼を見据えて叱り飛ばした。
「どうして逃げるんですか!リベルが嫌いなんですか?!
何か起きた時、リベルがいちばん頼りにしてるのは隊長なんですよ!!
普段喋ってるかどうかなんて関係ありません!お友達じゃ出来ない、あなたにしか出来ないことがあるんです!隊長ッ!!」
物凄い剣幕だった。
小柄で気の弱いアデルがこんなふうに声を荒げる所など、想像も付かなかった。
ラヴィエルはあっけにとられ、何も考えられず唯々諾々と腕の引かれる方へ走った。
同じく茫然としていたギムサ達も、駆け足で事務所に向かっていった。
正面門を出て100メートル余りの歩道に、ふたりは居た。
暗くなり始めた空間に、細身で長身の女性が身を屈めて少女の背中を撫でているのが確認できた。
近づくにつれ恐慌をきたしそうになる精神をどうにか鎮めるため、アデルに悟られぬように長い深呼吸をした。女性を慰めるなど、ラヴィエルにとって(むしろラヴィエルになる前から)前代未聞の大業だった。
しかし、ホッとした表情を見せるサンディの手前、あからさまにあたふたすることも出来なかった。近くにしゃがみ込むと、聞こえたのは泣きじゃくった後の子供のような息遣いだった。きっと事実、散々泣いたのだろう。
「・・・どうしたリベル?落ち着け。泣くな」
部下たちが固唾を呑んで見守る中、出来るだけ動揺を殺した声で呼びかけた。
泣き濡れた琥珀色の瞳がラヴィエルの姿をとらえ、少しだけ心づいたように見えた。
嗚咽交じりではあったがリベルはどうにか説明を始めた。
「わた、私が・・止めるべきだったんです!イジスタさんを止めなきゃいけなかったんです!!わたしが・・・!」
「ゆっくり話せ。大丈夫。お前は悪くないから」
「・・・っ・・・めんなさい・・・こんな・・」
「な、泣くな。お前はこんな事で泣かなくていい。とにかく顔を拭いて戻るぞ」
「どうしてこんな事に・・・イジスタさんが・・・」
無意識のうちに、ラヴィエルは両手を差し出してリベルを立たせていた。
背中を支えると、折りたたまれたウイングの羽根がふわりと触れた。
何故だか、不意にとてつもない怒りが湧いてきた。誰に、ともなく。
「イジスタさんは最初から居たのか?」
後ろに身を引いていたサンディを振り返って訊いた。
「い、いいえ。イジスタさんが来たのは鎮圧のちょっと前です」
「多分、しらみつぶしにメルアを探したんだろう。昨日の会議で、メルアの名前が挙がったから」
「メルアさん・・・テロの首謀者なんですか?」
「どうもそうらしい。あいつは頭が良かった。しかし生前受けた傷があまりに深かった。取り返しのつかない部分まで、深く傷を負ってしまったんだ」
突然、未だにむせび泣いているリベルが何か言いたげに顔を上げた。
若干ではあるが、息が整い始めた。
「メ・・メルアさんは・・・」
言っている途中、ラヴィエルが言葉を挟んだ。
「お前までさん付けしなくていい。もう仲間ではないんだから」
「あのひと、・・・・・すごく・・・うっ」
「・・・すごく、何だ?怖かったのか?」
「・・・す・・すごく美人でした・・・っ」
ラヴィエルはあ然とした。
幼げの残る口がぽかんと開き、大きく見開いた瞳がリベルの泣き顔に釘づけになった。
「・・・・・・・・・・・・・な・・・・なんだそりゃ」
驚嘆に、浮かんだ言葉はそれだけだった。
アデルとサンディはひたすら気の毒そうに、遠巻きにリベルを見ていた。
そのことでリベルがショックを受けているのは、うすうす気が付いていたようだった。
「・・・すごく綺麗なひとでしたね」
とどめにアデルのしみじみとした呟きが聞こえた。サンディが頭を小突く音がした。
「何言ってんだお前は。そんな事で泣いてるのか?」
「違います・・。でも、あんまり綺麗で・・声も可愛くて、モデルさんみたいに細くて」
「知ってるよ。ほんの2年前までここに居たからな」
「・・・ラビさんも見惚れましたか?」
「いや、あまり。綺麗だとは思ったが、タイプじゃ・・・」
「・・?」
「違う違う。論点はそこじゃないだろう、リベル。真剣に聞くなよ、こんな事。
とにかくイジスタさんを早く連れ戻さないと。あの人は絶対にメルアに手出し出来ない。それを分かってこうしたんだろう。メルアは」
「イジスタさん、どうなっちゃうんですか?」
「それは・・・」
迷った。決して楽観視できる状況でないのは、誰しもが分かっていた。
しかしそれを言葉にしてリベルに伝えるのを皆が避けていたのだ。
「・・・はっきり言って、イジスタさん次第だ。多分メルアを改心させようとしたんだろうが、それが無理なら・・・・・イジスタさんも堕ちるかもしれない」
「堕ちる・・!」
「一度闇に堕ちた天使にはもう元に戻る力がない。仮に誰かが手を差し伸べても、もう戻ろうとはしないんだ。急いで手を離さないと引き込まれるか、殺される」
可哀そうだが、正直に言うとラヴィエルはもう半ば諦めていた。
イジスタとメルアは、それは仲の良いカップルだった。周囲からも美男美女と羨望を集め、ラヴィエルも当たり前のようにふたりは結婚するのだと思っていた。
しかし、人は何の前触れも無く変わる。
メルアのように、過去に散々いじめや虐待を受けた者は、尚更そうだ。
イジスタがどんなに優しく抱きしめても、愛してると囁いても、それらが完全に消えることはない。
そして何かのきっかけ――――ほんの些細な事で悲劇は起きる。
「だから・・・お前はここに残れ。お前を今のイジスタさんに会わせる事は出来ない」
「そんな・・!」
「それに、今の状況じゃお前が行ってもダメだ。部屋に帰って頭を冷やして来い」
支えていた背中を放し、ラヴィエルはサンディに目配せをして静かにその場を離れた。
行こう、と静かな声でリベルを促し、どうにか皆で歩き始めた。
気が付けば、辺りは月影ができる程暗くなっていた。




